著者
堂山 宗一郎
出版者
麻布大学
巻号頁・発行日
2011

動物の学習能力を、その行動から評価する方法の1つとして、迷路を用いた実験が多く行なわれている。供試動物は、現在までそのほとんどが、実験動物として確立されたラットとマウスであり、それ以外では、中・大型の家畜を中心にいくつかの研究が報告されているに過ぎない。さらに、中・大型の野生哺乳類では、迷路を用いた研究は世界的にほとんど行なわれていない。野生哺乳類において迷路実験を行なうことは、学習能力に関する新たな知見を得られる可能性がある。また、家畜における学習能力に関する知見が、飼育管理等に関する問題の解決に貢献しており、野生哺乳類における知見も、彼らが関わる問題の解決に繋がる糸口になることも考えられる。 そこで本研究では、イノシシにおける迷路実験の手法を検討することおよび学習能力に関する基礎的知見を得るために、様々な迷路により学習実験を行なった。 第1章では、イノシシを迷路実験に供試するための馴致、訓練方法の確立および実験を行なうための適切な実験施設の設計、構築を行なった。野生哺乳類における迷路学習実験が、これまでにほとんど行われていないため、家畜における研究を参考に迷路実験場を設計した。実験場は、屋外に構築し、面積は121m^2(11m×11m)であり、周囲を高さ2mの障壁で囲った。警戒心が強く、扱いにくいイノシシを供試動物とするため、人および実験施設に対する馴致を長期間行なった。供試イノシシは生後約1ヵ月の野生個体を捕獲し迷路実験場に近接する飼育施設に導入した。導入後、実験者が毎日接することによって人に対しての警戒心が低くなるまでに7~10ヵ月を要した。次いで、実験施設までの移動に使用する檻への導入訓練を供試個体が自発的に檻に入るようになるまで行なった。この訓練には2~6週間を要した。移動檻への導入訓練終了後、迷路実験場への移動訓練および実験場に対する馴致を行なった。移動中および実験場において、移動檻内で供試個体が警戒行動や驚愕反応を示さなくなるまで馴致を続けた。この馴致には4~6週間の期間を要した。イノシシは、実験施設に導入するまでに家畜や実験動物よりも長期間の馴致や訓練を必要とするものの、これらの期間を十分に設けることにより、イノシシを実験に供試できる状態にすることが可能であった。以上の結果、実験施設と訓練および馴致法が確立でき、第2章以降の実験を実施した。 第2章では、迷路実験を開始する前に、新奇環境や迷路のような障壁で囲まれた実験装置にイノシシを導入した場合の行動変化をオープンフィールド(OF)実験により調査した。3m×3mのOFを作成し、その中に供試個体を導入した。OFの中央には飼料を置き、1日5分間、3日連続で観察を行なった。実験1日目にはOF内を歩き回る移動が多くみられたが、2日目には減少した(P<0.01)。それとは逆に、摂食は、実験2日目以降に1日目と比較して増加した(P<0.01)。家畜における実験では、OF内での移動の減少が新奇環境に対する慣れの指標とされているが、イノシシも同様に実験装置に対して慣れたため移動が減少し、それと対応して摂食が増加したと考えられた。警戒行動の発現回数には個体差が見られ(P<0.01)、多く発現した個体は、実験装置から脱出を試みる行動も発現した。新奇環境に対する警戒や実験装置へ閉じ込められることに対する恐怖には個体により違いがあり、OFでの警戒行動が、迷路実験における訓練期間や供試個体としての適正を判断する指標になる可能性が示唆された。 第3章では、T字迷路を2つ組み合わせた複合迷路により、イノシシの学習能力を調査した。迷路内の一部を利用した馴致および訓練の後、本試験を行なった。本試験はゴール地点に報酬を置き、6試行/セッション、1セッション/日とし、連続4日間行なった。ゴールに到達するまでの時間は、セッション1と比較してセッション3、4において短縮した(P<0.05)。エラー回数もセッション1と比較してセッション2、3において減少し(P<0.01)、セッション4ではエラーが無くなった。これらの結果を家畜における迷路実験と比較すると、イノシシが家畜と同等もしくはそれ以上の学習能力を持つことが示された。そして、イノシシにおいても到達時間とエラー回数が、警歯類の迷路実験と同様に学習能力を評価する指標として有用であることも示唆された。スタート方向への逆走回数は、セッション1と比較してセッション2、3、4において減少した(P<0.01)。供試個体の2頭が、迷路の壁を飛び越えようとする等、迷路装置に慣れなかったため、実験から除外した。この2頭はOF実験において警戒行動を多く発現した個体であり、このような警戒心が特別強い個体は、実験装置に対して慣れづらく、迷路実験の供試個体として適切でないことが示唆されたことから、前章のOF実験の有用性が示された。 第4章では、実験動物やウシ等の大型家畜において学習能力評価に用いられているT字迷路より複雑なHebb-Williams迷路によりイノシシの迷路学習能力を調査した。6m四方のHebb-Williams迷路を作成し、そこに対する10日間の馴致終了後に訓練課題(6課題)を行なった。訓練課題の学習基準に達した4頭の供試個体で、引き続き12課題ある試験課題を行なった。試験課題は1日1課題、8試行/課題を行なった。供試個体の移動経路から、超過侵入スコア(TEES)、学習速度スコア(%R)、視覚能力スコア(%P)を算出し解析した。課題12のTEESが他の課題よりも有意に高かった(P<0.05)。TEESが高いほど難易度が高いため、課題12が最も難しく、続いて課題8が難しいという結果となった。課題8および12の難易度が高いことは、ウシとウマにおける実験でも同様の結果が示されており両課題が中・大型の哺乳類に共通して難しい課題であることが考えられた。%Rは78.7となり、イノシシが各課題の試行の早い段階でゴールまでの経路を学習したことが示された。また、この結果は他の動物種と比較しても最も高い値となり、イノシシの学習速度が非常に速いことも明らかとなった。%Pは24.2となり、イノシシが迷路の形状を認識するために視覚的情報を重要としていることが示唆された。 第5章では、迷路内の手掛かりによりゴール位置が変化する条件に対するイノシシの学習能力をT字迷路により調査した。迷路のアーム始点には、迷路内刺激として白および黒のパネルをランダムな位置に配置した。4頭の供試個体の内、2頭は正刺激を白、もう2頭は正刺激を黒と設定し、正刺激を選択した場合は報酬を得ることができた。実験は、16試行/セッション、1セッション/日として12セッション行なった。16試行中14試行以上の正選択が連続3セッション確認できた場合を学習基準とした。その結果、2個体が9セッションおよび12セッションで学習基準に達した。これにより、イノシシが迷路内刺激を手掛かりとして報酬と刺激の関連を学習できることが明らかとなった。本結果を家畜における研究と比較すると、イノシシが同程度の迷路内手掛かり学習能力を有していることが示唆された。 第6章では、齧歯類において広く用いられているものの、それ以外の哺乳類を対象とした研究が極めて少ない水迷路により、イノシシの学習能力を評価することができるかを調査した。実験装置として7.2m四方、深さ0.7mのプールを作成した。供試個体として、2頭を選抜し、実験装置および水に対する馴致の後、本試験を行なった。本試験は、プールにゴールとなる台を水面下に設置し、3試行/日、連続4日間行なった。その結果、1頭は、実験期間を通してゴール台に到達することよりも、スタート付近の壁際もしくは迷路の壁に沿って泳ぐことを優先した。しかし、もう1頭は、実験2日目にゴール台へ初めて到達し、それ以降はゴールまでの到達時間が短縮し、スタートからゴールまで直線的に泳いで到達した。さらに、この個体においてゴール台の位置を変更した追加試験を行なったところ、変更前の位置の付近を泳ぎ続け、ゴール台に到達するまでに時間を要した。これらの結果は、ラットやマウスにおける実験結果と類似しており、イノシシにおいても水面下にありそこまでの経路が決められていないゴールを泳いで見つけ出し、その位置を学習できることが示された。さらに、プール内でイノシシが、迷路外刺激を主な標識としてゴールの位置を学習していることも示唆された。 本研究において、イノシシは場所学習課題や手掛かり学習課題の遂行が可能であり、齧歯類や家畜と比較して同等もしくはそれ以上の学習能力を持つことを初めて明らかにした。そして、警戒心が非常に強いイノシシにおいても、管理・馴致・訓練を適切な方法で行なうことにより、迷路実験に供試することが可能となることを明らかにした。また、イノシシがこのような高い学習能力を持っていることは、彼らの生態的特性に由来している可能性があり、自然環境下でマーキング等を行なわず、特定の縄張りを持たないイノシシが、位置情報を入手するために視覚的情報が重要と考えられ、このような高い学習能力を有したと考えられた。 これらの成果は、科学的基礎知見に留まらず、人と野生動物の軋轢問題への応用、特に農地や集落と食物の関連性や侵入経路等を学習能力の観点から新たに解明することを可能にすると考えられる。さらに、本研究は、大型野生哺乳類において迷路学習実験を行なった初の研究であり、野生哺乳類における学習能力に関する心理学的研究のみならず、行動学的研究の発展に大きく貢献するものと期待される。

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