- 著者
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大山 伸子
- 出版者
- 沖縄キリスト教短期大学
- 雑誌
- 沖縄キリスト教短期大学紀要 (ISSN:03851745)
- 巻号頁・発行日
- no.37, pp.31-60, 2009-02
宮良長包の作品は、現在、169曲が確認されている。しかし、いまだ埋もれている未発掘作品の可能性や、曲名は判明しているが旋律不明のもの、作曲年が確認できないものもあり、作品研究はさらに進めていかなければならないだろう。筆者は、宮良長包の作品研究について、「宮良長包の音楽教育活動に関する研究(4)-作品研究1(明治・大正篇)-」、※「宮良長包の音楽教育活動に関する研究(5)-作品研究2(昭和前期篇)-」を発表してきたが、本論文はその後続研究として、昭和7年から10年に作曲した37作品について、※「昭和篇-(2)」とし、作品解題を行うものである。長包の作曲活動における昭和期(昭和元年~14年)は、もっとも充実した時期であり、昭和元年から6年は40曲、昭和7年から10年は37曲、昭和11年から14年は25曲を作曲し、作曲数からも活発な時期だったことが窺える。特に、県内外で知られている代表作「安里屋ユンタ」(1934)や、唯一のオーケストラ曲「嵐の曲/嵐の歌」(1934)は昭和期の作品である。本論文で述べる「昭和篇-(2)」(昭和7年から10年)の作品の特徴は、声楽曲が圧倒的に多い長包作品の中では異色ともいえるオーケストラ曲の創作や、沖縄民謡を元歌にした作品が多いこと、校歌作品はヨナ抜き旋法に加えて7音音階もあること、問答形式の曲が確認できること、混合拍子が依然として多いこと、作曲数は37曲と多いが、曲名のみ確認でき旋律不明の曲が14曲もあることなどが挙げられる。また、戦前の校歌歌詞が戦後になって、時代にそぐわないとして1部分を手直ししている学校や、統廃合により新しい学校へと移行する中で、長包の校歌が姿を消す学校も見られた。今後、長包の作品研究を継続して行うことにより、長包音楽の全容が徐々に明らかにされるだけではなく、沖縄県の音楽教育の変遷をも鳥瞰できることになるだろう。