- 著者
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山田 篤美
- 出版者
- 宝石学会(日本)
- 雑誌
- 宝石学会(日本)講演会要旨
- 巻号頁・発行日
- vol.39, pp.6, 2017
<p>今日、宝石の王者はダイヤモンドである。しかし、人類 5000 年の歴史を俯瞰すると、長い間、宝石の世界に君臨してきたのはダイヤモンドではなく、真珠であったことが明らかになる。本講演では最上の宝石だった真珠の歴史をダイヤモンドと比較しながら解説する。</p><p>正確を期すると真珠は鉱物ではなく、有機物の一種である。しかし、真珠は伝統的に宝石と見なされてきた。たとえば、 古代ローマのプリニウスは『博物誌』の中で真珠を最高位の宝石のひとつと位置づけている。一方、プリニウスはキュウリの種ほどのダイヤモンドも貴重視していたが、それらは工具としての実用性が評価されたもので、「宝石」としての評価ではなかった。</p><p>古代ローマ人憧れの真珠であったが、その産地は多くはなかった。自然界では海産真珠貝、淡水産真珠貝が多種多様の真珠を生み出してきたが、丸く美しく光沢のある真珠を生み出す貝は、海産のピンクターダ属(genus <i>Pinctada</i>)の真珠貝などに限られていた。ピンクターダ属の真珠貝の中でも、真珠採取産業を成立させるアコヤ系真珠貝(<i>Pinctada fucata/martensii/radiata/imbricata</i> species complex)の生息地は、古代・中世においては、ペルシア湾、インド・スリランカの海域、西日本の海域ぐらいしか知られていなかった。つまり、ヨーロッパ人にとってアコヤ系真珠は、コショウ同様、オリエント世界でしか採れない貴重な特産品だった。</p><p>その状況が一変したのが 16 世紀の大航海時代である。 1492 年、コロンブスはカリブ海諸島に到達し、その 6 年後、南米ベネズエラ沿岸で真珠を発見する。実はベネズエラ沖はもうひとつのアコヤ系真珠貝の産地であった。オリエントに代わる真珠の産地となったベネズエラには征服者、航海者が押し寄せ、略奪と虐殺が繰り広げられた。 16 世紀のヨーロッパは真珠の時代であり、南米の真珠がヨーロッパ王侯貴族のジュエリー、ドレスを飾ったが、その真珠はブラッド・ダイヤモンドならぬブラッド・パールであったのである。</p><p>一方、ダイヤモンドについても、大航海時代になると、インドの王侯の独占が崩れ、流通が増加。 17 世紀以降のヨーロッパではブリリアント・カットが発明され、ダイヤモンドと真珠が二大宝石となっていく。しかし、 19 世紀の南アフリカのダイヤモンドの発見でダイヤの値段が暴落、真珠は再びダイヤモンドよりも希少になった……。 真珠の歴史をダイヤモンドとの関係性の中で考察すると、小さな真珠がもたらした壮大で壮絶な歴史が浮かび上がるのである。</p>