- 著者
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土佐 桂子
- 出版者
- The Gender History Association of Japan
- 雑誌
- ジェンダー史学 (ISSN:18804357)
- 巻号頁・発行日
- vol.9, pp.23-38, 2013
本稿は、ミャンマーの民主化運動を1988年の民主化運動勃発から現在に至るまで続く民主化プロセスととらえ、この一連のプロセスを、ジェンダー視点からとらえなおすことが目的である。民主化運動勃発時期には、まず一党独裁政権をいかに止めるか、民主主義をいかに育てていくかに重点が置かれ、特にジェンダーに関する議論は生じていない。ただし、ジェンダー視点が重要でないわけでなく、軍事政権時代に入り政府はミャンマー母子福祉協会、ミャンマー国家女性問題委員会等の女性組織を作り、重職に軍人の妻たちを配置した。これはアウンサンスーチーをはじめ国民民主連盟(NLD)らの女性動員力を意識し、その取り込みが図られていたことを示す。一方、NLDはスーチーの自宅軟禁や党員の逮捕など厳しい弾圧のなかで、情報発信や影響力は限られたものとなりがちであった。これを補っていたのが、亡命した民主化運動家、元学生たちが海外で作った女性団体と考えられる。彼らは出稼ぎや国内から逃れてきた女性を支援しつつ、国際社会と国内に情報と見解を発信してきた。2000年代に入ると、こうしたディアスポラによる外部団体や国際NGOとの連携で、ススヌェという村落女性が政府関係者を告訴し、政府への法的な抵抗が行われた。また、国内でも仏教を核とする福祉協会など、草の根レベルからのNGOや緩やかなネットワークが形成され、軍事政権下で手薄になったとされる福祉政策、特に女性、子供、貧困者や災害被害者等弱者支援を補完したと考えられる。一方、テインセイン大統領に率いられる現政権は次々に改革を行い、検閲制度が撤廃され、言論の自由も相当確保された。また、補欠選挙にNLDが参加し、アウンサンスーチーをはじめ女性議員が増加し、女性閣僚も誕生した。今後、スーチーが参加の意向を示す次期大統領選の行方はジェンダーという観点から極めて重要である。また、前掲草の根レベルのネットワークやディアスポラによる女性団体の活動を、今後国内のジェンダー政策がどれほど組み込めるかも課題となろう。