- 著者
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菅原 努
- 出版者
- Journal of Radiation Research 編集委員会
- 雑誌
- 日本放射線影響学会大会講演要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.2007, pp.6, 2007
我が国での放射線影響の研究は第五福竜丸事件(1954年)に始まった。我が国は世界で唯一の原爆被爆国であるが、その被ばく直後の調査研究は占領軍政府によって封印されてしまった。1945年以降も米・ソ連・英・仏などでは原爆の爆発実験が繰り返し行われていたが、それに我が国の科学者が注目するようになったのは、この1954年の事件以後である。そのころの大気の放射性物質での汚染は著しいもので、放置できない状況にあった。この測定には我が国の学者がすぐに対応できたが、放射線を全身に受けた場合については、我々はほとんど知識を持っていなかった。アメリカから専門家が援助に来日したが、そこでアメリカでは原爆の開発と並行して、大規模な生物学的研究を行っていたことを知った。内科医で放射線科も兼務していた私は、RadiologyをつうじてICRP(1950)の勧告をしり放射線障害に関心を持っていた。私は1955年に国立遺伝学研究所の新しい変異遺伝部に移り、研究に専念することになった。我が国ではこれをきっかけに文部省(当時)科学研究費で「放射線影響の研究」が始まった(桧山義夫編「放射線影響の研究」東京大学出版会1971)。これを受けて1959年に日本放射線影響学会が設立されたのである。また1955年には原子力基本法が制定され、我が国も原子力時代に突入した。こうして世界の状況を把握し、それに負けない研究成果をあげるべく、新しい体制が作られ、放射線の生物作用の本体を探る研究が展開されていった。そのレベルアップと国際化の努力のあとに、昭和の和魂洋才の流れを見るような気がする。