- 著者
-
中尾 莉奈
- 出版者
- 広島女学院大学
- 巻号頁・発行日
- 2016
三島由紀夫の『豊饒の海』は、「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」の四巻からなる長編小説だ。『豊饒の海』は、その経緯や内容から三島の死と関連付けて論じられてきた。
本論では、発表当時、三島が「『豊饒の海』について」(初出毎日新聞一九六九年二月二十六日)において『豊饒の海』を「世界解釈の小説」と評したことから、三島が『豊饒の海』で行った「世界解釈」の方法及び、その結果について明らかにしていくことを目的とした。
第一章では、「春の雪」を中心に嘘を核とした作品構造と題し論じた。
嘘を核とした作品構造とは、清顕と聡子をはじめとする登場人物が嘘をつくことで展開する小説であったことから定義した。
また、嘘は女性優位の象徴であった。それは、作中の嘘が女性主導でつかれる上に、女性の手によって暴かれているからだ。この嘘による女性優位の構図は以降にも引き継がれている。
嘘を核とした作品構造によって、輪廻転生という全巻を貫流するモチーフの提示、輪廻転生によって物語を繋ぐために必要な観察者本多を生み出した。これらは、『豊饒の海』全巻を繋ぐ役割を担っており、輪廻転生が起こっていない「春の雪」において、嘘が重要なモチーフであることが明らかになった。
第二章では、「奔馬」の主題が純粋を貫くための死であったと結論づけた。ここでの死とは、「自刃」だ。何故、「自刃」が純粋を貫くための行為となりえるのか。それは、勲が周りの人物たちとの繋がりにより、彼の純粋が汚される可能性が高く、純粋に生きるということが困難な状況にあるからだ。勲が純粋なままでいるためには他者と隔絶した孤独に身を置く必要があった。それが、究極の孤独、「自刃」だった。
第一章でも取り上げた嘘の問題は、槙子が勲の計画について隠すという嘘を見抜き、嘘の証言のために入念な準備をした姿に聡子と同じ嘘を見抜く女、嘘によって優位に立つ女だと結論付けた。
「春の雪」を経て輪廻転生の観察者となった本多は、勲に対し、清顕と共に居た時と同様、彼を救う弁護人となった。清顕と勲、二人に対して同様の態度を見せる
という態度を持って、勲が清顕の生まれ変わりであると本多は証明した。このように、本多は輪廻転生の証明者の役割を得た。
第三章では、「暁の寺」を中心に論じた。『豊饒の海』における法、唯識や阿頼耶識といった要素が前面に押し出されたことに着目し、法をその身に宿すジン・ジャンを法の受肉者、法を模倣する本多を法の模倣者と定義した。二人の関係を整理することで、唯識や阿頼耶識という法の出現の過程を明らかにした。
「暁の寺」では、本多に認識と行為の矛盾が生じた。本多は、見るという行為に「情熱」を宿したことで「覗見」を行った。それと同時にジン・ジャンに「恋」をするなど、二律背反の欲求を満たそうとする矛盾。法の模倣者と定義した根拠は、この矛盾が法の連続性の希薄さと通ずるものがありながら、決して法そのものを体現していないからだ。
嘘が象徴する女性の優位性は、慶子がジン・ジャンと信頼関係を結び彼女の秘密を本多より先に知ったことを隠す嘘によって示された。
第四章では、「天人五衰」を中心に論じた。中でも本多と透の自意識に注目した。本多は、門跡(聡子)により、「運命」を人が認識するという行為を否定された。一方透については、透と他者との関係を考察することで、彼の複雑さを明らかにした。
嘘による女性優位の構図は、慶子が透に転生者の「贋物」であると本人に伝えることで現れた。慶子の嘘の誘いに透が応じたことで「天使殺し」が起こり、嘘が引き起こす事柄が女性主導であることからも窺えた。
第五章では、第四章で示した透の複雑性の理由を明らかにすると共に、『豊饒の海』全体を総括するような視点で論じた。
透の複雑性は、前三作では別々に付与されていた役割を一手に引き受けることで、複雑かつ矛盾を孕む存在となったことで生じたと結論づけた。
最後に、『豊饒の海』で行われた「世界解釈」の視点を明らかにした。清顕を起点とした輪廻転生。ジン・ジャンが示した唯識、阿頼耶識という法。「春の雪」から「天人五衰」までに流れた時間。本多と聡子の対比による世界の違い。この四つの視点は、「天人五衰」の本多と門跡に収束された。老いの醜さを持つ本多と「老ひの美しさ」を持つ門跡との対比である。この対比は、門跡に「老いの美しさ」という三島の理想を付与し、老いの醜さという三島の憎むものの敗北という形で、三島由紀夫の望む世界を浮き彫りにした。つまり、『豊饒の海』において解釈された世界とは、三島の理想世界であった。そして、解釈された三島の理想世界は、三島の憎むものの敗北、理想の勝利で幕を閉じたと結論づけた。