著者
房 瑞祥
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要
巻号頁・発行日
no.10, pp.131-132, 2017

本稿は、中国古典文学『西遊記』における孫悟空の例を通して、日中における孫悟空の映像表現の相違とその背景を示すことを試みるものである。制作された時代や国によって孫悟空の表現描写は異なっている。孫悟空のキャラクターは、骨格、顔の造り、衣服、道具、彩色などの外的要素と、性格やセリフなどの内的要素によって構築されているが、制作された時代を反映する文化的あるいは社会的な影響が、孫悟空という共通キャラクターにも少なからず寄与している。『西遊記』が多く映像化されてきたのは、常に大衆受けする題材であったことや、映像技術の進歩と共に原典の映像表現が変化することなどから、時代性と関連づけられた題材として適合していたことなどが考えられる。本研究では、中国アニメ『西遊記之大聖帰来』(2015年)と日本アニメ『ドラゴンボール』(1984年)を通して、日中における孫悟空のキャラクター設定を比較し、原典小説『西遊記』で表現されている孫悟空との相違点を考察することにより古典小説の映像化におけるキャラクターの時代性の影響を明らかにすることを目的とした。西遊記の原典『元本西遊記』(14世紀)における孫悟空は、本来の主人公である玄奘三蔵をしのぐ活躍を見せており、非常に人気の高いキャラクターとなっていた。『西遊記』における悟空像の変化は、取経の旅を通じて、いかに自己改善を成し遂げていったかを描いたものと理解できる。『西遊記之大聖帰来』の孫悟空では、馬面の猿の顔に、革製の鎧を身に着けた長身となる。徹底的に無表情で、挫折感と反発心のみを強く抱いた、現代的なニヒリストの風貌である。中年の悟空と7歳の江流児がペアになるという奇想天外な設定で、原典『西遊記』からは大幅に離脱している。法力を失った昔日の戦士であり、冷たく、気性が荒く、それでいて心の奥底に捨て難い義侠心を秘めている。危険に出会うと、善良と正義の心で仲間を救助し、仲間の守護者になっている。『ドラゴンボール』における孫悟空は、黒髪の特徴的な髪型をしており、元気で明るく、朗らかな性格であり、誰からも好かれている。理不尽な目にあっても、大抵の事を「ま、いいか」の一言で済ますなど、あまり物事を深くは考えない。心が清らかでないと乗れないという「筋斗雲」に乗ることが可能であるなど、非常に無邪気な性質を持つ。常に自然体で、戦闘や緊急時にはシビアな対応を取り、かつ分け隔てない面がある。圧倒的な戦闘力と清らかな心により、地球、ひいては全宇宙を救う。孫悟空といえば、筋斗雲で飛び回る自由な印象を受けるが、敵をなぎ倒す力強さによって人の心を掴んでいる。それに加えて更なる自由や力を求める精神、仲間思いの心、機転とユーモアなどは孫悟空を理想のヒーローにまで引き上げている。孫悟空が幅広い層に受け入れられた大きな要因は、不自由な社会環境の中で多くの人々がそれを打破するイメージを孫悟空に重ねたものだと考えられる。三作品とも、孫悟空は「守護者」の役割を持ち続けた。守護の対象は、原典『西遊記』では玄奘三蔵、『西遊記之大聖帰来』では仲間、『ドラゴンボール』では地球と異なるが、すべての孫悟空は責任感が強く、何も恐れていない。孫悟空の図像イメージは、原典小説を基礎としながら、時代と表現メディアの変化を受け入れていった。そして、メディアに適応する形で、現代の要素を取り入れながら新しいイメージが作られた。『西遊記』に関する映像表現の変遷は、文学と映像表現および映画文化の変遷史とも言える。文学作品を原典とするキャラクターは文字のみで表現されている。その特徴を図像化することによって漫画、アニメ、ドラマ、映画など他ジャンル作品に拡がりを見せ、多くの人のキャラクターイメージを定着させるきっかけを作ってきた。また、図像化したキャラクターは原典の理解を深めることにもつながっている。孫悟空のキャラクターは、長い歴史の中で変化してきたが、多くの新しいキャラクターが出現したことで、伝統的なキャラクターが見えなくなった点も否めない。再度、歴史的資料による伝統的なキャラクターを軸にした他の国や地域で受け入れるキャラクターを作り出すことができるのではないかと考える。
著者
井島ワッシュバーン パトリック
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要 (ISSN:18839568)
巻号頁・発行日
no.15, pp.5-21, 2021

This study examines how oni, demon-like creatures of Japanese folklore, are expressed in the popular Japanese comic series “Kimetsu no Yaiba” by Gotouge Koyoharu serialized in Weekly Shonen Jump from 2016 to 2021 by applying a framework called Monster Theory. The publication of this theory advocated by Jeffrey Jerome Cohen and made up of seven theses regarding the nature of monsters, marked the beginning of a surge in popularity of studies and research related to monsters in Europe and the United States and is a theory that attempts to clarify the meanings of monsters that appear in various modern media creations. Previous studies have shown that the presence of monsters has been useful as an indicator of social normative and non-normative distinctions, but such analyses have been primarily focused on the explication of literature and cinema. In this study, I would like to provide an example of the application of monster theory to the graphic narrative format-specifically the medium of Japanese comics. As “Kimetsu no Yaiba” provides nuanced expressions of oni, monsters that have a long history in Japan and are tied intimately to various aspects of Japanese culture past and present, it will serve as a worthy example of a robust application of the Monster Theory framework to the graphic narrative format. Through such application, I would like to develop a deeper understanding of the psychology that society has toward the self and the Other and uncover examples of alternative viewpoints within the work related to the attitudes the author thinks people should hold in regard to the self and those Others.First, I will give a short introduction to Monster Studies and Monster Theory and its applications, especially to the medium of comics. Then I will discuss the evolution of the monster’s role in society and the history of oni in Japan. After describing typical perceptions of oni and traditional representations of oni in Japanese comics, I will delve into how the main characters and oni of “Kimetsu no Yaiba” provide clear examples of several aspects of Cohen’s Monster Theory, and I will give examples that relate to each of the seven theses contained within the Monster Theory framework to expose the potential of the work as a tool for developing new more nuanced attitudes toward the self and the Other.

3 0 0 0 IR 夢幻と表現

著者
クラティラカ クマーラシンハ
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要
巻号頁・発行日
no.7, pp.129-137, 2014

能の起源は、平安時代から鎌倉時代にかけて栄えた「猿楽」という芸能にある。能は一般に現在能と夢幻能に分けられる。夢幻能では、神や幽霊である主人公が旅人などに昔のことを語って聞かせる。そうした主人公は、最初はありふれた人間の姿を借りて現れ、やがて昔の姿や本来の姿になって登場する。そして「シテ」と呼ばれる主役の演劇が中心におかれ、「ワキ」と呼ばれるゆき役はシテの話を引き出すための演技を行う。夢幻能の呼称は、ワキが見た夢幻によって作品が成立していることに由来している。「ワキ能物」、「修羅物」の多くがこの夢幻能に属している。世阿弥は夢幻能の傑作を数多く世に送り出した。他方、「現在能」に登場する人物の殆どは生きている人間で、夢幻能とは異なり、シテだけでなく、ゆき役も活躍する。親子や男女の情愛とそれに伴う苦悩がつづられている作品や、武士の勇気などを描いた作品が多くみられる。代表的な作品には、曽我兄弟の敵討ちを描いた「夜討ち」「楚歌」や、若き日の源義経、すなわち牛若丸の活躍を描いた「烏帽子折」などがある。
著者
クリストファー リン
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要
巻号頁・発行日
no.7, pp.167-174, 2014

精神の概念には、一つの国や地域の人々の思想である。それは、長い時間をかけて積み重ねられた文化の一部である。親や先輩の教え、育った環境の影響、幼い頃から自然に染み込んだ思想概念、倫理と道徳などを含め、多くの人が認める共通の価値観ともいえる。アジア地域には華夏文化の儒釈道を中心にすえた、「五常」「八徳」「四維八徳」などの思想がある。ヨーロッパ地域には、民族の精神の一つ「騎士道」が存在している。他の地域にも多数の精神が存在している。いずれも地域の文化と歴史に沿って、長い年月をかけて育まれた民族精神である。現代社会は、経済的な国の発展を求めている。一方、人々の倫理道徳の欠如が問題になってきている。今後、文化精神を後世に伝達していくことが重要であると考え、民族の精神として人間社会において大切に受け継がれていくべきものである。本研究は同様に日本においては代表的な精神概念の一つとして武士道があげられる。武士道精神は時代の変遷によって、社会に受け取る変容を考察する。メディア技術の進歩が著しい現代、メディアの種類が増えるにつれて表現手段が増え、抽象的な精神概念を表現することが以前より可能になった。ここで映画のメディアを取り上げ、研究の資料として研究を展開する。映画は、芝居、音楽、服飾、照明、背景、映像など、複数の要素を含むメディアである。映画は抽象的な精神概念を具体的に表現することを可能と考えた。例えば、どんなことが起こっても、決して仲間を見捨てられない、ある場面で仲間は握手したり、笑顔で向き合い話したり、合い言葉を言ったりなどの演出で仲間の絆、友情や信頼を表現する。又は、敵討ち場面で登場人物は、敵の前に激怒な表情で叫ぶ、無慈悲なやり方で相手を斬る演出は恨み、憎悪を表現する。この様に映画は抽象的なことを具体的に表現できると考えられていた。武士道精神も抽象的な概念なので、映画のメディアを研究の情報発信メディアとして取り上げる。映画コンテンツにおいては、作品がよくリメイクされている。例えば、シェイクスピアの台本『ロミオとジュリオット』を題材として用いられ、リニューアルやストーリーの再創作などのリメイクの手法を使って幾度も映画化されている。日本映画においても、2000年以降、小林正樹が製作した『切腹』をはじめ、50年代後半から60年代前半に作られた多数の時代劇映画がリメイクされている。リメイク版が製作される理由としては、次のようなことが挙げられる。まず、原作自体が優れた普遍的な価値を持っていると考えられる。その価値を現代及び後世の人々にまで伝えたいと願う製作者もいる。次に、よく知られたストーリーは観客の興味を呼びやすく興行収入が上がりやすい。観客にとっては前作と比較するという楽しみもある。更に製作者にとっては、前作が作られた時代にはなかった映像技術を駆使したり、前作とは違う独自のアイディアを取り入れたりして、前作を超える作品を世に問うことができる。本研究は二本の『十三人の刺客』を取り上げオリジナル版とリメイク版を比較し、武士道精神の時代性の変遷や社会の人々の受け取り方がどう変わってきているのかを映画での表現を通して考察する。
著者
孫 セイ媛
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要
巻号頁・発行日
no.7, pp.151-157, 2014

チャイナドレスは中国語で「チーパオ」といい、中華民国時代から現在にかけて世界的に注目されているファッションアイテムの一つである。海派チーパオはチーパオの一つの種類である。中国では現代チーパオと言えば、海派チーパオが代表的なものである。チーパオの歴史を見てみると、清朝の貴族である「旗人」たちが着装した服から派生し、1920年代の上海で現在の形が誕生した。租界を通じた西洋文化の浸透や、消費文化の拡大を背景に誕生したこの新しい服飾は、やがて当時の「モダンガール」の流行のファッションとして一世を風靡する。国内からの視点で見ると、新文化運動と五四運動を契機として古い社会(関門鎖国の清朝政府)を変革し、新しい時代の正統な政治体制を確立する原動力として女性(学生、女工など)に大きな期待が寄せられることになる。国外からの視点で見ると、中国の門戸開放によって、多くの外来会社が拡大されながら、租界が増え、外国人と中国の地方からの移住者が増えていた。各国と各地方の消費者を満たすため、伝統と西洋を結び付けた商品が生まれた時代でもある。「服」は「時代性の特徴の表現手段」と「個人の表現手段」の役割がある。そのような1920~40年代における「チーパオ」は、当時の人々の生活文化の表象そのものであった。本研究は、服飾が「服飾」として独立して存在するのではなく、それは社会構造に現れた一つの現象であるという視点から、当時の世界情勢や経済的状況、文化や習慣などを読み取ることにより、服飾に対する社会の価値観や服飾文化の変化、ファッションの変化などを明らかにしチーパオのデザインの時代性を解明することを本研究の目的とする。
著者
クリストファー リン
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要
巻号頁・発行日
no.7, pp.167-174, 2014

精神の概念には、一つの国や地域の人々の思想である。それは、長い時間をかけて積み重ねられた文化の一部である。親や先輩の教え、育った環境の影響、幼い頃から自然に染み込んだ思想概念、倫理と道徳などを含め、多くの人が認める共通の価値観ともいえる。アジア地域には華夏文化の儒釈道を中心にすえた、「五常」「八徳」「四維八徳」などの思想がある。ヨーロッパ地域には、民族の精神の一つ「騎士道」が存在している。他の地域にも多数の精神が存在している。いずれも地域の文化と歴史に沿って、長い年月をかけて育まれた民族精神である。現代社会は、経済的な国の発展を求めている。一方、人々の倫理道徳の欠如が問題になってきている。今後、文化精神を後世に伝達していくことが重要であると考え、民族の精神として人間社会において大切に受け継がれていくべきものである。本研究は同様に日本においては代表的な精神概念の一つとして武士道があげられる。武士道精神は時代の変遷によって、社会に受け取る変容を考察する。メディア技術の進歩が著しい現代、メディアの種類が増えるにつれて表現手段が増え、抽象的な精神概念を表現することが以前より可能になった。ここで映画のメディアを取り上げ、研究の資料として研究を展開する。映画は、芝居、音楽、服飾、照明、背景、映像など、複数の要素を含むメディアである。映画は抽象的な精神概念を具体的に表現することを可能と考えた。例えば、どんなことが起こっても、決して仲間を見捨てられない、ある場面で仲間は握手したり、笑顔で向き合い話したり、合い言葉を言ったりなどの演出で仲間の絆、友情や信頼を表現する。又は、敵討ち場面で登場人物は、敵の前に激怒な表情で叫ぶ、無慈悲なやり方で相手を斬る演出は恨み、憎悪を表現する。この様に映画は抽象的なことを具体的に表現できると考えられていた。武士道精神も抽象的な概念なので、映画のメディアを研究の情報発信メディアとして取り上げる。映画コンテンツにおいては、作品がよくリメイクされている。例えば、シェイクスピアの台本『ロミオとジュリオット』を題材として用いられ、リニューアルやストーリーの再創作などのリメイクの手法を使って幾度も映画化されている。日本映画においても、2000年以降、小林正樹が製作した『切腹』をはじめ、50年代後半から60年代前半に作られた多数の時代劇映画がリメイクされている。リメイク版が製作される理由としては、次のようなことが挙げられる。まず、原作自体が優れた普遍的な価値を持っていると考えられる。その価値を現代及び後世の人々にまで伝えたいと願う製作者もいる。次に、よく知られたストーリーは観客の興味を呼びやすく興行収入が上がりやすい。観客にとっては前作と比較するという楽しみもある。更に製作者にとっては、前作が作られた時代にはなかった映像技術を駆使したり、前作とは違う独自のアイディアを取り入れたりして、前作を超える作品を世に問うことができる。本研究は二本の『十三人の刺客』を取り上げオリジナル版とリメイク版を比較し、武士道精神の時代性の変遷や社会の人々の受け取り方がどう変わってきているのかを映画での表現を通して考察する。
著者
有田 巧
出版者
崇城大学芸術学部
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要 (ISSN:18839568)
巻号頁・発行日
no.9, pp.31-52, 2015

Kanji Maeta (1896-1930) painted energetically laborers and the factory landscape from autumn in 1923, when he stayed in Paris, to the summer of 1924. For the school days he was strongly influenced by Vincent van Gogh, while having visited Paris, he continued to observe deeply those works while looking for the answer what he should learm in the works such as Cezanne, Courbet and Ingre and so on by visiting museums in Paris. There is "Two Laborers" (Ohara Museum of Art) in a series of his works. We can see two laborers seated in front of a small table with turning a sharp look to the front in the painting, where they are painted in the space of steel-blue colors. This paper aims at inferring the theme and two laborers who seem to be acted as a model of this painting by finding out the relation with historical backgrounds based on some documents and archives.
著者
冨岡 美栄子
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要
巻号頁・発行日
no.7, pp.159-165, 2014

言葉を視覚的に捉えさせる文字は、生活と文化の中で重要な部分であり、時代ごとに一つ一つの進展と様々な需要があって現代に成り立っている。時代ごとに変化が見られていく文字は、その時代の象徴ともいえる。雑誌もまた、人々の需要から生まれ文化発展を助長してきた。政論から児童向け、文学、娯楽と多岐にわたり時代の“今”を映して積極的に表現し発信してきたメディアの一つである。雑誌に見られる文字が時代とともにどう変化してきたか、いかに時代の声に応えてきたのか。これまでに発進されてきたものを文化的・社会的背景と照らし合わせることで、文字のデザインの変遷や当時における役割、時代を反映する力について明らかにできると考える。文字の変遷や時代ごとの役割・反映力を明らかにするためにはある一定期間における雑誌と文字についての調査・分析による検証が必要となる。本研究では、現在でも発行が続いている雑誌『キネマ旬報』の大正期に焦点をおき、『キネマ旬報』にみられる特徴的な文字である図案文字の形の変遷と時代性との関連性を見出すことを目的とした。
著者
カスン サンカルパ ムトゥガラ
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要
巻号頁・発行日
no.10, pp.121-122, 2017

The theme of my art work is to present "how the technology has invaded humans". The mobile phone is rapidly coming into the society as a new communication tool. The human relationships are rapidly being disengaged due to the development of technology in today's world. People are more isolated in their own worlds. My art work is trying to show how these human relationships have been disengaged and the main cause for this situation. The reason for choosing iron as the medium was that I felt it would give the hardness to the art work and also I saw it as a symbol for the technology. From the second chapter I brought out about some of the artists related to my art work and then I picked up four sculptures: Julio Gonz<CODE NUM=00E1>lez, Jaume Plensa, John Lopez and Marti Moreno. I decided to create my art work based on the human postures and the human body, and I got the knowledge of technological tactics from these artists. They welded the metal nuts one by one which were closer to one another. I also welded the metal rods in a way that they are connected one another. In the third Chapter I mentioned my previous works and about my art works at Sojo university. In the fourth chapter I showed some idea sketches of my art work. After that I explained the technological process of my work. As I had a previous training on welding iron in Sri Lanka, it put me on ease. I used a welding plant to create my art work, and I also used welding sticks in the welding process. Grinder machines, cutting machines, scissors which are used to cut iron, face covered helmets, welding plant, spectacles and gloves can be pointed out as technological tools which are used in creating such an art work as this. Finally I mentioned the specific process of wedding at the fifth chapter. I created two main sculptures and another small sculpture. Three separate sculptures were finally connected to each other. The difficulties which I encountered, using iron as the medium and the measures taken by me to overcome those difficulties are some of them. When using this medium I felt that it is easier for me and I am getting used to it more and more. So, I specially liked this medium. And I also determined to create more art works also by using iron as the medium in the future.
著者
西村 佳奈子
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要 (ISSN:18839568)
巻号頁・発行日
no.9, pp.193-203, 2016

我が国における陶を用いた造形は、古代の呪術や地母神信仰用の土偶に端を発し、続いて古墳時代における葬送儀礼用の生き物や器財を象った埴輪や、中世の信仰主題の狛犬等を経て、近世では仏教主題の陶作品や、香炉や置物へと展開、発展していった。さらに、近代における西洋の美術教育制度や美術・芸術の諸概念、諸技法の導入によるあらゆる面での急速な革新、展開期を経て、現代では窯芸家が陶土を用いて立体の具象作品やオブジェを制作したり、彫刻家が、作品の素材として陶土を用いたりすることは珍しいことではなくなった。つまり、陶工と呼ばれる職人だけでなく、芸術家がジャンルを超えて表現の1素材として陶土を使用するようになったと言える。それは、生き物の生と死の還元を象徴する「土」を用いて作品を制作するという行為や、人間の技術だけでなく、「火」という自然の要素が加わることによって作品が完成される過程に意義を見出しているからである。そして現在、陶土の特性や特質が活かされた優れた立体作品は数多く存在し、日々生み出されてもいる。また、そうした状況と併行して、現在の日本の窯芸界や美術界では、陶土を素材として制作された彫刻作品やオブジェを指す言葉として、「陶彫」という用語を当てることが一般化していると言える。筆者は、彫刻制作者として陶彫制作を幾度か経験する中で、素焼きされた陶土が呈する茜色や紅樺色、炭化した煤色等の多様な色調や、施釉された作品のガラス質の表面がもつ独特の柔らかな肌合いに魅了された。また、それと同時に、窯芸技法や素材に関する深い知識なしには、自身の完成予想像に近づけるのが困難であることにも、逆に醍醐味を感じた。そして、現代作家の陶彫や陶土を素材としたインスタレーション作品を数多く観る中で、作品の素材としての陶土の可能性は極めて大きいと確信するようになった。以上のような自身の経験から、筆者は「陶彫」に興味を覚え、長い歴史的展開を見せた「陶」が、「窯芸」において、呪術や信仰、葬礼、茶道、装飾といった目的から離れて純粋に作品の素材として使用され始める時期や、その転換が何に起因しているのかについて、また、「陶彫」という用語がいつ誰によって使用され始めたのかについて次第に疑問を持つようになった。しかし、それらの問題は未解明であるどころか、「陶彫」に関する研究自体が皆無に近いことが分かった。そこで筆者は、本論文において、以下の構成に従って、未解明の「陶彫」の創始者が誰であり、何故、またいつ陶彫が創始されたのかを解明するとともに、現在幅広く使用されている「陶彫」という用語の定義を試み、さらに開始期から現在に至るまでの展開を寺内と沼田の弟子や孫弟子、日本陶彫会会員の作品の概観を中心に跡付けることで、今後の彫刻制作者、研究者として筆者がとるべき方向性を見極めることにした。
著者
谷川 春美
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要
巻号頁・発行日
no.8, pp.113-114, 2015

本稿は、筆者自身が撮影した写真を用いることでできる風景画の表現について考察したものである。写真を一枚の紙媒体として見た時、一瞬でその場にあった風景を切り取れる性質と共に、キャンバスに時間をかけて制作していく過程と対比することで、自身の持つ想像力を表現できる面白さがあると考える。そして、何気ない風景を描くことで普段見過ごしていた新たな発見をキャンバス上にて見出してきた。第一章では、写真を用い風景画を描き始めた二つの経緯を述べている。まず一つ目は、父と姉の撮影した写真に対してどうインスピレーションが湧くのかと、一枚の紙媒体に好奇心と興味を抱いたことにある。二つ目は高校の頃、風景画を描く際に顧問の教師から写真を用いたらどうかと助言を受けたことである。画題として初めて写真を用いることの関心が、大学に入ってからもさらに高まっていくきっかけとなった。第二章では、大学生活での時間的余裕と様相の変わる写真を多く得たことで、写真のよりよい選別方法と、後に風景画作品となる写真の分類とその作品解説を述べている。分類は三つの目安を設け、すなわち、同類の紙媒体の中でも作品になるもの、作品以前に一枚の「写真」として認知するもの、補助的な役割のものの三つである。筆者は選択した写真(L 版[127 mm×89 mm])から、キャンバス画面上へ制作する際は、記憶や体験を体現することも念頭に入れて表現している。撮影した当時の記憶と筆者の心境を含め、写真のイメージがどのように作品の表現へと繋がっていくか、具現化された風景画の画面上を構成するさまざまな形と色彩によって仕上がったかを過去作品を通して見ていく。第三章では、修了制作《帰路に就く》を描くにいたって、当時撮影した時の記憶と体験と共に、卒業制作《白宙夢》の写真上のイメージによる表現についても深く言及している。それは、太陽が光源である《白宙夢》と電灯や信号機の明かりが主となる《帰路に就く》の二作品に共通する光の性質の違いを考察することで、《帰路に就く》の本質を浮き彫りにする。また、元の写真と記憶の結びつきによる色彩の幅が広がる様子を言語化することで、想像の力で補うことができると考えた。目に見えない筆者の体験や記憶を視覚化するには、撮影してから風景画にいたるまでの順序が大事だと言える。それは、実体のない写真画面上のイメージをキャンバスに描くことで、実体のあるものへと変化する過程もまた自身にとって経験になるからである。以上、本修了制作では、写真の発するインスピレーションから作品化していく様相を具体的に考察している。
著者
中川 遊理
出版者
崇城大学芸術学部
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要 (ISSN:18839568)
巻号頁・発行日
no.9, pp.3-29,図巻頭1枚, 2015

Gunkanjima Island was recognized as a Word Cultural Heritage Site in July 2015, along with other sites of Japan's Meiji industrial revolution. This recognition was limited to some portions of the island (harbor cities and initial production facilities). However, in my opinion, the value and attraction of Gunkanjima Island is not limited to these sections of the island only. This paper presents an architetural perspective for buildings from the Taisho Era onward, particularly buildings 16-20, which are recognized as presaging the architectural "metabolism movement" (1959-1960s). Therefore, it is apperent that Gunkanjima not only has an industrial historical value from the Meiji Era, but it also has a universal value from the greater perapective of architectural history. Section 1 of this study chronicles the histoty of Gunkanjima Island as it is divided into seven periods, with an overview of each period. Section 2 confirms the definitions of modernization period monuments, industrial heritage, and heritage of industrial modernization followed by an update of the current state of the heritage of industrial modernization in Japan, as well as the position of Gunkanjima within the heritage of industrial modernization. In Section 3, site plans are used to understand, analyze, and indicate the distribution and characteristics of various structures on the island. By presenting a number of commonalities between the Gunkanjima Island structures (particularly buildings 16-20, which were mining company housing) and the municipal Motomachi high-rise apartments, which were influenced by the metabolism movement, I clarify how the structures on the small island known as Hashima (and more commonly known as Gunkanjima), presage the metabolism movement a half-century prior to the actual birth of the movement's principles, and observe how Gunkanjima has a universal architectural historical value beyond the Meiji-era industrial history,thus explaining the need for its re-evaluation.
著者
永田 郁 大蔵 佑美 叶 菜奈
出版者
崇城大学芸術学部
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要 (ISSN:18839568)
巻号頁・発行日
no.9, pp.135-148, 2015

This paper is a report on the state of Workshop by the Seminar in Workshop 2015 (@Faculty of Art, Sojo Universty, 25th Octobor 2015). The seminar in Workshop is part of the new curriculum of Art and Culture, Dep. of Fine Art, Faculty of Art, Sojo University, for undergraduate students 2013 academic year. The purpose of this seminar is to regard social relations as art through the practical method called the art workshop with together students. We carried out a workshop as a part of the class, in the one of the programs of Techno Fantasy 2015 held on Sunday 25th Octobor 2015 at Sojo University. As for this workshop program, all the enforcement was carried out from a plan by students. This report makes voice of the student who took charge reflected, and students wrote every taking charge one. The contents insist of the following five chapters: Introduction, 1. Deciding the Planning, 2. The Embodiment of the Planning, 3. The Setting up the site of the Workshop, 4. The Execution of Workshop, 5. Summary. And voice of the students who have finished a workshop as the summary at the end of this report is carried.
著者
小川 剛
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要
巻号頁・発行日
no.8, pp.31-48, 2015

本稿は、熊本でこれまで行われてきたマンガ関連の催事や展覧会を調査し、その主催団体や経緯など現状を明らかにするものである。また、熊本にゆかりのあるマンガ家およびマンガ業界関係者の調査報告も併せて行う。これらの調査内容は、2014年8月7日崇城大学にて開催されたシンポジウム「マンガ文化で熊本を活性化」で得られた情報を中心に筆者が追加調査したものである。熊本におけるマンガを活用した事例調査は、今後の地域振興に生かすことができる可能性を明示している。
著者
松田 咲也子
出版者
崇城大学
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要
巻号頁・発行日
no.5, pp.4-22, 2011

熊本県の総鎮守である藤崎八幡宮(以下藤崎宮)で毎年9月に催される例大祭は、本来は仏教的儀式であった放生会に由来し、藤崎宮が勧進された10世紀ごろから千年以上にわたって熊本の人々に受け継がれている。なかでも、勇壮な飾馬と凛々しい甲冑姿の随兵達が熊本市街を練り歩く神幸行列は、熊本の秋を彩る風物詩として有名である。
著者
クラティラカ クマーラシンハ
出版者
崇城大学
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要 (ISSN:18839568)
巻号頁・発行日
no.5, pp.95-100, 2011

日本に仏教が伝来したのは紀元6世紀のことである。以来、日本ではさまざまな宗派が誕生し、鎌倉時代には、天台、真言、阿弥陀、禅、日蓮などの宗派も出揃い、仏教が隆盛したといわれる。能芸能にみられる仏教的要素は、主に阿弥陀経や禅宗から影響を受けたものが多く、「道成寺」や「隅田川」などの能には、その2つの宗派の思想が織り込まれているといえる。筆者は、この時代の能楽作家は、鎌倉時代の民衆の苦しみを反映して、人々の憂いを和らげることを目的としていたのであろうと考える。また世阿弥が書いた能楽についての書物にもそうしたねらいがみえる。また能楽には、幽霊や魂などといった架空の存在を頻繁に登場させることによって、観客を仏教的精神世界に導きやすくしているようにもみえる。それは、阿弥陀経(浄土教)が、念仏を唱えることによって穢土から極楽浄土へ生まれ変われると説く手段と共通する部分があるように思える。