著者
和田 一範
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.100-120, 2018-10-01 (Released:2020-01-01)
参考文献数
13

防災の基本は,自助・共助・公助である。自助・共助・公助を語るにあたっては,自助・共助と,公助との連携を考えることが重要である。 自助・共助は,災害に際して,単に避難をするだけではない。また,これを支援する公助も,単に公的な支援の拡充という視点で展開するのではなく,自助・共助側からの発信を受けて,これに応える形で施策を展開してゆく,真の協働のパートナーとしてとらえてゆくことが重要である。 自助・共助側からの自主的な取り組みにこそ,大きな意味と効果がある。公助の推進にあたっては,自助・共助から発信する必要性に基づく,公的な支援,公助の展開をシステム化する。 自助・共助と,公助との連携を社会システム化し,継承してゆくことが重要である。 上杉鷹山の三助,武田信玄の竜王河原宿,信玄堤の神輿練り御幸祭と三社御幸の故事から,これらの教訓をひもとき,つないでゆくことの重要性を再認識する。
著者
太田 猛彦
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.2-13, 2012-08-01 (Released:2017-07-12)
参考文献数
3
被引用文献数
7
著者
太田 猛彦
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.52, no.5, pp.3-26, 2008-12-01 (Released:2017-10-27)
参考文献数
13
被引用文献数
1
著者
金子 信博
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.119-133, 2018-04-01 (Released:2019-05-31)
参考文献数
27

福島第一原子力発電所事故により環境が放射性セシウムで汚染された。住居や公共施設,そして農地は除染が進んだが,森林の除染については,汚染された森林面積が広大であることや,除染廃棄物の処理の点から一部を除いてほとんど行われていない。そこで,森林生態系の仕組みを活用し,木質チップを散布して除染を行う方法(マイコエクストラクション)についてその原理をデータに基づいて解説した。森林では放射性セシウムのほとんどが土壌の表層に集積しており,伐採した樹木をチップ化して林床に敷設すると自然に菌類が繁茂し,土壌からチップへ放射性セシウムを移行させる。その後,林床からチップを除去することで森林から放射性セシウムを除去できる。この方法は,植物による吸収(ファイトレメディエーション)よりはるかに効率が良い。菌類がカリウムを多量に必要とすることを利用しており,コストや環境影響の点,ならびに森林施業の継続の点ですぐれている。
著者
梶原 健嗣
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.65, no.5, pp.1-30, 2021-12-01 (Released:2023-08-22)

水道条例の研究では,その制定の経緯から,公衆衛生と市町村経営原則に焦点を当てた研究が多くなされてきた。しかし,そうした研究の視角では,1911年,1913年の水道条例改正あたりまでしかカバーされず,戦後復興期,高度経済成長期と並ぶ「水道の隆盛期」である大正期以降が視野に入らない。この時期は,水道事業の「脱衛生化」が進むとともに,水道が地方利益化していった時代である。その大正期以降,水道条例の改正論が沸き起こる。改正論は上水協議会とその後継団体・水道協会がリードし,戦後の水道条例改正案も水道協会がリードした。 水道条例では明治初期の公衆衛生問題が,水道法ではその直前の閣議決定の重要性が強調されるあまり,その間の四半世紀の動きが軽視されがちである。 本研究は,その四半世紀にも焦点をあて,水道行政の2つの基本法を中心に,近代水道行政の歩みを考察するものである。
著者
内田 和子
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.51-68, 2001-04-01 (Released:2018-03-31)
参考文献数
54
被引用文献数
2
著者
松浦 茂樹
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.28-71, 2018-04-01 (Released:2019-05-31)
参考文献数
13

綾瀬川は,埼玉平野の中央部を流れ,その開発と深く関わっている。今日では備前堤直下からの流れとなっていて,その上流の元荒川と分離されているが,元々は荒川が流下していた。戦国時代になって,備前堤と一体的に慈恩寺台地が開削され,荒川は元荒川筋に転流した。 備前堤の存在を前提にし,下流部では開発が進められた。近世になると,用水源として元荒川からとともに見沼溜井から導水されたが,享保年間には見沼代用水路が整備された。 備前堤には,荒川とともに利根川の氾濫水が襲ってきた。このため備前堤で防御され,その増強を図る下流部と,湛水するためそれを阻止しようする上流部との間で厳しい軋轢が生じた。大洪水のときには上流部は堤防切崩しを行い,自らの水害を少なくしようとした。両者間で堤防の高さを決めるなど調停が図られたが,近世では解決に至らなかった。 近代になると,利根川・荒川では国直轄により改修が進められ,それを背景に埼玉県は綾瀬川改修を行おうとした。だが下流部は東京府内を流下する。下流部を改修しないと埼玉県内では進められない。府県間で対立となったが,結局は,かなりの費用を埼玉県が負担し,埼玉県で事業は進められた。