- 著者
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新間 水緒
- 出版者
- 国文学研究資料館
- 雑誌
- 国文学研究資料館紀要. 文学研究篇 (ISSN:18802230)
- 巻号頁・発行日
- no.40, pp.53-80, 2014-03
鴨長明の『方丈記』冒頭の有名な一文が、『文選』の「歎逝賦」の詩句を典拠としているということは、『方丈記』成立の四十年後に編纂された『十訓抄』に指摘がある。『文選」は、正文に注釈がついた形で日本に伝来し、奈良時代以前から受容されてきた。平安時代を通じて『白氏文集』とともに知識人の教養の書とされ、長明の時代にも状況は同じであった。長明も当然『文選』を学んでいたであろうし、その場合詩句の解釈は当時の通例として注釈によったであろう。このような『文選』の享受のあり方を背景に『方丈記』を読むと、序章全般にわたって「歎逝賦」との表現面での類似が見て取れ、さらに「歎逝賦」の注文を受容し、表現を編み出していることがわかる。ただ「歎逝賦」が「逝くを歎く」ことを主題としているのに対して、『方丈記』の序章は「人と栖の無常」を問題にすることにおいて、大きく異なると同時に、そこには長明独自の主題があるといえる。この主題は最終章に至るまで論理的に展開されており、『方丈記』末尾の問題とも大きく関わっているように思われる。Various annotations describe how the prelude of HO-JO-KI, by KAMO-NO-CHOMEI, is based on phrases from 'TANSEINOFU', in Wenxuan.When Wenxuan was introduced to Japan, it took the form of a textwith annotations, and was widely read by educated people. It seems likely that CHOMEI, being an intellectual, would have read it as part of his education. Should this indeed be the case, one can assume the annotations were included in his studies, following general custom at that time. HO-JO-KI takes up the annotations of 'TANSEINOFU' throughout the prelude, and develops the theme; "transience of human beings and of their residence."