著者
会田 実
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.7, pp.25-33, 2011

<p>一般に曽我物語には大きく分けて真名本と仮名本との二種のテクストがあるが、両テクストの様相には大きな隔たりがある。真名本は、富士という〈場〉に収束してその主題を開示していると思われる。これは、東国に樹立された政権が富士という東国最大の地主神との折り合いをどうつけるかという現実が根底にあったからだろう。曽我兄弟の御霊化も、この富士という地主神と支配者としての頼朝との葛藤に関わることではじめて意味を持つのである。そしてこの物語で地獄と認識される富士という〈場〉は、古来から見られる神仙性のコード変換として物語の基層に意味づけられたものであった。</p><p>これに対し仮名本は、真名本に対照すれば、地主神と支配者との切実な葛藤状況を脱した(御霊鎮魂の終結)上にあるように見える。真名本のいわば富士との縦関係のやりとりの中に収束して形成される構造に比して、仮名本は、意味の摩滅した言葉が無限定に拡散し横に拡がる様相である。そこでは意味の表層が過剰に消費された喧噪や多声環境が形成されている。従来荒唐無稽と言われた所以であるが、この多声性をどう考えるかが日本という土壌の心性を考える上でも重要なのではないか。なぜなら、近世に至って盛行するいわゆる曽我物はまさにこの多声性の上にあるからである。</p>

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こんな論文どうですか? 曽我物語における意味の収束と拡散:—真名本から仮名本へ—(会田 実),2011 https://t.co/h6bfu2YpM4

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