著者
荻原 眞子
出版者
北海道立北方民族博物館
雑誌
北海道立北方民族博物館研究紀要 (ISSN:09183159)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.135-138, 2004

【追悼】アンナ・ヴァシーリエヴナ・スモリャーク先生が昨2003年6月23日に亡くなられた。享年84才。先生は1993年に北海道立北方民族博物館(以下、同館)で開催された第8回北方民族文化シンポジウム「北方針葉樹林帯の人と文化」に出席され、「アムール川流域およびサハリン先住民における民族起源と社会構造に関する諸問題」という報告をされた。もう10年余も前のことになる。爾来、先生は折に触れ、このときの日本での思い出を懐かしがられ、よく口にされていた。筆者がお目にかかった最後は1999年の初夏、モスクワの民族学研究所であった。ちょうど、第3回ロシア人類学・民族学学会と国際シャマニズム会議とが同時に開催され、シャマニズム会議の初日が研究所で行われたときのことである。先生は明るい性格の、おしゃべりのお好きな方で、こと、学問の話になると時と場所におかまいなく次からつぎへどこまでも尽きることなく関心を拡げられた。それは、日本からの国際電話でも同じことで、投げかけられた問題にお答えするには、そのためだけにモスクワヘお訪ねするしかないと思う程である。お教え願いたいこと、お聞きしておきたいことがたくさんあった。今一度、お目にかかれずじまいになったことが、残念で悔やまれる。スモリャーク先生はソヴィエト時代の民族学界を担われた重鎮の一人で、特に、アムール・サハリン地域の民族学では多大の業績を残された。先生の研究者としての学問形成については、モスクワ大学の民族学部においてS.A.トカレフ、M.O.コスヴェン、N.N.チェボクサロフ、M.L.レーヴィン、G.F.デベッツという鉾々たる民族学者や人類学者の教えを受けられ、また、A.P.オクラードニコフの指揮するアムール川沿岸での考古学調査などにも参加されたことを記すに止めよう。フィールドワークは1957年のウリチ、ニヴフの調査にはじまり、60~80年代を通じ調査対象はアムール川地域のナーナイ、オロチ、ウデゲ、サハリンのニヴフ、ウイルタ、さらにはエヴェンキ、カムチャトカのパレオアジア諸族に及んでいる。主著の一つで基盤的な研究であったのはモノグラフ『ウリチー古今の生業、文化および習俗」(1966) であるが、先生の関心はアムール・サハリン地域の歴史民族学にあり、方法としては多岐多様にわたる個別の問題を取りあげ比較検討を重ねながら烏瞰的にこの地域の民族関係を見通し、究極的にはその民族起源を解明することにあったと云って誤りではなかろう。ところで、スモリャーク先生は1993年に来日された折に、ご自分のフィールドワークの成果の一部である写真と録音テープを同館に寄贈された。写其(プリント)167点は同館の尽力により『A.V. スモリャーク氏寄贈資料目録~ニブフ・オロチ・ウリチ・ナーナイ~』として刊行された。この冊子が呼び水となり、2001年には表記の浩瀚な写真集が出版された。先生はこの寄しき因縁をたいへん喜んでおられた。本書には、民族学者としての生涯においてもっとも充実していたと思われる時期にフィールドワーカーの目で撮られた写其の、おそらくは、大部分が収められている。調査期間は通常最低でも3ヶ月であったという[Батьянова 2000: 24] 。本書の一端をここに紹介し、先生への追悼の意を表したいと思う。

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こんな論文どうですか? A.V. スモリャーク『アムール下流とサハリンの諸民族・写真集』(2001 モスクワ)(荻原 眞子),2004 https://t.co/W6mqwXIKYj 【追悼】アンナ・ヴァシーリエヴナ・スモリャーク先生が昨2003年…
こんな論文どうですか? A.V. スモリャーク『アムール下流とサハリンの諸民族・写真集』(2001 モスクワ)(荻原 眞子),2004 https://t.co/W6mqwXqBKb 【追悼】アンナ・ヴァシーリエヴナ・スモリャーク先生が昨2003年…

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