著者
三浦 國泰
出版者
成蹊大学文学部学会
雑誌
成蹊大学文学部紀要 (ISSN:05867797)
巻号頁・発行日
no.48, pp.217-231, 2013-03

1827年1月31日、ゲーテはエッカーマンに次のように語っている。「われわれドイツ人は、われわれ自身の環境のようなせまい視野をぬけ出さないならば、ともするとペダンティックなうぬぼれにおち入りがちとなるだろう。だから、私は好んで他国民の書を渉猟しているし誰にでもそうするようにすすめているわけさ。国民文学というのは、今日では、あまり大して意味がない、世界文学の時代がはじまっているので。だから、みんながこの時代を促進させるよう努力しなければだめさ。」(傍点、引用者)世界文学という概念を考えるとき、どうしても時代の背景として、「国民文学」対「世界文学」という対立概念を考えざるをえないだろう。国民文学なくして自国の文学が成り立たないからである。ヘルダーの要請により、ドイツのシェイクスピアたらんとしたゲーテがドイツ国民文学の基盤を築いたことは文学史上の常識である。にもかかわらずゲーテが「もはや国民文学が意味を持たず、世界文学を志向しなければならない」と語った意図はどこにあったのだろうか。ゲーテが「世界文学」に期待した意図には、ゲーテの文学観ばかりでなく、その時代的背景として、当時のドイツの抱えた政治的-歴史的な状況も関わっている。初期のシュトゥルム・ウント・ドラング時代から、中期の古典期の時代、『ヴィルヘルム・マイスター』における新大陸への期待、そして晩年に完成した時間と空間を超越した壮大なスケールの『ファウスト』文学や『西東詩集』の世界。そこではファウストとヘレナの結婚、ハーフィスとズライカの恋愛に象徴されるように、古代と近代、そして東洋と西洋の融合が語られている。ゲーテの文学的奇蹟は、政治的な保守的態度にもかかわらず、ゲーテ自身の生涯にも似て、つねに狭い垣根や固陋な慣習やモラルを否定しようとする地平の拡大を求めている。ゲーテにとって「世界文学」概念に込められた希望は、ウエルテルの反抗、ウィルヘルムやハーフィスの遁走、そしてファウストなどの飽くなき冒険に込められたゲーテ自画像のあらたな地平の拡大を意味していた。トーマス・マンは「市民的教養概念」として、さらに国家社会主義の偏狭な国粋的文学観に対する警告として「コスモポリタニズム」の立場からゲーテの「世界文学」概念を継承し、その積極的な意義と限界を指摘している。そしてトーマス・マンはその限界を克服する方向性の中に、あらたな「今日の世界文学」の「普遍的」意義を模索したのである。また哲学者ガダマーは異文化との対話的理解、あるいは地平の融合としての受容美学的、解釈学的観点から、ゲーテの「世界文学」に積極的な意義を見いだしている。ガダマーの「規範も変質する」という柔軟な規範性概念は「開かれた地平」を約束している。その際、異文化理解に重要な作業として「翻訳」の積極的な課題が強調される。なぜなら「国民文学」が「世界文学」になるためには「翻訳」は不可欠であるからである。しかし情報化・グローバル化する現代社会においては、「文化の平均化」にともなう「文学の平板化」という文学の価値低下が危惧される。そうした「文学の平板化」に抗する視点としてヘルダーや和辻哲郎の「風土性」の概念は依然として有効であろう。しかし先に引用したエッカーマンとの対話のなかで、すでにゲーテ自身が「文学の平均化」に警告を発している。あるいはまたニーチェ、ベンヤミン、アドルノなども文化産業-メディア批判として文化批判を展開した。われわれはグローバル化という地平の拡大と平均化という文化の質低下の岐路に立たされている。ゲーテの世界文学概念は、メディア産業化された社会の中にあって、そもそも「文学とは何か」という問いを再考する機会として、今日的な課題をわれわれに提供している。そこにゲーテの「世界文学」の新たなパラダイムを求める今日的意義があると思われる。なお本論考は、2009年3月、ミュンヘン大学日本文化研究所においてドイツ語で講演した原稿に加筆修正を施したものである。