- 著者
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ウィニッチャクーン トンチャイ
- 出版者
- 一般財団法人 アジア政経学会
- 雑誌
- アジア研究 (ISSN:00449237)
- 巻号頁・発行日
- vol.66, no.2, pp.52-55, 2020-04-30 (Released:2020-06-09)
- 参考文献数
- 13
タイでは2006年と14年にクーデターがあり、民主主義は明らかに後退している。しかし19年3月に行われた選挙の結果を見ると、タイ人の半数近くは非民主主義的な政治指導者を支持しているように見える。彼らは、民主主義を支持しないだけでなく、民主主義を恐れている。本稿では、タイで民主主義を恐れているのはどのような人たちで、なぜ彼らは民主主義を恐れるのかについて考察する。1992年以降のタイの民主主義は、王党派民主主義(royalist democracy)であった。議会制民主主義の形態をとってはいたものの、重要な政策決定や人事について、王党派のエリートたちがインフォーマルながら非常に大きな影響力を行使していた。この王党派民主主義は、1960年代から80年代の軍事政権下の経済成長によって所得を向上させたバンコクの中間層からも支持された。本稿では、彼らのことを「旧来の都市中間層」と呼ぶ。これに対し、1990年代以降の経済成長の過程で徐々に生活水準と教育水準が向上し、政治に対する関心を高め、地方分権や経済成長の成果のより公平な分配を求めるようになった地方在住の人たちのことを本稿では「新興中間層」と呼ぶ。地方の新興中間層の多くは、官僚組織よりも、議会政治家の方が自分たちの声に耳を傾けてくれ、経済成長の成果の地方への分配に積極的であると感じた。地方の新興中間層の強い支持を受けたタクシンが2001年と05年の選挙で圧勝すると、王党派民主主義の支持者たちは、この新しいタイプの民主主義に脅威を感じるようになった。数の上では不利な王党派民主主義の支持者たちは、タイの国民の多くは依然として教育水準が低く、議会政治家はあまりに腐敗しているため、一人一票原則に基づく議会制民主主義はタイの現状にも伝統文化にもそぐわないと主張するようになった。グローバリゼーションが進む中、タイが国益を損なうことなく、独立を守り、繁栄を続けるためには、軍と王室が支持する「賢人」に国政をまかせる「タイ式民主主義」が必要だと彼らは考える。2006年と2014年のクーデターは、そのような「タイ式民主主義」を復活させるために行われたものである。「タイ式民主主義」を支持するタイのエリート層と旧来の中間層は、グローバリゼーションがタイ経済にもたらした恩恵を享受してきてはいるが、1997年の金融危機で苦い経験をしたこともあって、新自由主義に対して、不安と脅威も感じている。彼らは、タイ経済がグローバル化する過程で、地方の新興中間層が政治的発言力を強めたことに恐怖を抱いてもいる。グローバリゼーションは、タイのエリート層と旧来の中間層を民主主義恐怖症に陥らせる一方で、民主化を求める地方の新興中間層の潜在的政治力を高めてもいるのである。タイにおける近年の民主主義の後退が一時的なものであることを願うが、近年の民主主義の後退の過程で、タイでは民主主義を支えるべき制度が大きく傷ついており、民主主義が健全に育つにはかなりの時間がかかるかもしれない。深まってしまった社会的亀裂はすぐには癒えそうにない。王室と共存関係にある軍による政治支配は、外見だけは民主主義の装いをして今後もしばらくは続くかもしれない。しかし王室と軍との共存関係が今後どれくらい続くかを現時点で判断することは難しい。