- 著者
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福原 絃太
谷岡 勇市郎
- 出版者
- 日本地球惑星科学連合
- 雑誌
- JpGU-AGU Joint Meeting 2017
- 巻号頁・発行日
- 2017-03-10
1611年慶長津波地震は、1896年明治三陸津波地震の1つ前の津波地震として知られている。この地震の震度は4程度であり、津波の高さが高い所で30m程度あったとの歴史史料から津波地震であったとされている。さらに津波は本震の4時間程度後に襲っており、大きな津波は余震(最大震度3程度)により発生したとされている。しかし、この津波被害を記述した歴史史料の中には信頼性が低いとされているものも多く存在するとされてきた。最近になり、蝦名・高橋(2014)や蝦名・今井(2014)により歴史史料が精査され、信頼度の高い歴史史料のデータセットが作成された。そこで本研究では、蝦名・今井(2014)の歴史史料データを全て説明できる1611年慶長三陸津波地震の最適断層モデルの推定を試みる。まず、1611年の歴史史料データと2011年東北地方太平洋沖地震津波で調査された浸水域を比較すると1611年慶長津波の浸水域は2011年東北地方太平洋沖津波の浸水域と同程度または上回っていることが分かった。特に岩手県宮古や岩手県小谷鳥,宮城県岩沼では1611年の方が内陸まで浸水していることがわかった.このことから1611年慶長津波地震は2011年東北地方太平洋沖地震と同程度またはそれ以上の規模であったと考えられる.次に断層モデルによる津波遡上計算を実施し、歴史史料の記述との整合性を比較する。断層の傾斜角とすべり角はプレート境界型地震を仮定し、10度および90度とした。また、津波地震であったことを考え断層は日本海溝まで達するとした。津波の数値計算は震源域を含む広域では線形長波近似を用いて水平方向30秒格子間隔で実施した。さらに、歴史史料(蝦名・今井2014)の存在する地点を全て含む6つの地域では津波遡上計算を実施した。遡上計算実施地域は30m格子間隔を用いた。津波痕跡分布から断層の位置と長さを推定するために1枚の矩形断層を仮定し,津波の線形長波計算を行いおおよその断層位置と長さを推定した.その後,津波痕跡データがある6つの地域において津波浸水計算を行い,用いたデータすべてを説明できるモデルを推定した.その結果,長さ250km,幅100km,すべり量80mが必要であることが分かった(Mw9.1).しかし、この断層モデルでは仙台平野において、浸水範囲が過大評価になっていることが分かった.そこで,断層を長さ100kmの北部と150kmの南部の2枚の矩形断層に分け、最適のすべり量を推定した。その結果,北部のすべり量は80mのままで、南部の断層のすべり量は40m程度で歴史史料と整合的な結果を得ることができた。その結果から推定された1611年慶長三陸津波地震のMwは9.0となった。上記の結果を2011年東北地方太平洋沖地震のすべり量分布と比較すると、今回80mの大すべりが推定された北部の断層は2011年東北地震ではすべっていないことが分かった。しかし、今回40mのすべりが推定された南部の断層は、2011年東北地震により大きくすべった場所と一致することが分かった。つまり、1611年慶長三陸津波地震で大きくすべった場所が2011年東北地方太平洋沖地震で再びすべったこととなる。さらに、869年貞観地震によりすべった場所が742年後に1611年慶長三陸津波地震ですべり、400年後に2011年東北地方太平洋沖地震によりすべったこととなる。太平洋プレートのこの地域での収束速度は1年間に約9cmであることを考えると742年後に60m程度すべる巨大地震が発生することは可能であり、1611年慶長三陸津波地震での40mのすべりは十分可能と思われる。さらに400年後には36mすべることが可能となるが2011年東地方太平洋沖地震の最大すべりは50m程度であり、少し大きすぎる。しかし、1611年慶長地震は津波地震であることなどから2つの巨大地震の詳細なすべり量分布が違っていると考えれば説明可能かもしれない。 参考文献蝦名裕一・今井健太郎,2014,史料や伝承に基づく1611年慶長奥州地震の津波痕跡調査,津波工学研究報告,第31号,p139-148蝦名裕一・高橋裕史,2014,『ビスカイノ報告』における1611年慶長奥州地震津波の記述について,歴史地震,第29号,p195-207