著者
北垣 宗治
出版者
同志社大学
雑誌
キリスト教社会問題研究 (ISSN:04503139)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.103-125, 2008-02

論説アメリカン・ボードの宣教師オーティス・ケーリ(Otis Cary,1851-1932)が自分の子供たちのために書いた自伝的手記を重点的に紹介する。故郷Foxboroにおける家庭環境、高校、アーモスト大学、アンドーヴァー神学校、岡山と京都における宣教師時代を概観し、特に南北戦争の影響、新島襄との関係に着目しつつ、この手記の意義を論述した。
著者
北垣 宗治 Muneharu Kitagaki
出版者
同志社大学同志社社史資料センター
雑誌
同志社談叢 (ISSN:03897168)
巻号頁・発行日
no.34, pp.1-33,図巻頭8-10, 2014-03

資料紹介(Historical Document)
著者
ジョンソン モーリス 北垣 宗治 ウィリアムズ フィリップ
出版者
日本比較文学会
雑誌
比較文学 (ISSN:04408039)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.176-156, 1977

<p> ジョナサン・スウィフトが『ガリバー旅行記』を書く準備のために、旅行に関する本を調べたこと、そしてそのような本が彼の蔵書の中にあったということはよく知られているが、彼の日本の扱い方については、あまり研究がなされていない。ガリバーの最初の三つの航海のいずれにおいても言及されているが、日本は、第三回目の航海では、異国風の名前をもった想像上の国の中の一つの実在の国として、意味ありげに扱われている。われわれは、リリパット(小人国)、ブロブディングナグ(大人国)、フウィヌム国渡航記も、日本に関する著作からヒントを得ているということを示すつもりだが、この論文においてわれわれの関心の中心となるのは、「ラピュタ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリップおよび日本渡航記」である。</p><p> 第一部ではラガード・アカデミーの自動文字盤をエンゲルバート・ケンプファーの『日本誌』に印刷された十七世紀の仮名の表によって解明したい。ガリバーの文字盤には日本の仮名文字が使われていることがわかる。</p><p> 第二部では、スウィフトが、実際の日本旅行についての歴史的材料を用いることによって、彼の冒険の中に見られるいくつかのもっとも想像力豊かな要素だけでなく、特にガリバーの性格づけの指針を得ているという証拠を示したい。</p><p> ケンプファーとウイリアム・アダムズという二人の十七世紀の日本旅行者から、一人の人物を引き出してみると、ガリバーに非常に近い人物となる。われわれが合成によってつくり出したガリバーは、英語を話す船乗りで、彼は「オランダ人」となり、海や見知らぬ土地で長い年月痛ましい経験をし、最後に日本へとたどり着く。尋問を受けた後、江戸へ連行され、数々の経験を重ねた後「国王」に西洋の事情を報告するものとなり大砲や船の作り方を教えて重用され、遂には日本の衣服や風習、さらには結婚生活にも慣れ、英国に戻る気持を完全になくしてしまう。</p><p> ケンプファーとパーチャスは、すぐれた「馬」の島と同様に、小人国や「ヤフー」を思わせる人間の島についての報告のよりどころともなっている。彼らの記録には、ガリバーの旅行記と合致する、都市の形態や大きさ、ガラス製品に対する反応、政府の政策といった、数多くの類似点が見られるのである。(佐々木肇・訳)</p>
著者
北垣 宗治
出版者
日本英学史学会
雑誌
英学史研究 (ISSN:03869490)
巻号頁・発行日
vol.1999, no.31, pp.111-132, 1998 (Released:2009-09-16)

In the summer of 1988 I happened to discover the existence of an address-book entitled “Japanese in Boston : 1871-1876” -kept in the rare book section of the Boston Public Library. Apparently the notebook was kept by Charles Knapp Dillaway, one time Principal of Boston Latin School. Seventy-eight Japanese names are listed, of which four are duplicates due to confusion of family and given names. Of the 74 names, 65 have been so far identified. Actually we find such “big” names as : Dan Takuma, Izawa Shuji, Kaneko Kentaro, Komura Jutaro, Megata Tanetaro, Okabe Nagamoto, Tomita Tetsunosuke, and Yamakawa Kenjiro. Others are less wellknown, but still identifiable. Usually the name is accompanied by his address, together with other information such as his dates of arrival and departure, present whereabouts, and names of his friends. Thus the notebook, herewith textualized for the first time by courtesy of the Trustees or the Boston Public Library, may offer useful information for historians who are interested in the early Japanese who went to Boston and other American cities for study or inspection-in search of new knowledge and technology for new Japan.