著者
池末 啓一
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.63, no.6, pp.93-102, 2020

<p>親鸞は「それがし閉眼せば賀茂河にいれて魚に与うべし」という言葉を残している。浄土真宗では喪葬一大事を否定するような意味をもつ言葉とされてきた。親鸞は,自らを必ず水葬にするようにと言い残したのであろう。葬制には水葬・林葬・土葬・火葬などがあるが,親鸞のこの言葉を通して,日本人の河川観・葬制観などを考察した。わが国では古代・中世には水葬・林葬が,一般庶民の間では行われてきた。これらの葬制を親鸞のみならず一遍らも望んでいた。この二つの葬制は大乗仏教的には,布施の最高形態の「利他行」の実践に当たる。「利他行」が,古代(仏教伝来以後)・中世の日本人の河川観・葬制観を形成していたと考えられる。水葬・林葬は今日的な表現をすれば,生態学的循環と考えられる。さらに,わが国には別の河川観もある。それは「禊」,「祓い」と言われて罪や穢れを除き去るというものである。これは,「水に流す」という言葉に象徴されるもので,日本人の人間関係や精神構造にも深くかかわっているかもしれない。</p>

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