- 著者
-
クウィーラダーヴィト= ドミニク
- 出版者
- 九州大学大学院比較社会文化研究院
- 雑誌
- 障害史研究
- 巻号頁・発行日
- no.2, pp.15-39, 2021-03-25
本稿は、社会思想史の視座に立ち、子どもを例に上げて、〈障害者〉をめぐる見識や見解の歴史的多様性に関してより深く、多面的な理解の実現に寄与すべき試論である。 / 前近代の日本社会において「不具」や「片輪」、もしくは「異形」、「奇形」などと称されていた、身体の構造不全や形態異常、あるいは身心的機能上の不足や欠如のある子どもたち、〈障害児〉や〈奇形児〉の宿命については、既に研究がなされてきているが、親による遺棄、社会的排除を中心として、ネガティブな側面のみに着目したものが主流となっている。特に「異児」の遺棄に対しては、明治時代を迎えるまで〈罪意識〉や〈罪悪感〉は殆んどなかったという見方が現在も通説となっている。 / 日本国内においても進んできたDis/ability History研究という新分野の開拓に伴い、近年より、前近代における〈障害〉という現象の捉え方についてのイメージを問い直す必要性を指摘する声が徐々に上がってきてはいるが、近現代と比較すると、前近代についてはまだ解明し難い論点が多く残されている。 / 江戸時代に関しては、従来の日本近世史研究では、人口史や社会経済史、庶民生活史、児童史研究等により、〈捨て子〉や〈子殺し〉といった社会的事象は、これまでも多く論考されてきたテーマであり、〈障害児〉や〈奇形児〉を含めて研究が少なくない。それらの研究は捨て子や子殺しの原因や理由についてまでは言及されているが、そういった行為が〈障害児〉らに対してなされた場合、どのようにみなされ、認識されていたのかについては、未だ解析されていないままである。当時の一部の知識人(主に国学者、儒医として活躍した儒学者、さらに僧侶等)が書き残した史料の中に、特に江戸中・後期に渡り、遺棄を勧めた声の他に、養育の義務を重要視とした理論的見地が見出せ、その両方を本論の主たる分析対象としたい。