著者
林 鎭代 ハヤシ シズコ Hayashi Shizuyo
雑誌
研究紀要
巻号頁・発行日
vol.12, pp.37-46, 2011-03-31

昔話は,子どもが好む児童文化の一つとして,長い間子どもに語り継がれ親しまれてきたものである。しかし,昔話には子どもが楽しむというだけでなく,大人が子どもに重要な様々な情報を知らせる方法の一つとしても活用されてきたのである。そうした意味からも,昔話に登場するものは,子どもに示すべき何かを象徴するという役割をもっているのである。 日本の昔話には,恐ろしい存在としての"鬼"が度々登場してくる。そして,韓国の昔話にも,日本の"鬼"と同じ姿を持つ"トッケビ"が登場している。しかし,"鬼"と"トッケビ"は,その性質が同じようには表現されていない。日本の"鬼"と韓国の"トッケビ"は,どのような象徴とされ,どのような意図を持って子どもに語られてきたかを考察した。Folk tales have been handed down to children, and attracted widespread popularity as a child culture children favor. However, folktales have been utilized not only as children's amusement, but also as one of the ways that adults make a variety of important information known to the children. From this eaning, what appears in folk tales has a role to symbolize something that should be shown to children. In Japanese folktales, "Oni" appears frequently as a terror. And also in Korean folk tales, "Tokkebi" a has the same form with Japanese "Oni". However, the characteristics of "Oni" and "Tokkebi" are not described in the same way. What Japanese "Oni" and Korean "Tokkebi" have symbolized and what adults have intended when they talk to children were considered.
著者
林 鎭代 ハヤシ シズコ Hayashi Shizuyo
雑誌
研究紀要
巻号頁・発行日
vol.12, pp.37-46, 2011-03-31

昔話は,子どもが好む児童文化の一つとして,長い間子どもに語り継がれ親しまれてきたものである。しかし,昔話には子どもが楽しむというだけでなく,大人が子どもに重要な様々な情報を知らせる方法の一つとしても活用されてきたのである。そうした意味からも,昔話に登場するものは,子どもに示すべき何かを象徴するという役割をもっているのである。 日本の昔話には,恐ろしい存在としての"鬼"が度々登場してくる。そして,韓国の昔話にも,日本の"鬼"と同じ姿を持つ"トッケビ"が登場している。しかし,"鬼"と"トッケビ"は,その性質が同じようには表現されていない。日本の"鬼"と韓国の"トッケビ"は,どのような象徴とされ,どのような意図を持って子どもに語られてきたかを考察した。