著者
Otori Yukako
出版者
東京大学大学院総合文化研究科附属グローバル地域研究機構アメリカ太平洋地域研究センター
雑誌
アメリカ太平洋研究 (ISSN:13462989)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.97-113, 2012-03

論文Articles本稿は、宗教と米国外交の関係史の文脈において、第一次世界大戦後のドイツで行われた「クェイカーの給食活動」という人道的救済の事例を分析し、以下の二点を指摘するものである。第一に、この事業は、米国の宗教者と米国政府の外交当局者の連携のもと、米国に敗れた敵国の市民を対象に行われた戦後救済の最初の事例のひとつである。第一次大戦への参戦を機に国際政治の主役に躍り出た米国にとって、戦後ヨーロッパの復興に対する大規模な支援は前例のない試みであった。連邦政府においてこれを指揮したH・フーヴァーは、1919年2月、アメリカ支援局(ARA)を設立し、ヨーロッパ14カ国の児童を対象に給食活動を展開した。だがドイツに関しては、ARAはこの活動をクェイカーのアメリカ・フレンズ奉仕委員会(AFSC)に委託した。「クェイカーの給食活動」は、1920年2月に開始され、1921年のピーク時には100万人以上に補助食が配られた。この活動は、ARAによる物資や資金の提供に始まり、1924年にその役割を終えるまで、連邦政府の関係者からの支援に支えられていた。第二に、この給食活動は、政府関係者の後援とともにキリスト教徒の連帯意識にもとづいていた。AFSCは、根深い宗教的分裂を抱えたクェイカー社会を母体としており、その活動において、クェイカーまたキリスト教徒の隣人愛にもとづく社会奉仕以上の意図を具体的には示さなかった。そして、この給食活動についても社会奉仕と解釈することで、AFSCはクェイカーリズムの伝道のための救済事業との批判を受けることなく、政府関係者と連携し、また米国とドイツにおけるキリスト教徒のネットワークを活用できた。つまり、「クェイカーの給食活動」の進展は、それが大戦後の複雑な国民感情から離れ、キリスト教徒の連帯の徴として簡潔に理解されえたことに助けられていたのである。

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