著者
青木 健 アオキ タケシ Takeshi AOKI
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.22, pp.69-76, 2022-03-31

本稿は、仏教がイラン高原西部まで及んでいたか否かを論じる試論である。仏教がイラン高原東部(現在のアフガニスタン)まで及んでいたことは、今更論じるまでも無い。この延長線上に、先行研究の一部は、ナウバハールの地名の普及、ゴータマ伝説の普及、イラン・イスラーム神秘主義の思想構造などを根拠として、仏教はイラン高原西部まで到達していたと結論している。しかし、この所説は、未だ定説にはなっていない。 そんな中、筆者は、ペルシア湾岸にある二つの石窟遺跡に注目した。チェヘル・ハーネ石窟とガルアテ・ヘイダリー石窟である。両者は、陸のシルクロードの沿線には無く、イラン高原東部で栄えた仏教遺跡と結び付けて論じるのは無理筋と感じられる。その代わり、ペルシア湾岸からスリランカを結ぶ海のシルクロードの要衝に位置しているので、今後は、インド洋に於ける仏教伝播の一齣として研究する必要があるのではないだろうか。