著者
サイト エリカ 松本 洋子
出版者
駒澤大学
雑誌
論集 (ISSN:03899837)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.169-182, 1990-03

国家社会主義者によって一貫して推し進められてきた女性学卒者の職業的地位からの排除は,-ここでは特に女教師についてであるが-すでにヴァイマル共和国に存在していたこれらの女性に対する社会的意識と法的措置を基盤に行うことが出来た。ヴァイマル共和国は,女性にとってはその解放の可能性という点では矛盾した諸条件をつくりだした。法的・形式的な同等や男女同権と並んで,依然としてしっかりと根を下ろした伝統的な女性観や家庭観,また増大する経済危機が,その実現,ないしは発展の継続を阻止した。より高い職業的地位と社会的に影響力のある役割での貢献と正当な評価を求める女性学卒者の困難な戦いは,経済的危機のために法的基盤すら狭められた。失業が増大する時代には,職場をめぐる競争は不可避であるが,女性たちは伝統的な考えによって,男性が所望する職場から駆逐されていった。経済的危機と厳しい競争への不安から,多くの女性たちは,彼女たちにとって安全な領域,つまり家庭へ,むしろ自ら戻ることを選ぼうとさえした。さらにヴァイマル共和国における女性の経済的解放は,まだ巾広い社会的基盤の上に行われていなかった。それは今まで男性が多数を占める分野に敢えて出て行こうとする女性があいかわらず少なかったことにも問題があった。国家社会主義者は,こうして彼らの女性観を現実化するための準備された耕地を手に入れた。1932年5月12日の女性官吏の法的地位に関する法律が憲法第128条にはっきりと抵触していたにもかかわらず,国会によって可決された。それは女性を100年前の状態に引き戻した。この法律は国家社会主義者に,彼らが女性官吏に対してさらにそれ以上の制限を課し,また官吏法の中に最終的に明記し得る基盤を提供した。国家社会主義者はまず最初に女性学卒者に対する措置を取った。国家社会主義者の女性政策は,もちろんすでにヴァイマル共和国で進められた政策を極端に展開しただけではなかった。その継続的な展開のほかに,彼らはさらに質的にいくらか新しいことを具現した。国家社会主義者は,今や女性たちから教育と職業の機会均等の権利を完全に奪い,彼女たちから,その組織と雑誌を廃止し,画一化することで,自主的な社会・政治的活動の基盤と影響力を奪い去った。さらに女教師たちは,他のすべての社会的に重要なグループと同様に,国家社会主義思想とその価値規範に基づいて「整列」させられた。残忍な弾圧によってあらゆる反対派はすでに芽のうちに摘み取られた。女教師自身の気持ちの中にあった保守的女性観の要素は,国家社会主義運動に彼女たちが急速に統合されていくうえでの重要な条件であった。意図は様々であったにせよ,同性に対する教育者として,排他的な,少なくとも女性の特別な権利についての女教師たちの要求が,徹底的な男女分離教育を目指す国家社会主義者の要求と一致したのも無理からぬところであった。依然として少女の将来における「母親としての役割」を強く志向していた女子教育に対する彼女たちの実際的考え方や女教師自身が職務を遂行するにあたって果した「母性的役割」は,国家社会主義者の同じ見解に敵対することを難しくした。彼女たちの「国民への奉仕」という基本思想は,彼女たちが国家社会主義国家に進んで協力を申し出ることを容易にした。最も低い地位と最も影響力のない社会的分野においてさえ,彼女たちはこの思想によって,特別な価値があるように思うことが出来た。いろいろのグループと利害関係によって分裂していたヴァイマル共和国の婦人運動は,女性の側から国家社会主義に反対する統一的な防御闘争を組織することを不可能にした。このことは議論すらもされなかったし,また努力もされなかった。彼女たちは,男性同僚,とりわけ文献学者同盟に組織されていた同僚たちの中に,国家社会主義に反対する闘いでの同盟者を見いだすことは出来なかった,なぜなら同盟はすでに早くからはっきりと国家社会主義に協力を申し出ていたからである。どちらかといえば保守的陣営に属する彼女たち自身の政治的立場ゆえに,他の同盟者,たとえば社会民主党や共産党などは,女教師連盟にとってはじめから問題にならなかった。彼女たちの女権的な,または自由主義的基本姿勢にもかかわらず,女教師たちもまた意識面では保守的な官吏に属していた。ドイツの官吏は特殊なブルジョア的意識を持っていて,その自由主義的要素は19世紀末以来,強力な国家主義と社会進化論に影響されて新しい形を形成していた。その保守的傾向は,とりわけ国家社会主義がドイツ官吏に再び社会的特権とそれにふさわしい社会的地位を保障するであろうと期待していたことに現われていた。ドイツの教員集団は,さらにその教育的基本姿勢では,反自由主義的,民族的傾向で思想的に国家社会主義と強く共通していた世紀の変わり目の「文化批判的改革教育」に影響されていた。国家社会主義者は巾広い分野で,多様な方法を用いて彼らの目的を宣伝した。保守的な基本思想は,改革・変革を求める急進的な要求やさらには社会正義さえ混ぜ合わせていたので,この時期,失業者の大きなグループであった女教師たちもこの標語の急進性に魅せられていった。「…腐敗を容赦なく取り締まるというのはナチスの術であった。ナチスは歴史的なものに対して活力,生命,若さを声高に宣伝した,そうすることで過去の慣習を一層確実にとり戻そうとしたのだ。」かっての女権論者の多くは,国家社会主義者の人種理論に魅せられているのを感じていた。彼女たちはゲルマンの原始時代を回想する中で,「北方人種」に属していることから,今や「選ばれた女性」として巾広い社会的活動の可能性を期待していた。全ドイツ女教師連盟の指導者たちの国家社会主義に対する警告は女性特有の困惑の表れであった。それは彼女たちが国家社会主義思想と政策を,主にこの分野においてのみ分析していたからである。彼女たちは国家社会主義思想と政策をその全体として拒否しようとはしなかった。それにもかかわらず,この警告と後に国家社会主義の期間中これらの女性たちの側から示めされた批判は,ともにブルジョア・自由主義的側にあった潜在的抵抗力の一つの現れであった。国家社会主義は巧妙な,また同時に弾圧的な政策によって,これらの潜在力を政治的に封じ込むことが出来た。国家社会主義は,さらに様々な思想的潮流や経済的危機によって生じた不安や偏見をとらえ,彼らの目的に利用する術を心得ていた。
著者
サイト エリカ 松本 洋子
出版者
駒澤大学
雑誌
論集 (ISSN:03899837)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.215-230, 1989-09