1 0 0 0 OA ピロリ菌

著者
三宅 一昌
出版者
公益社団法人 日本食品科学工学会
雑誌
日本食品科学工学会誌 (ISSN:1341027X)
巻号頁・発行日
vol.53, no.5, pp.316, 2006-05-15 (Released:2007-05-15)

ピロリ菌は,一端または両端に数本の鞭毛を有する,約4μm長のらせん状をしたグラム陰性桿菌である.胃粘膜に感染するこの細菌は,1983年オーストラリアの病理学者Warrenと内科医Marshallにより発見され,1984年6月,Lancetに報告された.当初,Campylobacter pyloridisと呼ばれていたがCampylobacterとは異なった細菌であることがわかり最終的にHelicobacter pylori(以下ピロリ菌)と命名された.胃の中に細菌が存在していることは約100年前より報告されていたが,ほとんど注目されなかった.たとえ胃の中にどんな細菌が存在したとしても,胃酸のため強い酸性状態にある細菌が病原菌として疾患と関わるとは到底考えられなかった.しかし,この菌はヒトの胃粘膜に持続的に感染し,好中球浸潤を伴う組織学的な胃炎を惹起するとともに,胃潰瘍,十二指腸潰瘍,胃癌および胃の低悪性度リンパ腫であるMALTリンパ腫の発生にも関与していることが判明した.さらにピロリ菌の除菌が,潰瘍の再発を著明に抑制することや,胃癌の予防につながる可能性があること,MALTリンパ腫の一部を寛解へ導くことも示されてきた.そして,これらの膨大な知見をもたらすこととなった,常識を覆す発見をしたWarrenとMarshallに昨年10月,ノーベル医学・生理学賞が授与されることが決定した.感染源は明らかではないが,飲み水や食べ物を介して経口感染すると言われている.40歳以上の約7割の人がピロリ菌感染症に罹患しており,とくに50歳以上の方たちは戦後の衛生状態が悪い時代に生まれ育ったため,高い感染率を示していると考えられている.罹患率が高いことが,日本人に胃炎,胃潰瘍および胃癌など胃疾患が多い理由と考えられる.しかし近年,衛生状態の改善とともに若年者での感染率は先進国とほぼ同等のレベルまで減少している.以下,ピロリ菌と病気の関係について一部概説する.胃 炎免疫応答が未成熟な幼少期の胃粘膜にピロリ菌感染が成立するとほぼ100%の人に好中球やリンパ球浸潤をともなう慢性胃炎をもたらす.自覚症状は多くの場合ほとんど無く,基本的には生涯胃炎が継続する.ただし,慢性胃炎による粘膜の荒廃が進行すると菌が生育しうる環境が維持できず自然消失することがある.また,成人におけるピロリ菌初感染では免疫が強く反応し急性胃粘膜病変が発症するとともに,菌は排除され慢性胃炎は成立しにくい.胃潰瘍,十二指腸潰瘍ピロリ菌陽性者は胃潰瘍,十二指腸潰瘍を発生する頻度が高く,陽性者の2~5%に潰瘍がみられる.潰瘍患者では胃潰瘍で約75%,十二指腸潰瘍では95%にピロリ菌が陽性と言われている.潰瘍のほとんどは酸分泌抑制剤を中心とした薬物治療で一旦治癒するが,ピロリ菌が陽性の場合は高率で再発をおこします.そのためこれまでの潰瘍治療は維持療法が必要と考えられていたが,ピロリ菌の発見以降,除菌療法が胃潰瘍,十二指腸潰瘍の再発を抑えることが明らかとなり,潰瘍再発予防には除菌治療が薦められている.胃がん疫学的な研究から,胃癌の発生とヘリコバクター・ピロリ感染の間に深い関連があることが示唆され,ピロリ菌陽性者は陰性者の6~22倍の頻度でがんを発症すると言われている.ピロリ菌陽性者のうち胃癌が発症するのは年間0.15%以下であるが,胃癌患者からみた場合90%以上の人がピロリ菌陽性である.1994年WHOはピロリ菌が確実な発癌因子であることを認定した.最近の臨床的ないしは主にスナネズミを用いた動物モデルによる研究から,ピロリ菌感染による慢性の組織学的胃炎を背景として胃癌が発生することが明らかとなり,陽性者の中でも高度な胃粘膜萎縮や胃体部胃炎を有する症例に,胃癌発生のリスクが高いことが明らかとなっている.さらに,ピロリ菌の除菌による胃粘膜の炎症の改善が,消化性潰瘍の再発予防だけでなく,胃癌予防の効果も発揮する可能性かあることが期待されている.しかし,臨床的なエビデンスとしては不十分であり,十分なコンセンサスは得られていない.今後,胃癌の予防を目的としたピロリ菌の除菌治療が一般的に認知され保険適用されるには,さらに大規模で長期観察した研究が必要と思われる.