著者
青木 健一郎
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.50, no.6, pp.435-441, 1995-06-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
14

陽子,中性子,π中間子などのハドロンの物理はQCDによって記述されると現在我々は理解している.QCDにおいてハドロンは基本的構成要素であるクォークとグルオンの束縛状態である.ハドロンの物理をQCDの第一原理より理解することは本質的に相互作用の強い物理の問題であり,素粒子論の長年の課題の一つといえる.QCDでは構成する粒子とその相互作用を記述するラグランジアン,繰り込み可能性など形式的な理論の側面はわかっていながら,低エネルギーでの物理的状態の記述が第一原理より導けないという歯がゆい状況にある.QCDのダイナミックスの問題の多くは一般のケージ理論においても理解せねばならない問題である。この問題の普遍性は,テクニカラーなどの素粒子論のモデルがQCDの理解の上に構成されているだけではなく,物性理論でもしばしばゲージ理論が登場することからも明らかであろう.2次元QCDではハドロンの様々な性質を具体的に計算し,明らかにすることが可能であり,20年前よりQCDの振舞を理解するために数多くの研究がなされてきた.また,弦理論とQCDの関係を明らかにするという観点から現在も盛んに研究されている.昔も弦理論とQCDが関係あるのではないかということが指摘され,研究されていた.20年前に2次元QCDでどのような結果が得られていたのであろうか?また最近どのような新しい成果があり,いかなる研究がなされているのであろか?ということをこの解説では書いてみたい.
著者
三木 文雄 小林 宏行 杉原 徳彦 武田 博明 中里 義則 杉浦 宏詩 酒寄 享 坂川 英一郎 大崎 能伸 長内 忍 井手 宏 西垣 豊 辻 忠克 松本 博之 山崎 泰宏 藤田 結花 中尾 祥子 高橋 政明 豊嶋 恵理 山口 修二 志田 晃 小田島 奈央 吉川 隆志 青木 健志 小笹 真理子 遅野井 健 朴 明俊 井上 洋西 櫻井 滋 伊藤 晴方 毛利 孝 高橋 進 井上 千恵子 樋口 清一 渡辺 彰 菊地 暢 池田 英樹 中井 祐之 本田 芳宏 庄司 総 新妻 一直 鈴木 康稔 青木 信樹 和田 光一 桑原 克弘 狩野 哲次 柴田 和彦 中田 紘一郎 成井 浩司 佐野 靖之 大友 守 鈴木 直仁 小山 優 柴 孝也 岡田 和久 佐治 正勝 阿久津 寿江 中森 祥隆 蝶名林 直彦 松岡 緑郎 永井 英明 鈴木 幸男 竹下 啓 嶋田 甚五郎 石田 一雄 中川 武正 柴本 昌昭 中村 俊夫 駒瀬 裕子 新井 基央 島田 敏樹 中澤 靖 小田切 繁樹 綿貫 祐司 西平 隆一 平居 義裕 工藤 誠 鈴木 周雄 吉池 保博 池田 大忠 鈴木 基好 西川 正憲 高橋 健一 池原 邦彦 中村 雅夫 冬木 俊春 高木 重人 柳瀬 賢次 土手 邦夫 山本 和英 山腰 雅宏 山本 雅史 伊藤 源士 鳥 浩一郎 渡邊 篤 高橋 孝輔 澤 祥幸 吉田 勉 浅本 仁 上田 良弘 伊達 佳子 東田 有智 原口 龍太 長坂 行雄 家田 泰浩 保田 昇平 加藤 元一 小牟田 清 谷尾 吉郎 岡野 一弘 竹中 雅彦 桝野 富弥 西井 一雅 成田 亘啓 三笠 桂一 古西 満 前田 光一 竹澤 祐一 森 啓 甲斐 吉郎 杉村 裕子 種田 和清 井上 哲郎 加藤 晃史 松島 敏春 二木 芳人 吉井 耕一郎 沖本 二郎 中村 淳一 米山 浩英 小橋 吉博 城戸 優光 吉井 千春 澤江 義郎 二宮 清 田尾 義昭 宮崎 正之 高木 宏治 吉田 稔 渡辺 憲太朗 大泉 耕太郎 渡邊 尚 光武 良幸 竹田 圭介 川口 信三 光井 敬 西本 光伸 川原 正士 古賀 英之 中原 伸 高本 正祇 原田 泰子 北原 義也 加治木 章 永田 忍彦 河野 茂 朝野 和典 前崎 繁文 柳原 克紀 宮崎 義継 泉川 欣一 道津 安正 順山 尚史 石野 徹 川村 純生 田中 光 飯田 桂子 荒木 潤 渡辺 正実 永武 毅 秋山 盛登司 高橋 淳 隆杉 正和 真崎 宏則 田中 宏史 川上 健司 宇都宮 嘉明 土橋 佳子 星野 和彦 麻生 憲史 池田 秀樹 鬼塚 正三郎 小林 忍 渡辺 浩 那須 勝 時松 一成 山崎 透 河野 宏 安藤 俊二 玄同 淑子 三重野 龍彦 甲原 芳範 斎藤 厚 健山 正男 大山 泰一 副島 林造 中島 光好
出版者
Japanese Society of Chemotherapy
雑誌
日本化学療法学会雜誌 = Japanese journal of chemotherapy (ISSN:13407007)
巻号頁・発行日
vol.53, no.9, pp.526-556, 2005-09-25

注射用セフェム系抗菌薬cefozopran (CZOP) の下気道感染症に対する早期治療効果を評価するため, ceftazidime (CAZ) を対照薬とした比較試験を市販後臨床試験として実施した。CZOPとCAZはともに1回1g (力価), 1日2回点滴静注により7日間投与し, 以下の結果を得た。<BR>1. 総登録症例412例中最大の解析対象集団376例の臨床効果は, 判定不能3例を除くとCZOP群92.0%(173/188), CAZ群91.4%(169/185) の有効率で, 両側90%, 95%信頼区間ともに非劣性であることが検証された。細菌性肺炎と慢性気道感染症に層別した有効率は, それぞれCZOP群90.9%(120/132), 94.6%(53/56), CAZ群93.3%(126/135), 86.0%(43/50) で, 両側90%, 95%信頼区間ともに非劣性であることが検証された。<BR>2. 原因菌が判明し, その消長を追跡し得た210例での細菌学的効果は, CZOP群89.5%(94/105), CAZ群90.5%(95/105) の菌消失率 (菌消失+菌交代) で, 両群間に有意な差はみられなかった。個々の菌別の菌消失率は, CZOP群91.1%(113/124), CAZ群90.8%(108/119) で両群問に有意な差はみられなかったが, 最も高頻度に分離された<I>Streptococcus pneumoniae</I>の消失率はCZOP群100%(42/42), CAZ群89.5%(34/38) で, CZOP群がCAZ群に比し有意に優れ (P=0.047), 投与5日後においてもCZOP群がCAZ群に比し有意に高い菌消失寧を示した (P=0.049)。<BR>3. 投薬終了時に, CZOP群では52,4%(99/189), CAZ群では50.3% (94/187) の症例において治療日的が達成され, 抗菌薬の追加投与は不必要であった。治療Il的遠成度に関して両薬剤間に有意な差は認められなかった。<BR>4. 随伴症状の発現率はCZOP群3.9%(8/206), CAZ群5.0%(10/202) で両棊剤間に有意な差はなかった。臨床検査値異常変動として, CAZ群に好酸球増多がCZOP絆より多数認められたが, 臨床検査値異常出現率としては, CZOP群31.6% (65/206), CAZ群32.2% (65/202) で, 両群間に有意な差は認められなかった。<BR>以上の成績から, CZOPは臨床効果においてCAZと比較して非劣性であることが検祉された。また<I>S. pneumoniae</I>による下気道感染症に対するCZOPの早期治療効果が確認された。
著者
青木 健
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.3, pp.653-674, 2007-12-30 (Released:2017-07-14)

ゾロアスター教研究の資料には、六-一〇世紀に執筆された内部資料であるパフラヴィー語文献と、その他の言語による外部資料がある。外部資料の研究としては、ギリシア語・ラテン語、シリア語、アルメニア語、漢文、近世ヨーロッパ諸語などの資料ごとに纏まったコーパスがあるものの、アラビア語資料を用いた本格的な研究は依然としてなされていない。本論文は、アラビア語資料を完全に網羅した訳ではないが、ある程度の資料に当たって、アラビア語資料によるゾロアスター教研究の方向性を示した試論である。暫定的な結論として、サーサーン王朝時代のペルシア帝国領内のゾロアスター教は一枚岩ではなく、各地方ごとのゾロアスター教が存在したこと、パフラヴィー語文献は、そのうちのイラン高原南部のゾロアスター教を代表するに過ぎないこと、メソポタミアやイラン高原東部のゾロアスター教の実態は、却ってアラビア語資料から類推できることが判明した。
著者
青木 健
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.83, no.3, pp.837-860, 2009-12-30 (Released:2017-07-14)

本論文は、現在までのザラスシュトラ研究の回顧から出発する。近年の研究によって、ザラスシュトラ観には、時代と共に変遷があることが明らかにされた。特に、一〇〜一三世紀に、ザラスシュトラ観が転回したことが確認されている。だが、この時期はゾロアスター教の内在的な文献を欠き、シリア語・アラビア語文献に頼って研究を進めなくてはならない。而して、二〇世紀半ば以降、この時期のイスマーイール派ペルシア学派文献の校訂出版が相次いだ。そこで、本論文ではナサフィー・ラーズィー論争に関するアラビア語テキストを主に、ザラスシュトラ観が「神官から預言者へ」変わる過程を検証する。最後に、ラーズィーがシリア教会に倣ってザラスシュトラをセム的一神教の異端と位置付けようとしたのに対し、ナサフィーは彼をセム的一神教の預言者と捉えようとして論争した経緯を明らかにする。結局、後者がイスラーム世界での共通認識になってゆくのである。
著者
青木 健一
出版者
東京大学理学部
雑誌
東京大学理学部廣報
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.10-11, 1989-09
著者
青木 健
出版者
東京大学東洋文化研究所
雑誌
東洋文化研究所紀要 (ISSN:05638089)
巻号頁・発行日
vol.160, pp.127-224, 2011-12-22

A Persian treatise ‘Ulamā-ye Islām, whose origin is supposed to be the Pahlavi Edict by the Sasanian Prime Minister Mihr Narseh (5th CE) to force Armenian Christians to convert to Zoroastrianism at that time, i.e. Zurvanism, is the only surviving work from Zurvanite point of view. Although the Persian text is published in lithograph and print since 1820s, no critical editions exist thus far. To address this situation, I have collected independent MSS of that treatise both already known in Mumbai (3) and Navsari (1) and unknown in Tehran (2) and Hyderabad (1), then prepared the stemma codicum of ‘Ulamā-ye Islām and established an Urtext that could account for the variants. This process generated a number of findings, not confined to detailed textual issues, but including religious history. The Zurvanite thought expressed in this Urtext is quite resemble with Manichaeism in its Cosmology, Anthropology and Eschatology rather than Dualistic Zoroastrianism in Pahlavi Books written between the 9th and 10th centuries. If Zurvanism is allowed to speak for itself, it can tell us a great deal about the Religionsgeschichte in the Early Sasanian Persia which focuses on Zurvanism's unexpected much influence on Manichaeism in historical context.
著者
青木 健
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.79, no.1, pp.25-47, 2005-06-30

本稿の目的は、古代のパフラヴィー語文献資料と、現代イランの現地調査を総合して、ゾロアスター教における聖地の概念を明確にすることにある。先ず、文献資料から、古代ゾロアスター教の聖地は、(1)「移動・純粋聖火型」と(2)「定着・他信仰融合型」に分類できることが指摘される。しかし、それぞれのケースは、ゾロアスター教史上、謎めいた展開を遂げている。次に、イランの現地調査から、現代ゾロアスター教の聖地は、(1)「神官レベルでの聖地」と(2)「平信徒レベルでの聖地」に分類できることが指摘される。そして、これらの各聖地は、古代の(1)、(2)と密接な関係があると類推された。ここに、古代の文献データと現代の現地調査データをリンクさせる根拠がある。その結果、(1)系の聖地は、ゾロアスター教の教義に忠実だが、神官団だけの占有物であり、(2)系の聖地は、イランの民間信仰に聖火を被せたものであることが立証された。古代から現代に至るまで、ゾロアスター教の聖地は大きくこの二系統で構成されているのである。
著者
林 大輔 青木 健 柴田 瑠美子 市川 邦男
出版者
一般社団法人 日本アレルギー学会
雑誌
アレルギー (ISSN:00214884)
巻号頁・発行日
vol.59, no.12, pp.1628-1633, 2010-12-30 (Released:2017-02-10)
参考文献数
10

症例は6歳男児.現在までにアサリ以外は貝類を含む食物のアレルギーはない.2歳よりアサリ摂取後に嘔吐を繰り返しているため近医を受診したが,アサリ特異的IgEが陰性であり,精査のため当院に紹介された.アサリ特異的IgEは1.04UA/mlでスキンプリックテストは膨疹径4mmであった.生アサリによるパッチテストは陽性,リンパ球刺激試験も陽性(5305cpm,SI=1211%)であった.ゆでたアサリによる経口負荷試験では摂取2時間後に腹痛と嘔吐が出現,末梢血好中球数も負荷前の2924/μlから負荷6時間後に16082/μlまで増加した.これらの検査所見よりアサリによるFood protein enterocolitis syndrome(FPEIS)と診断した.現在まで貝類によるFPIESの報告はなく,本報告が初となる.
著者
青木 健
出版者
東京大学東洋文化研究所
雑誌
東洋文化研究所紀要 (ISSN:05638089)
巻号頁・発行日
vol.158, pp.78-166, 2010-12-24

The Persian treatise, ‘Ulamā-ye Islām, whose origin is supposed to be the Pahlavi Edict by the Sasanian Prime Minister Mihr Narseh (5th CE) to force Armenian Christians to convert to Zoroastrianism at that time, i.e. Zurvanism, is the only surviving work from a Zurvanite point of view. Although the Persian text has been published in lithograph or print form since the 1820s, no critical editions exist thus far. To address this situation, I have collected independent MSS of that treatise both already known in Mumbai (3) and Navsari (1) and unknown in Tehran (2) and Hyderabad (1), and I have prepared the stemma codicum of ‘Ulamā-ye Islām and established an Urtext that could account for the variants. (改行) This process generated a number of findings, not confined to detailed textual issues, but including religious history. The Zurvanite thought expressed in this Urtext is quite resemblant of Manichaeism in its Cosmology, Anthropology and Eschatology, rather than Dualistic Zoroastrianism in Pahlavi Books written between the 9th and 10th centuries. If Zurvanism is allowed to speak for itself, it can tell us a great deal about the Religionsgeschichte in Early Sasanian Persia which focuses on Zurvanism’s unexpected but great influence on Manichaeism in historical context.
著者
青木 健
出版者
東京大学東洋文化研究所
雑誌
東洋文化研究所紀要 (ISSN:05638089)
巻号頁・発行日
vol.147, pp.192-141, 2005-03

The Dēnkard is one of the most voluminous Zoroastrian Book Pahlavī literature, edited by Zoroastrian high priests, Ādurfarrōbay-ī Farroxzādān and Adurbād-ī Ēmēdān in the 9^&lt;th&gt; and 10^&lt;th&gt; centuries. Here presented is an annotated transcription and Japanese translation of its third volume, which consists of 420 polemics against bad religions-Manichaeism, Judaism and Islam. Our process of preparing this translation can be divided into two steps. 1. The late Prof. Gikyō ITŌ made a Pahlavī letters' transcription and its Japanese translation preciously corresponding to Madan's Dēnkard edition. Unfortunately, however, he passed away before completion this work. 2. After Gikyō ITŌ's death, Takeshi AOKI made his work up-to-date, and added ① linguistic commentaries on Pahlavī letters' transcription and ② religious commentaries on Japanese translation. This time we can print only the 10^&lt;th&gt; chapter to the 26^&lt;th&gt; chapter, but we hope publishing serially the whole transcription and translation of the Dēnkard Book III in this Memoirs.
著者
林 大輔 青木 健 柴田 瑠美子 市川 邦男
出版者
一般社団法人 日本アレルギー学会
雑誌
アレルギー (ISSN:00214884)
巻号頁・発行日
vol.59, no.12, pp.1628-1633, 2010

症例は6歳男児.現在までにアサリ以外は貝類を含む食物のアレルギーはない.2歳よりアサリ摂取後に嘔吐を繰り返しているため近医を受診したが,アサリ特異的IgEが陰性であり,精査のため当院に紹介された.アサリ特異的IgEは1.04UA/mlでスキンプリックテストは膨疹径4mmであった.生アサリによるパッチテストは陽性,リンパ球刺激試験も陽性(5305cpm,SI=1211%)であった.ゆでたアサリによる経口負荷試験では摂取2時間後に腹痛と嘔吐が出現,末梢血好中球数も負荷前の2924/μlから負荷6時間後に16082/μlまで増加した.これらの検査所見よりアサリによるFood protein enterocolitis syndrome(FPEIS)と診断した.現在まで貝類によるFPIESの報告はなく,本報告が初となる.
著者
青木 健
出版者
東洋史研究会
雑誌
東洋史研究 (ISSN:03869059)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.614-583, 2006-12

This study begins with a reexamination of the research of S. Wikander that was conducted 60 years ago on the geographical transition of the iconography of the imperial ideology of the Sassanian kingdom. The study also incorporates the achievements of research on Zoroastrianism, from Wikander to the present day, and then hypotheses that the reason that the Sassanid kings moved their place of pilgrimage to Azerbaijan after the 5th century was associated with the sacred fire, Adur Gusnasp, in Siz and the imperial throne, Takht-i Taqdis. The author has drawn upon evidence from archaeological and written material (in Pahlavi, Arabic, and early-modern Persian) and art historical hypotheses, to create a compilation of fact, legend, and theories on both. As a result, I was able to come up with a chronology based on the weight of the facts. In addition, I sought the reasons for the changes seen in the chronology in light of advances in the study of Zoroastrianism since the time Wikander. As a result the following prospect on the holy fire and the sacred throne were attained. Firstly, the author conjectures that as regards the holy fire, Adur Gusnasp, there was a relationship in which "changes in Zoroastrian thought" resulted in the "modification in imperial ideology of the Sassanid kingdom." In short, there was a chain of influence during the 5th century, from the "linking of the legend of the founder to of Azerbaijan" to "royal pilgrimage to Azerbaijan after the king's enthronement" to the "iconoclastic movement" and finally to the "destruction of stone relief of Xwarnah, symbolizing the right to rule" and the "increase in the importance of the sacred fire of Adur Gusnasp." As regards Takht-i Taqdis on the other hand, it appears to have been a temporary phenomenon based on the initiative of Khosrow II, and I am unable to posit any influence of Zoroastrian thought. The imperial throne can be thought of as an artifact of the attempt by Khosrow II, who held a firm grasp on imperial legitimacy inherited from his grandfather Khusrow I to construct his own imperial ideology free from Zoroastrian thought by highlighting the glory of his military exploits. However, due to a lack of detailed records, it was impossible to specify just what the nature of ideology that might have been.
著者
青木 健
出版者
東京大学東洋文化研究所
雑誌
東洋文化研究所紀要 (ISSN:05638089)
巻号頁・発行日
vol.158, pp.78-166, 2010-12-24

The Persian treatise, ‘Ulamā-ye Islām, whose origin is supposed to be the Pahlavi Edict by the Sasanian Prime Minister Mihr Narseh (5th CE) to force Armenian Christians to convert to Zoroastrianism at that time, i.e. Zurvanism, is the only surviving work from a Zurvanite point of view. Although the Persian text has been published in lithograph or print form since the 1820s, no critical editions exist thus far. To address this situation, I have collected independent MSS of that treatise both already known in Mumbai (3) and Navsari (1) and unknown in Tehran (2) and Hyderabad (1), and I have prepared the stemma codicum of ‘Ulamā-ye Islām and established an Urtext that could account for the variants. (改行) This process generated a number of findings, not confined to detailed textual issues, but including religious history. The Zurvanite thought expressed in this Urtext is quite resemblant of Manichaeism in its Cosmology, Anthropology and Eschatology, rather than Dualistic Zoroastrianism in Pahlavi Books written between the 9th and 10th centuries. If Zurvanism is allowed to speak for itself, it can tell us a great deal about the Religionsgeschichte in Early Sasanian Persia which focuses on Zurvanism’s unexpected but great influence on Manichaeism in historical context.
著者
藤田 正典 青木 健 井ノ上 寛人 寺野 隆雄
出版者
人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集 (ISSN:13479881)
巻号頁・発行日
vol.31, 2017

本研究では,生命科学分野を事例として,科学技術振興機構(JST)が提供する学術文献データから構成される共著ネットワークを分析することで将来有望と思われる研究者を探索する手法を提案する.共著ネットワークにおける中心性の高い研究者を優秀な研究者と定義し,中心性の時間の推移による研究者の成長過程を分析することにより,有望な研究者を探索するとともに,有望な研究者の特性を明らかにすることを目指す.