著者
ハーヴェイ・ D
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.126-135, 1994-12-31 (Released:2008-12-25)
被引用文献数
12 18

地理学者は,「空間」,「場所」,「環境」のどれか1つを取り出して学問を構築しようとしてきたが,本当は3つの概念を同時に相関的に扱わねばならない。ただ本日は,このうち「空間」を中心にし,空間と時間の社会的構成について話したい。 異なる社会は各々に個別性ある時空概念を構築する。社会的構成は物質世界の外にある純粋な主観でなく,物質世界の様相において時空を理解するやり方である。時空の尺度を選択するのは自然でなく社会である。この選択は社会の作用にとり基礎的・個人にとり客観的事実で,個人がなされた選択から逃れると罰をうける。決定された時空様式は生産・消費様式や権力と結びつき,時空様式を中立とみると社会変革の可能性の否定になる。 社会変容は構成された時空の変容と結びつく。支配的社会はそれ固有の時空概念を従属的社会におしつける。ここから,時空様式の変革から社会を変革しようとする思想と行動が生まれた。時空概念は社会諸部分の相異なる目的や関心により変容し,異なる時空性は互いに葛藤する。例えば,数十年の将来を利子率だけでみる新古典派経済学者と無限の将来にわたる持続性を説く環境論者とで時空性は異なる。男女の旧い分業に基づく時空性に基づき計画された都市と,そこに住み社会で働く女性がもつ時空性とは矛盾をきたす。 空間と時間について,ニュートンの「絶対」,アインシュタインの「相対」,ライプニッツやルフェーブルの「相関」の3概念がある。「絶対」では,時空がその中で作用する過程から独立な物質的枠組とみなされる。「相対」では,依然独立とされる時空の尺度がその物的性質に応じ変化するが,時空の多元性を許容しない。これまでの議論と整合的なのは,各過程が自らの時空を生産するという「相関」である。ライプニッツは,ニュートンの同僚クラークとの論争で案出した「可能な諸世界」の考えを説いた。マルクス主義唯物論者として私はこれを世俗化し,利害と過程の多元性が諸空間の不均質性を規定し,この諸空間のなかから支配的権力がもつ利害を反映した時空が選びだされる,としたい。 この考え方は,現実における時空の多元性を強調するホワイトヘッドと共通している。彼にあって空間と時間は,異なる諸過程が関連しあって生み出される「一体性」,ならびに共存せざるを得ない諸過程の相互依存から空間と時間の共存とその統一された編成が出てくる「共成性」生成の研究により定義される。コミュニケートしあう諸過程はある支配的な空間と時間の考えを規定するから,これはコミュニケーションと類義となる。 現代社会の空間と時間についてみると,『資本の限界』で論じたように,資本主義は19世紀以来永続して革命的で,回転期間と資本流通の高速化が技術革新により達成されてきた。また,空間がコミュニケーションにとってもつ障害は.一層減少し,時間・空間の圧縮が生じた。これにより同時に,旧い時空リズムは創造的に破壊され全く新しい時空性をもった生活様式が生まれる。だが,この支配的過程がもつ効果は,場所の発展や環境利用のパターンに影響する労働市場や資本主義の経済システム内部における位置や立地などの位置性によって断片化され,時間・空間の圧縮全体の効果が断片化される。内的に整合性あるたった1つの過程が,都市人口内部などに断片化された時空性をもたらすのである。 ラディカル運動の任務の1つは,現在を変革した先にある世界がもつ時空に直面する問題に取り組み,現実的な可能性として規定することである。移りゆく時空の諸関係にそれと違う方向付けを与える課題は,今日の地理学者に避けがたく緊要である。(水岡不二雄)