58 0 0 0 IR 南北朝正閏論争

著者
武井 邦夫 Kunio Takei
出版者
つくば国際大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:13412078)
巻号頁・発行日
no.6, pp.89-103, 2000
著者
笠井 哲
出版者
福島工業高等専門学校
雑誌
研究紀要 (ISSN:09166041)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.117-122, 2009

The purpose of this paper is to consider thought to know his engineering ethics over Nicholas Flamel drawn with Harry Potter and the Philosopher's Stone. In Harry Potter and the Philosopher's Stone, Harry who entered the magic school notices existence of the philosopher's stone hidden somewhere. It is said that only two people of principal and alchemist Nicholas Flamel know the secret. Flamel destroyed the philosopher's stone which it became with a fight. He accomplished the engineering ethics.
著者
笠井 哲
出版者
福島工業高等専門学校
雑誌
研究紀要 (ISSN:09166041)
巻号頁・発行日
no.53, pp.123-128, 2012

There are many things which the strong messages for the technology of Fujiko. F. Fujio of the author is loaded with in comics Doraemon. The purpose of this paper is to consider the engineering ethics in Fujiko. F. Fujio's Nobita to Tetsujinheidan. Like this work, it is really impossible we sail it up, and to change the past However, the engineer should act to be able to achieve the social responsibility. It may be said that this is the engineering ethics in Nobita to Tetsujinheidan that Fujiko. F. Fujio thought about.
著者
小早川 健
出版者
神戸市立工業高等専門学校
雑誌
研究紀要 (ISSN:09101160)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.95-100, 1995-02-28

In the first year of Kooh, 1389,Ashikaga Yoshimitsu, third shogun of the Muromachi goverment, set out on a trip to Shikoku and the Chugoku disstrict, Western Honshu, paying a special visit to the Itsukushima Shrine. Imagawa Ryoshun, Chief Commissioner of Kyushu, attending the shogun on the trip, wrote Rokuon'in-dono Itsuhushima-mode-ki, as an account of their trip. This work seeks to show its high literary flavour, comparing all the details of this work with those of Rokuon'in Saigoku-geko-hi, another account of the same trip written by Mototsuna who accompanied the shogun as well.
著者
清水 美知子
出版者
関西国際大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:13455311)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.87-98, 2005-03-31

本稿は,1930年代に東京と横浜でおこなわれた2つの社会調査から,住み込み女中の実態を明らかにしようとする試みである。女中の多くは農村出身の10代後半から20代前半までの未婚女性で,小学校程度の学歴を持つ。就職の経路として最も多いのは親戚や知人の紹介で,民間・公共の紹介所で仕事に就いた者は少ない。職務限定で雇われている者は少数にすぎず,大半は座敷仕事も台所仕事も何でもこなす,いわゆる「一人女中」である。定まった休みのある者は半数以下で,ある場合も不定期である場合が少なくない。女中の属性や就労状況を女工と比較すると,年齢や学歴の構成は変わらないものの,就労条件は大きく異なる。すなわち,月給30円以上の者は女中では1%にも満たないのに対し,女工では半数近くを占め,公休日も女工の場合はすべて月極で定められており,大半は毎週もしくは隔週で休みがある。就労理由についても,女工のほとんどは「家計補助」「自活」など経済的な必要に迫られ働いているのに対し,女中の場合,過半数が「嫁入支度」「行儀見習」などの理由をあげている。「結婚を目標にした結婚準備のための修業」。このような意識が強いからこそ,安い給料で休みがなくても,何とか我慢できるのであろう。日本の家庭女中を考えるさいには,この点を見逃すことができないのである。
著者
福田 敬子
出版者
神戸市立工業高等専門学校
雑誌
研究紀要 (ISSN:09101160)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.75-84, 2004-03-01

The Kamakura Shogunate did hot take economical profit from the barrier stations, but the Shogunate had the power which controlled the barrier stations. I think the Shogunate did so because of duty and pride as the samurai's administration. I divide the Kamakura period into three terms, and examine the contents of the Kamakura Shogunate's barrier stations control. In this paper, I focus mainly on the Kamakura Shogunate from the viewpoint of the barrier stations control in the Kamakura period.
著者
小早川 健
出版者
神戸市立工業高等専門学校
雑誌
研究紀要 (ISSN:09101160)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.97-102, 1996-02-29

'Michiyukiburi' was written by Imagawa Ryoshun, as an account of his trip from Kyoto to Shimonoseki through Sanyodo by a land route in the 4th year of Oan, 1371. 'Kyushu-michi-no-ki' was written by Hosakawa Yusai when he went to Kyusyu from Tango and then returned to Osaka through Setonaikai for the conquest of Shimazu in the 15th year of Tensho, 1587. This work seeks to show how 'Hachimangudokun' that included the story of the conquest of Sankan (ancient three Korean countries) by the Empress Jingu influenced both of the works mentioned above.
著者
阪本 一郎
出版者
文教大学女子短期大学部
雑誌
研究紀要 (ISSN:03855309)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.17-27, 1976-12
著者
高玉 和子
出版者
駒沢女子大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02884844)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.21-27, 1991-03-31

以上, 主としてアメリカ合衆国とわが国における代表的な定義を紹介しながら, その特徴を検討してみたが, 概して欧米の定義では比較的詳しくまとめられているのに, わが国ではほとんど見向きもされないテーマとして, 社会福祉的アプローチにおける児童虐待の定義があることを指摘しておかなければならない。バレンタインとアカッフは, 前述のように, 法律的観点, 医療的観点に加えてソーシャルワーク的観点からの定義に触れているが, この社会福祉的アプローチには, 主に四点からなる特徴がある。すなわち, 1) ソーシャルワークによる介入は有益なものと考えられること。2) ソーシャルワークは, 社会問題に対して「環境のもとにおける個人」を扱うようなアプローチの仕方をすること。3) ソーシャルワークは, 社会の付託に応え得るものでなくてはならないこと。4) ソーシャルワーカーは, 児童保護が充分になされなかった結果に対し, 情緒的, 心理的発展をうながすという側面から問題解決に貢献すると考えている。このように, 社会福祉的アプローチの場合, 問題を「社会的」な拡がりのなかで把え, 「環境のもとにおける個人」を対象とすると述べているように, 家族, 集団, 学校, 地域社会を含む児童の生活環境全体との関わりのなかに児童を位置づけ, その働きかけも医療や法律的アプローチが, 問題を治療場面や法律関係に集約して捉える傾向があるのに対し, 多方向的な視点をもっている。次に, わが国の定義が虐待の事実を正確に把握するという観点からまとめ (それはケンプの場合も同様), いわば実態概念としての性格が強いのに対し, 欧米ではそれに加えて, 問題の予防あるいは解決のための方法までも含めた機能概念としての性格をもっていることに注目したい。つまり, ソーシャルワーク的観点からの概念整理は, 単に虐待の事実と因果関係だけに終始するのではなく, 問題解決のための方法を含んだ力動的な概念として考えられている。従って, そこでは「問題解決」という目標を設定し, 次にそこに結びつく事実と方法の設定が, 作業としては必要になってくる。ファラー (L. C. Faller) によれば, そうした状況にある専門ソーシャルワーカーには, 少なくとも四つの特徴を備えた定義が必要であると考えられ, 次のようにまとめている。1) 何らかの意味で明確になった両親の行動は, 怠慢にもとずく行為であれ, 強制にもとずく行為であれ, 身体的にしろ, 精神的にしろ, その児童に向けられる。2)身体的な葛藤, あるいはその状況, 心理的な損傷, あるいはその両方について, 児童に即して証明できる損傷である。3) 両親の行動と, 児童に与える危害の間にある因果関係を明らかにする。4) ソーシャルワーカーは, 虐待に正当な介入と認められれば認められるほど, 重要な役割を果していると感じられることが必要である。これらの条件は, いずれも児童と両親 (虐待者) の関係の実態を把握し, 改善のための具体的な方法を見いだす努力の必要性に関係したものであるが, トータルには, ファラーが「家族の逆機能に貢献する状況の改善とシステムの統一に焦点を合わせている」とまとめているように, 法律や医療の場合と異なって, 家族問題 (family problem) として位置づけ, 家族関係の改善方法を採る方向に意図的に運営しようとする。そのために, 「ソーシャルワークは個人や家族にとって有害な社会的価値や状況の変更を代弁する責任を持っている」という倫理綱領も充分に考慮しなければならない。以上述べたところをまとめるならば, 「定義の拡張は, 虐待による損傷それ自体においてと同様に, 児童と両親の行動, そして性的虐待と同様に, 情緒的な虐待や放置を合体することに焦点を合わせる」ところに結論が置かれるのではなかろうか。
著者
宮川 久美
出版者
奈良佐保短期大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:13485911)
巻号頁・発行日
no.21, pp.25-34, 2013-03-31

この作品は,従来,スーホの白馬に対する思いの深まり,純粋な愛,「変わらぬ絆」を描いていると解釈されてきた.しかし本稿は,スーホの二度の決断をとおして,彼の白馬に対する愛の変容を描いていると考えた.一度目は,白馬にまたがって殿様主催の競馬に出たこと.それは,白馬と他の馬とを比べることであり,自慢の白馬をみんなに見せびらかすことである.その結果白馬を失うことになる.二度目の決断は,スーホの元に瀕死の重傷を負いながら帰ってきて翌日死んだ白馬が夢に現れ,自分の体で楽器を作るようにと言ったとき.白馬の,身を以てスーホを慰めようとする愛に呼応してスーホの愛は「ぼくの白馬」という「所有の愛」を超え,対等の愛,個の尊厳を認めた手放す愛へと昇華する.この結果,楽器「馬頭琴」はひとりスーホを慰めるだけでなく,聞く人の心をゆりうごかし,広いモンゴルの草原中に,ひろまって,多くの羊飼いたちの一日の疲れを忘れさせるものになったのである.
著者
関根 令夫
出版者
お茶の水女子大学
雑誌
研究紀要
巻号頁・発行日
vol.32, pp.31-49, 2002

多くのスポーツでは,競技を行う上で左利きの選手が優位な場合が多く見られる。しかし,和弓(以下弓道とする)の場合,左射法(的に対して右体側が面するような半身の姿勢。以下,左射法とする)は,ほとんど行われていない。身体的な障害があるような極く少数を除き,伝統的に右射法で,弓を引くことが義務づけられている。弓道において,右射法は,日本文化の継承という意味で当然である。左射法が認められていない具体的な理由は,行射の際,上座に対し背中(尻)を向けることのないようにというしきたりや,団体競技の時の危険性や,審判・競技運営上の問題がその根拠とされている。そこで,早気対応法として,左射法の有効性について考えると,高校生(3年間)や大学生(4年間)という短い選手期間の中で,一度,早気になってしまうと,短期間で早気を克服するには困難である場合が多い。早気矯正法の一つとしての左射法を使う考え方は,中国の弓術書「射学正宗」にみることができる。筆者は,右射法で,早気のために十分な稽古ができない間,左射法で練習をすれば,伸び合いも十分に行うことが出來る(運動学習における転移)と考える。この点に関しては,脳生理学(左右脳の機能差)の研究を待たなければならない。また,アーチェリーにおける狙いの指導の中では,危険性もともなうため,弓を持つ手を利き目で決定したり,利き手が左優位の射手には,左用の弓を使う左射法を考慮しなければならないとしている。弓道においても,アーチェリーのように狙いの危険性から考えても,弓道の利き眼に関しての指導法は,改善されるべき内容である。本研究が,弓道初心者指導方法の基礎資料や効果的な指導方法の一助となれば幸いである。科学的な面も視野に入れ,競技としての弓道・伝統的日本文化としての弓道に寄与できるものと考える。
著者
阿部 宏徳
出版者
東京成徳大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:13403702)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.25-33, 2014

ロールシャッハ・テストのデータベースアプリケーションはこれまで高価であり,また直感的操作を可能にするタッチパネルに対応したものは存在しなかった。本論では,スマートフォン・タブレットのオペレーションシステムとして世界で最も用いられているAndroid上で動作する新しいアプリケーションを作成,無料で公開したことを報告する。そのアプリケーションはRAPID νと名付けられ,コードチェックやExcelファイル形式によるサマリーの出力など多彩な機能を有している。