著者
クリストファー リン
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要
巻号頁・発行日
no.7, pp.167-174, 2014

精神の概念には、一つの国や地域の人々の思想である。それは、長い時間をかけて積み重ねられた文化の一部である。親や先輩の教え、育った環境の影響、幼い頃から自然に染み込んだ思想概念、倫理と道徳などを含め、多くの人が認める共通の価値観ともいえる。アジア地域には華夏文化の儒釈道を中心にすえた、「五常」「八徳」「四維八徳」などの思想がある。ヨーロッパ地域には、民族の精神の一つ「騎士道」が存在している。他の地域にも多数の精神が存在している。いずれも地域の文化と歴史に沿って、長い年月をかけて育まれた民族精神である。現代社会は、経済的な国の発展を求めている。一方、人々の倫理道徳の欠如が問題になってきている。今後、文化精神を後世に伝達していくことが重要であると考え、民族の精神として人間社会において大切に受け継がれていくべきものである。本研究は同様に日本においては代表的な精神概念の一つとして武士道があげられる。武士道精神は時代の変遷によって、社会に受け取る変容を考察する。メディア技術の進歩が著しい現代、メディアの種類が増えるにつれて表現手段が増え、抽象的な精神概念を表現することが以前より可能になった。ここで映画のメディアを取り上げ、研究の資料として研究を展開する。映画は、芝居、音楽、服飾、照明、背景、映像など、複数の要素を含むメディアである。映画は抽象的な精神概念を具体的に表現することを可能と考えた。例えば、どんなことが起こっても、決して仲間を見捨てられない、ある場面で仲間は握手したり、笑顔で向き合い話したり、合い言葉を言ったりなどの演出で仲間の絆、友情や信頼を表現する。又は、敵討ち場面で登場人物は、敵の前に激怒な表情で叫ぶ、無慈悲なやり方で相手を斬る演出は恨み、憎悪を表現する。この様に映画は抽象的なことを具体的に表現できると考えられていた。武士道精神も抽象的な概念なので、映画のメディアを研究の情報発信メディアとして取り上げる。映画コンテンツにおいては、作品がよくリメイクされている。例えば、シェイクスピアの台本『ロミオとジュリオット』を題材として用いられ、リニューアルやストーリーの再創作などのリメイクの手法を使って幾度も映画化されている。日本映画においても、2000年以降、小林正樹が製作した『切腹』をはじめ、50年代後半から60年代前半に作られた多数の時代劇映画がリメイクされている。リメイク版が製作される理由としては、次のようなことが挙げられる。まず、原作自体が優れた普遍的な価値を持っていると考えられる。その価値を現代及び後世の人々にまで伝えたいと願う製作者もいる。次に、よく知られたストーリーは観客の興味を呼びやすく興行収入が上がりやすい。観客にとっては前作と比較するという楽しみもある。更に製作者にとっては、前作が作られた時代にはなかった映像技術を駆使したり、前作とは違う独自のアイディアを取り入れたりして、前作を超える作品を世に問うことができる。本研究は二本の『十三人の刺客』を取り上げオリジナル版とリメイク版を比較し、武士道精神の時代性の変遷や社会の人々の受け取り方がどう変わってきているのかを映画での表現を通して考察する。
著者
クリストファー リン
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要
巻号頁・発行日
no.7, pp.167-174, 2014

精神の概念には、一つの国や地域の人々の思想である。それは、長い時間をかけて積み重ねられた文化の一部である。親や先輩の教え、育った環境の影響、幼い頃から自然に染み込んだ思想概念、倫理と道徳などを含め、多くの人が認める共通の価値観ともいえる。アジア地域には華夏文化の儒釈道を中心にすえた、「五常」「八徳」「四維八徳」などの思想がある。ヨーロッパ地域には、民族の精神の一つ「騎士道」が存在している。他の地域にも多数の精神が存在している。いずれも地域の文化と歴史に沿って、長い年月をかけて育まれた民族精神である。現代社会は、経済的な国の発展を求めている。一方、人々の倫理道徳の欠如が問題になってきている。今後、文化精神を後世に伝達していくことが重要であると考え、民族の精神として人間社会において大切に受け継がれていくべきものである。本研究は同様に日本においては代表的な精神概念の一つとして武士道があげられる。武士道精神は時代の変遷によって、社会に受け取る変容を考察する。メディア技術の進歩が著しい現代、メディアの種類が増えるにつれて表現手段が増え、抽象的な精神概念を表現することが以前より可能になった。ここで映画のメディアを取り上げ、研究の資料として研究を展開する。映画は、芝居、音楽、服飾、照明、背景、映像など、複数の要素を含むメディアである。映画は抽象的な精神概念を具体的に表現することを可能と考えた。例えば、どんなことが起こっても、決して仲間を見捨てられない、ある場面で仲間は握手したり、笑顔で向き合い話したり、合い言葉を言ったりなどの演出で仲間の絆、友情や信頼を表現する。又は、敵討ち場面で登場人物は、敵の前に激怒な表情で叫ぶ、無慈悲なやり方で相手を斬る演出は恨み、憎悪を表現する。この様に映画は抽象的なことを具体的に表現できると考えられていた。武士道精神も抽象的な概念なので、映画のメディアを研究の情報発信メディアとして取り上げる。映画コンテンツにおいては、作品がよくリメイクされている。例えば、シェイクスピアの台本『ロミオとジュリオット』を題材として用いられ、リニューアルやストーリーの再創作などのリメイクの手法を使って幾度も映画化されている。日本映画においても、2000年以降、小林正樹が製作した『切腹』をはじめ、50年代後半から60年代前半に作られた多数の時代劇映画がリメイクされている。リメイク版が製作される理由としては、次のようなことが挙げられる。まず、原作自体が優れた普遍的な価値を持っていると考えられる。その価値を現代及び後世の人々にまで伝えたいと願う製作者もいる。次に、よく知られたストーリーは観客の興味を呼びやすく興行収入が上がりやすい。観客にとっては前作と比較するという楽しみもある。更に製作者にとっては、前作が作られた時代にはなかった映像技術を駆使したり、前作とは違う独自のアイディアを取り入れたりして、前作を超える作品を世に問うことができる。本研究は二本の『十三人の刺客』を取り上げオリジナル版とリメイク版を比較し、武士道精神の時代性の変遷や社会の人々の受け取り方がどう変わってきているのかを映画での表現を通して考察する。