著者
古賀 達也 コガ タツヤ Tatsuya KOGA
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2006-09-29

本研究では量子力学的な分子動力学法を用いて, グラファイト材料の水素原子吸<br />着による化学スパッタリング過程の機構を明らかにした. その経緯と概要を以下に<br />述べる.<br /> 今日, 経済発展に伴う化石資源の枯渇と環境破壊が大きな問題となっており,<br />これらに対して新しいエネルギー資源の早期開発が必要である. 実用化されてい<br />る, または実現可能と考えられる多くの代替エネルギーの中で究極のエネルギー<br />源が核融合である. しかし, その実現において最も重要である核融合炉壁材料に<br />ついては, 耐熱・耐放射線性のふさわしい材料が未だ見つからず, またプラズマと<br />壁との間の相互作用も十分に明らかにされていない. この問題を克服すべく, こ<br />れまで数多くのプラズマと固体壁に関する理論的・実験的研究が行われてきた.<br />その中でも固体壁表面の損傷については, 原子衝突により壁面の構成原子が外に<br />飛び出す物理過程だけでなく化学反応によっても表面が損傷されることが明らか<br />になってきた. そして, この後者が核融合炉壁材料に大きな影響を与える可能性<br />がこれまでの研究結果により認識されている.<br /> 化学スパッタリングは, 核融合炉材料のひとつである炭素壁とプラズマ起源の水<br />素との間で顕著に現れる. それらの相互作用は原子・分子という非常にミクロなス<br />ケールの反応であり, この詳細な過程を実験で知ることは現在の技術水準では容易<br />ではない. 一方, 固体や分子のミクロな現象の研究には計算機シミュレーションが<br />多用されている. 本研究の分野では以前から物理スパッタリングの計算機シミュレ<br />ーションによる研究が行われており, 実験結果を十分説明できる研究成果が挙げら<br />れている. しかし, 化学スパッタリングは物理スパッタリングと異なり, 原子間力<br />のみを取り扱う古典力学的な方法は不十分であり, 原子間結合の切断・結合を扱う<br />電子状態を考慮した量子力学的な取り扱いが必要である. ところが, 波動(シュレ<br />デインガー)方程式が数値的にも計算できるのは水素様の原子と10原子程度の系<br />である. そこで本研究の計算機シミュレーションでは, 電子の密度汎関数理論に基<br />づくKohn-Sham 方程式を用いている. この方法により電子の量子多体系が扱える<br />ようになるが, 古典力学と比べてはるかに多くの計算量を必要とする. このため,<br />計算機を並列に接続して分散処理を行う並列計算機(PC クラスター)を用いた.<br />以前のシミュレーション研究では, 損傷を受けていない平坦なグラファイト表面<br />上ではCH<sub>2</sub> よりさきの炭化水素が生じないことが確かめられているが, 実験ではグ<br />ラファイト内に取り込まれ同一グラファイト層上に付着した水素原子数がグラフ<br />ァイトを構成する炭素原子数に対して約50%になったとき, 化学スパッタリング<br />由来の炭化水素が観測される. このことから, 水素吸蔵と化学スパッタリングに因<br />果関係が存在すると考え本研究を行った.<br /> 計算体系としては, グラファイトを模擬材とし, そこに水素原子を順次付着させ,<br />その際に起きる構造の変化を, まず構造最適化(エネルギー最小化)の方法により<br />求めた. その結果, 吸着された水素原子密度が上昇するにつれ, グラファイトが<br />徐々に変形して構造が不安定となり, グラファイト一層あたりの水素原子付着率が<br />約50%に達したとき, 炭素原子間の共有結合が切断されCH<sub>2</sub> が発生, その後CH<sub>3</sub><br />からメタンの生成を起こして崩壊することが第一原理分子動力学シミュレーショ<br />ンにより明らかにされた. すなわち, 水素吸蔵により化学スパッタリングが容易に<br />発生して, 壁材料が大きく損傷することを示した.<br /> 一方, 実験では900K の高温域で材料表面上で炭化水素の発生量増加が確かめら<br />れている. そこで本研究では次に, この温度域での化学スパッタリングの発生過程<br />について調べる為, 原子の運動をVerlet+Nose-thermostat 法で追跡して調べた. そ<br />の結果, グラファイトの熱振動に伴いグラファイト表面に付着している水素原子が<br />表面上から離脱しやすくなり, 損傷を受けていないグラファイト表面上では化学ス<br />パッタリングが起きにくいことを確認した. 一方で, 構造最適化計算で得られたす<br />でに表面上にCH<sub>3</sub> が発生した初期状態を用いた計算では, CH<sub>3</sub> のグラファイトから<br />の離脱が確認できた. このことより, 化学スパッタリングは主に低温で起きる現象<br />であり, 高温では低温で発生した炭化水素が激しい熱振動により離脱することがわ<br />かった. また, CH<sub>3</sub> 離脱後のグラファイト表面上には大きなホールが形成されるが,<br />このホールが他のグラファイト層の破壊を容易にし, 結果としてグラファイト全体<br />へと影響を及ぼすと考えられる. 以上, 本研究は化学スパッタリング現象の基礎過<br />程を量子力学に基づき理論的に明らかにしたといえる.<br /> 本研究結果からの炉壁材料開発への提言として, 水素を吸蔵させないグラファイ<br />ト材料の開発が必要である. また, 高温域では化学スパッタリングが起き難いこと<br />から壁材料を1000K程度の高温に保持することも有効な解決方法と考えられる. 一<br />方, 本研究で用いられた密度汎関数法は実験データや他の経験則を必要とせず, 解<br />析理論, 装置実験と並ぶ数値シミュレーションという新たな研究手法である. 今後,<br />計算機性能の向上により取り扱う計算体系がより実現象に近づき, 計算機シミュレ<br />ーション法が物質現象を理解する上でさらに重要な地位を占めると考えられる.