著者
藤原 哲 Satoshi FUJIWARA フジワラ サトシ
出版者
総合研究大学院大学文化科学研究科
雑誌
総研大文化科学研究 = Sokendai review of cultural and social studies (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.8, pp.195-219, 2012-03-30

本論の目的は古墳時代における軍事組織の可能性を探ることである。これを検討するための考古学的な資料としては古墳時代の武器や武具が挙げられる。しかしながら古墳時代の武器は大部分が墳墓から出土しており、直接的には戦闘や軍事組織を反映していない可能性が高い。 そのため、武器という資料を検討する一手段として遺物の出土状況、すなわち古墳における武器の配置状態を検討し、墳墓としての古墳で武器や武具がどのように取り扱われてきたのかを探る。そのことで当時の武器の価値的な側面を明らかにする。その結果から古墳へ埋納された武器がどの程度、実際の武装(実用性)や組織を具現していた可能性があるのかを考えてみた。 古墳時代前期~後期の未盗掘の竪穴系墳墓を中心に武器の副葬状況を検討した結果、近畿を中心とする大・中規模の古墳においては、「遺骸の外部との遮断」から「武器の同種多量埋納」、「記号的属性を帯びた副葬」へという変化過程を経ることを明らかにした。一方、中・小型の古墳では、前期において少数の武器を人体付近に副葬する事例が多く、中期にいたると防御用道具(甲冑)、接近戦用道具(刀剣)、遠距離戦用道具(弓矢)など、それぞれ用途の異なる武器を少数ずつ人体周辺に副葬する特長が抽出できた。 武器の価値的な背景を検討し、武器副葬の意義を考察した結果、大・中の首長たちの副葬行為は武器を大量に副葬するという象徴的な、又は記号的な意味合いが強いと考えた。対照的に、中・小首長たちは、人体付近に武器を副葬しており、それら武器は実際に使用していた、又は生前の身分を表すような価値的な背景を推察した。その結果から、古墳時代の副葬武器から実際の戦闘や軍事組織が復元できる可能性を指摘した。
著者
藤原 哲 Satoshi FUJIWARA フジワラ サトシ
出版者
総合研究大学院大学文化科学研究科
雑誌
総研大文化科学研究 = Sokendai review of cultural and social studies (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.7, pp.59-81, 2011-03-31

1980年代までの研究において、環濠集落は弥生時代の代表的な集落であり、かつ防御的な機能を有しているという認識が強かった。近年では環濠集落像の見直しが進み、防御説に立脚しない論旨を展開する研究者も多く、集落ではない環濠の存在も指摘されるなど、新たな環濠像が数多く提示されるようになってきている。 従来のように「環濠集落=標準的な弥生集落」という見方は正しいのであろうか、小論では日本列島や弥生集落全体の中で、環濠集落がどのように位置づけられるのかの検討を試みた。 研究方法としては、近年、数多く調査されるようになった環濠集落のうち、ある程度構造が明らかな約300遺跡を集成し、時系列と分布とを中心として再整理する。また、集落規模や立地条件をもとに環濠集落の分類を行った。 上記の分析を通じて、環濠集落は源流となる韓国においても、日本列島での弥生時代を通じてみても、標準的な集落ではなく、むしろ極めて希少な集落形態であることを明らかにした。また、集落ではない環濠遺跡が多数あることも改めて認めることができた。 環濠集落の分類結果では、農耕文化が本格的に定着した時期に成立するような中・小規模の農耕集落が大多数であった。しかし、農耕文化成立期の全ての弥生集落に環濠が巡っていたわけではないため、環濠集落とはある特定の農耕集団の所産によるものと推察した。大規模な環濠集落や高地性の環濠集落などについては、更に数が少ない特殊な集落であることを指摘した。 これらの分析から、これまで標準的な弥生集落と思われがちな環濠集落が極めて希少な例であり、日本列島の弥生社会では農耕文化そのものを受け入れない地域、農耕文化と環濠集落の両方を受け入れる地域、農耕文化は受け入れても環濠集落を受け入れない地域など、様々な地域差が想定できた。This paper presents research on moat encircling settlements of the Yayoi period in Japan.Until the 1980s, many archaelologists thought the moat encircling settlements of at the Yayoi period were standard Defense settlements for warfare. Recently, however, many researchers have not adopted the defense theory.In this paper I review and consider Yayoi moat encircling settlements based on the research results so far. I have studied the research on over 250 moat encircling settlements in Japan and Korea. It is thought that, moat encircling settlements were not standard large settlements of the Yayoi period, rather, they were very rare settlements and only particular farming groups lived at such moat encircling settlements.With the establishment of agricultural culture, encircled settlements declined and eventually disappeared in Yayoi Culture. Most moat encircling sites were not settlements; however, some moat encircling settlements in the middle stage of the Yayoi period were large settlements.The examination and understanding of the moat encircling settlements of the Japanese islands can illuminate various regional differences.