著者
ウィリアムズ フィリップ
出版者
日本比較文学会
雑誌
比較文学 (ISSN:04408039)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.158-134, 1972

<p> 文学史家、比較文学者、英米文学を教える人たちは、ウォルト・ホイットマンとT・S・エリオットが根本的に反対の立場にあることを長い間当然のことと考えて来た。ホイットマンは愛国的アメリカ人、民衆の詩人、ローマン派の詩人、民主党員、自由詩と信仰の自由の声と目されている。エリオットは、その反対と見做されている。アメリカ生れで英国人に帰化した人、学者の詩人、古典主義者で、王党員で、芸術に於けると同様信仰に於いても正統派と目されている。他の近代の詩人たちは、全く対照をなすホイットマン詩派とエリオット詩派、すなわち『民衆の詩人』対『形而上詩人』の流れを汲む詩人であるとしばしば考えられる。このように割り切って概括する仕方のいくつかに重要な真理があるが、一方もっと根本的な点で両詩人は基盤的な考えが一致し、多くの手法の点で結ばれていることを観察することこそ重要であると思われる。ホイットマンとエリオットとを互に対抗させて大ざっぱな総括を試みることは従来行われてきたが、これは不当である。何故なら両詩人とも簡単に割り切れない、複雑な詩人だからである。矛盾やパラドックスは両詩人ともに重んじる所であり、彼らの作品を簡単に割り切ることが従来行われてきたが、これは両詩人についての重要な真実をあいまいなものにしてしまう。</p><p> ホイットマンとエリオットは抽象的な考え方で絶えず比較されるけれども、彼等の作品の詳細な比較研究は驚くほど乏しい。従来なされた一つの重要な研究である、S・マスグローブの「T・S・エリオットとウォルト・ホイットマン」(S.Musgrove,<i>T.S.Eliot and Walt Whitman</i>, Wellington, New Zealand, 1952)に於いて、この著者はエリオットがホイットマンの特徴であるイメージや一般的な方法を意識的に、また無意識的に用いた色々な例を注意深く調査し指摘している。しかしマスグローブはただホイットマンの拒絶をエリオットの心中に働く動機と見ている。今から二十年前のこの研究に蒐集された学問的資科は明らかに両詩人の重要な相互依存を示しているが、事実ホイットマンとエリオットは想像以上に多くの一致点があることはまだ示されないままになっている。すなわち両詩人は、聖書に基づく一つの根本的な伝統の二つの声であり、聖書はこの二人の大詩人にとって、形式と思想と、この双方の最大の、唯一の源泉である。</p><p> 両詩人は瞑想の様式に基づく一つの方法を用いていること、音楽的構造(「詩篇」におけるようなパラレリズム)を用いていること、二人はシンボリズム(隠喩から神話にまで及ぶ)を用いたこと、語彙(ごい)―そのすべては聖書の詩歌から直接引き出されている―の共同の貯えを分け合ったことが、本論文の主題である。さらに重要なことは、人間の性質や運命や歴史の意味に就いて両詩人が抱いている共通の考えは聖書から、そして時間と永遠についての聖書の解釈から導かれた。人の一生は、ホイットマンとエリオット、この両詩人の重要な詩に於いて、精神の探険の旅と見られている。魂の旅の目的地は、自然の時の中に―自然界的宇宙的時の中に―社会経験の時の中に―歴史的時の中に―「静かな点」における瞬間の中に―実存的時の神秘な経験の時の中に、意味を見出すことである。(これらの分け方はNicolas Berdyaevの著作に直接示されている。)本論文では両詩人の基本的な作品を研究して、これらの主題が、ホイットマンの「私自身の歌」("song of Myself")とエリオットの「四つの四重奏曲」("Four Quartets")―多くの基本的なイメージとシンボルをともに用い、現世の経験の中に永遠の意味を発見する点で、ともに一致している長い詩―のような詩に、どのように支配的な力をもっているかを明らかにする。</p><p> 彼らの詩のすべてにわたって、その中心を占める人間の愛というテーマに対する彼らの関心において、エーリッヒ・アウァーバッハ(Erich Auerbach)が明らかにしたように、聖書との一致をわれわれは見出す。ホイットマンの初期の作品は、罪の意識を否定して、新らしい宗教を求めるように見えた。しかし、彼の後期の作品は、直ちに聖書の伝統に合致することが最後にわかる。例えば、「コロンブスの祈り」("Prayer of Columbus")を參照されたい。エリオットの作品における一つの変化は、彼が後期になるとアメリカ的素材を後の詩作においてますます多く使用していることである。反対に、「インドへの航路」("Passage to India")に見られるように、ホイットマンは最後にはずっと多く国際的な色彩を帯びてきた。―これが両詩人のもう一つの一致点である。今日我々にとって、ホイットマンをエリオットから深く影響を受けた一つの伝統の中において始めて理解できるのである。しかし他方に於いて、ホイットマンはエリオットの現在であるところの過去の一部である。ホイットマンとエリオットの作品を正しく理解するためには、われわれは両詩人に敏意を表し、かれらを一つの伝統の二つの面と見なければならない。(福田英男訳)</p>
著者
ジョンソン モーリス 北垣 宗治 ウィリアムズ フィリップ
出版者
日本比較文学会
雑誌
比較文学 (ISSN:04408039)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.176-156, 1977

<p> ジョナサン・スウィフトが『ガリバー旅行記』を書く準備のために、旅行に関する本を調べたこと、そしてそのような本が彼の蔵書の中にあったということはよく知られているが、彼の日本の扱い方については、あまり研究がなされていない。ガリバーの最初の三つの航海のいずれにおいても言及されているが、日本は、第三回目の航海では、異国風の名前をもった想像上の国の中の一つの実在の国として、意味ありげに扱われている。われわれは、リリパット(小人国)、ブロブディングナグ(大人国)、フウィヌム国渡航記も、日本に関する著作からヒントを得ているということを示すつもりだが、この論文においてわれわれの関心の中心となるのは、「ラピュタ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリップおよび日本渡航記」である。</p><p> 第一部ではラガード・アカデミーの自動文字盤をエンゲルバート・ケンプファーの『日本誌』に印刷された十七世紀の仮名の表によって解明したい。ガリバーの文字盤には日本の仮名文字が使われていることがわかる。</p><p> 第二部では、スウィフトが、実際の日本旅行についての歴史的材料を用いることによって、彼の冒険の中に見られるいくつかのもっとも想像力豊かな要素だけでなく、特にガリバーの性格づけの指針を得ているという証拠を示したい。</p><p> ケンプファーとウイリアム・アダムズという二人の十七世紀の日本旅行者から、一人の人物を引き出してみると、ガリバーに非常に近い人物となる。われわれが合成によってつくり出したガリバーは、英語を話す船乗りで、彼は「オランダ人」となり、海や見知らぬ土地で長い年月痛ましい経験をし、最後に日本へとたどり着く。尋問を受けた後、江戸へ連行され、数々の経験を重ねた後「国王」に西洋の事情を報告するものとなり大砲や船の作り方を教えて重用され、遂には日本の衣服や風習、さらには結婚生活にも慣れ、英国に戻る気持を完全になくしてしまう。</p><p> ケンプファーとパーチャスは、すぐれた「馬」の島と同様に、小人国や「ヤフー」を思わせる人間の島についての報告のよりどころともなっている。彼らの記録には、ガリバーの旅行記と合致する、都市の形態や大きさ、ガラス製品に対する反応、政府の政策といった、数多くの類似点が見られるのである。(佐々木肇・訳)</p>