著者
コウト ジョルジェ 浜岡 究
出版者
拓殖大学言語文化研究所
雑誌
拓殖大学語学研究 = Takushoku language studies (ISSN:13488384)
巻号頁・発行日
no.143, pp.141-192, 2020-10

1807年,ナポレオン軍のポルトガル侵入後,ポルトガル王室はリスボンからリオデジャネイロに避難した。その後,フランスに宣戦布告し,ポルトガル軍は本土ではイギリス軍の援助を得た。そしてブラジル駐留のポルトガル軍はフランス領カイエンヌを占領する報復に出た。その戦争前後の政治的動きと軍事行動に関するジョルジェ・コウトの論文の翻訳と,訳者が最も興味を抱いた項目の研究(解題)を通じて,ナポレオン軍はポルトガルの抵抗を軽視していたこと,ポルトガルの本土はもちろん海外植民地の領土と国境線確保の執念を鳥瞰する。ポルトガルはヨーロッパにおいてはフランスとの交戦を望まなかったが,ポルトガル領アメリカ(ブラジル)では,圧倒的軍事力で対抗した。