著者
大山 伸子
出版者
沖縄キリスト教短期大学
雑誌
沖縄キリスト教短期大学紀要 (ISSN:03851745)
巻号頁・発行日
no.39, pp.3-22, 2011-03

筆者は、先行研究である「沖縄県の幼稚園における宮良長包音楽の実践状況と方向性(1)-幼稚園教諭へのアンケート調査に基づいて-」において、データに基づく結果を踏まえ、沖縄県の幼稚園における「宮良長包音楽」の実践状況と課題および方向性について論述した。その結果、「宮良長包音楽」の実践率は28.8%と幼稚園現場においては、ほとんど実践されていないことがわかった。しかし、アンケートの回答から得た現場の実態は、決して「宮良長包音楽」を否定的に捉えているのではなく、むしろ肯定的に捉えていることが明らかになった。本論文では、前述論文の後続研究として、1.アンケート調査のデータから見える実態を「実践プロセス概念図」で概念的に示し、構造的に課題を浮き彫りにする 2.幼稚園現場の実践事例を取り上げる 3.活用し得る教材・資料の開発を試みる、という3つの視点から、「宮良長包音楽」を幼稚園現場で実践ならしめる可能性を探ることを眼目とする。研究結果として、多くの幼稚園教諭が、「宮良長包音楽」に親しみを持ち、身近に感じていることがわかったが、実践に至る局面においては、取り組みにくい深刻な実態が顕著であった。また、50代教諭が、「宮良長包音楽」の実践を"中核層"として支えていることが明らかになったが、幼稚園教諭の次世代にどのように継承していくか、大きな課題である。幼稚園現場の実践事例として、沖縄市立北美幼稚園と西原町立西原東幼稚園をモデルとして取り上げたが、両幼稚園で実践している「安里ユンタ」が、地域交流や祖父母と幼児の世代間をつなぐ重要な役割を果たしていることがわかった。さらに、実践困難な理由が「教材・資料が少ない」という多くのアンケート回答に着目し、教材・資料開発の試作として、「すみれ」、「牛」を編曲し、その指導方法を提示した。
著者
大山 伸子
出版者
沖縄キリスト教短期大学
雑誌
沖縄キリスト教短期大学紀要 (ISSN:03851745)
巻号頁・発行日
no.37, pp.31-60, 2009-02

宮良長包の作品は、現在、169曲が確認されている。しかし、いまだ埋もれている未発掘作品の可能性や、曲名は判明しているが旋律不明のもの、作曲年が確認できないものもあり、作品研究はさらに進めていかなければならないだろう。筆者は、宮良長包の作品研究について、「宮良長包の音楽教育活動に関する研究(4)-作品研究1(明治・大正篇)-」、※「宮良長包の音楽教育活動に関する研究(5)-作品研究2(昭和前期篇)-」を発表してきたが、本論文はその後続研究として、昭和7年から10年に作曲した37作品について、※「昭和篇-(2)」とし、作品解題を行うものである。長包の作曲活動における昭和期(昭和元年~14年)は、もっとも充実した時期であり、昭和元年から6年は40曲、昭和7年から10年は37曲、昭和11年から14年は25曲を作曲し、作曲数からも活発な時期だったことが窺える。特に、県内外で知られている代表作「安里屋ユンタ」(1934)や、唯一のオーケストラ曲「嵐の曲/嵐の歌」(1934)は昭和期の作品である。本論文で述べる「昭和篇-(2)」(昭和7年から10年)の作品の特徴は、声楽曲が圧倒的に多い長包作品の中では異色ともいえるオーケストラ曲の創作や、沖縄民謡を元歌にした作品が多いこと、校歌作品はヨナ抜き旋法に加えて7音音階もあること、問答形式の曲が確認できること、混合拍子が依然として多いこと、作曲数は37曲と多いが、曲名のみ確認でき旋律不明の曲が14曲もあることなどが挙げられる。また、戦前の校歌歌詞が戦後になって、時代にそぐわないとして1部分を手直ししている学校や、統廃合により新しい学校へと移行する中で、長包の校歌が姿を消す学校も見られた。今後、長包の作品研究を継続して行うことにより、長包音楽の全容が徐々に明らかにされるだけではなく、沖縄県の音楽教育の変遷をも鳥瞰できることになるだろう。