著者
スタンディッシュ ポール
出版者
国際基督教大学
雑誌
国際基督教大学学報. I-A, 教育研究 (ISSN:04523318)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.243-262, 2002-03

本稿ではまず初めに,市民教育における最近の動向の文化的背景を素描する.続いて,正邪の問題をめぐる教師の自信喪失という道徳教育の問題に取り組む,イギリスとウエールズにおける試みを紹介し,これを批判的に吟味する.次に,1990年代後期における道徳教育から市民教育への関心の推移という傾向に関連して,1998年に英国で発行されたクリックレポート,『市民性のための教育と学校における民主主義の教授』について簡潔に論ずる.このレポートが首尾一貫し良識あるものであることを認めた上で,本稿は,特に社会への包括(social inclusion)に関し,市民教育の考え方についてより幅広い問いを投げかける.結論として,本稿で考察してきたすべての動向において,倫理,そして市民性についての矮小化されすぎた考え方が浸透しているということを指摘する.人々の生活を特色づけこれに意味を与えている,身近で,局所的で,互いに絡み合い,そしておそらくは葛藤をもはらむ諸々の忠誠の形を重んずるような形で,公的世界と私的世界の関係をとらえ直すことが,特にグローバライゼーションの時代においては必要である.このことは,教育実践全体に関わるものである.