- 著者
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堀川 修平
- 出版者
- ジェンダー史学会
- 雑誌
- ジェンダー史学 (ISSN:18804357)
- 巻号頁・発行日
- vol.12, pp.51-67, 2016
<p>本稿の目的は、日本のセクシュアル・マイノリティ〈運動〉における「学習会」活動の役割とその限界を明らかにすることである。IGA/ILGA日本を設立し、〈運動〉を牽引してきた南定四郎によって1984年から1994年まで断続的になされていた活動である「学習会」は、今日に続く〈運動〉の「出発点」であったと考えられるが、IGA/ILGA日本初期の活動ならびに南の〈運動〉理論に着目した研究は十分になされていない。よって、南が関わった〈運動〉の機関誌や〈運動〉に関わる論稿などの「記録」と、南への半構造化インタビューで得られた「記憶」を対象に分析する。</p><p>「記憶」と「記録」から見えてきたのは、南の当事者性が、青年期に読書などの「学び」を通して、「同性愛者である」というものから「被抑圧者である同性愛者」というものへと変化していき、それが〈運動〉理論に深く結びついていることであった。生きづらさを理由の一つとして上京した南は、鶴見俊輔、「声なき声の会」と出会い、〈運動〉観を築く。その後IGA/ILGA日本を設立した際に、「日常的なコミュニケーションの場をつくる」という〈運動〉の手法を取り入れて、学習会活動を始めたのである。</p><p>学習会は、参加者が「同性愛者である」ということに「自覚的」になれるような「学び」の場として構成され、「被抑圧者である同性愛者」としての当事者性を獲得することが目指された。しかし、南の〈運動〉は、参加者である若者のニーズや〈運動〉観に必ずしも一致せず、「分裂」という結果を導いている。ただし、「分裂」したものの、南の〈運動〉理論は、アカー(動くゲイとレズビアンの会)などの次世代団体にも伝播していった。次世代の〈運動〉の原動力となる人びとを育てることが出来た学習会によって、その後〈運動〉が次の時代を迎えることになったのである。本研究の意義は、十分な評価がされてこなかった〈運動〉初期の南の役割を再評価できた点に見出せる。</p>