著者
小林 盾
出版者
成蹊大学文学部学会
雑誌
成蹊大学文学部紀要 (ISSN:05867797)
巻号頁・発行日
no.47, pp.157-164, 2012-03

この論文では、人びとが恋愛をどのようにはじめて、それを結婚にどう結びつけているのかを、ソーシャル・キャピタルの視点から検討する。そうした恋愛の壁と結婚の壁における社会的格差を分析することで、家族形成プロセスを解明し、少子化防止にどのような支援が必要かをかんがえる。そこで、ランダムサンプリング調査によって恋愛経験を計量的に測定した。その結果、恋愛の壁をこえて恋人と交際するのに教育や職業といった社会階層は影響をもたず、恋愛はすべての人に平等にひらかれていた。それよりむしろ、成人前の友人関係、部活動、恋人といったソーシャル・キャピタルがその後の交際人数を増加させた。さらに、交際人数が多ければ、とりわけ1人とでも付きあったことがあれば、結婚の壁を乗りこえるチャンスがふえた。これらの結果は、ソーシャル・キャピタルを蓄積することが、恋愛経験や家族形成に役だつことを示唆する。
著者
小林 盾 谷本 奈穂
出版者
成蹊大学文学部学会
雑誌
成蹊大学文学部紀要 (ISSN:05867797)
巻号頁・発行日
no.51, pp.99-113, 2016-03

この論文では、人びとの容姿がキャリア形成、家族形成、心理にどう影響するのかを分析することで、社会的不平等における容姿(ルックス、身体的魅力)の役割を解明する。そこで、人びとは美容資本に時間や労力を人的資本として自分に投資し、地位達成の向上などで回収すると仮定した。エビデンスとして、ランダムサンプリング調査を実施してデータ収集した(有効回収数297人、有効回収率60.9%)。20 歳時の容姿(とくに顔)について、1下から10上の10段階で、主観的評価を測定した。分析の結果、以下が分かった。(1)容姿の分布は、男女ともにランク5と7~8の二山をもった。男女で分布に違いはなかった。(2)容姿の規定要因では、性別による違いはなかった。(3)容姿の帰結では、容姿がよいと、役職につきやすく、所得が増えた(所得は男性のみ)。多くの人から告白され、交際人数や結婚のチャンスや子どもの数が増えた。さらに、高い階層にいると感じ、自信があり、幸福だった(幸福は男性のみ)。(4)このように、男性ほど容姿の影響が強かった。これは、男性のほうが美容資本への投資が不均等なため、容姿が社会的不平等につながりやすいからかもしれない。以上から、容姿はライフチャンスを拡大させたり制約しうる。この点で、容姿は社会的不平等の一要因といえよう。
著者
小林 盾 ホメリヒ カローラ
出版者
成蹊大学文学部学会
雑誌
成蹊大学文学部紀要 (ISSN:05867797)
巻号頁・発行日
no.49, pp.229-237, 2014-03

この論文では、生活満足度が主観的幸福感と一致しているのかを検討する。ともすれば、生活に満足している人は、幸福であるとみなされがちである。しかし、このことは自明ではない。満足していても不幸とかんじるかもしれないし、不満があっても幸福かもしれない。そこで、2013年社会と暮らしに関する意識調査(SSP-W2013-2nd)をデータとしてもちいて、分析をおこなった。その結果、以下がわかった。(1)満足と幸福が一致しない人は、全体で23.4%いた。そのうち「生活に不満があるのに幸福」というポジティブな不一致の人は、不満な人のうち3割いた。とくに60代で45.9%と多かった。逆に「満足しながら不幸」というネガティブな不一致は、1.5 割いた。とくに未婚者で27.9%と多かった。(2)女性ほど、年配者ほど、既婚者ほど、世帯収入が多いほど、「不満だが幸福」というポジティブな不一致がふえ、「満足だが不幸」というネガティブな不一致がへった。ただし、学歴や従業上の地位による違いはほとんどなかった。以上から、生活満足度と主観的幸福感はたしかに似た概念であるが、同一視するには慎重であるべきだろう。
著者
石 剛
出版者
成蹊大学文学部学会
雑誌
成蹊大学文学部紀要 (ISSN:05867797)
巻号頁・発行日
no.51, pp.73-86, 2016-03

戦後、日本は70 年の間、一連の言語計画をうち立ててきた。その歩みの中で、「国語審議会」(2001年から文部科学省「文化審議会国語分科会」)が主導的な役割を果たしてきた。なお、1970年代以後、「国際交流基金」、「日本語教育振興協会」など、政府系および半官半民か民間の組織も多数立ち上げられ、言語政策の企画推進と実施に加わり、それぞれ異なる役割をはたしながら連携しているような体系をなしてきた。その実態についてはすでに数多くの研究があったが、本文では時間軸に沿って、「国語審議会」を中心に、これら組織の活動を整理したうえで、日本の言語計画の特徴を東アジアというバックグランドにおける意味を探ってみた。これにより、東アジア言語思想史という視座を生かしながら、アジア地域諸国の言語政策比較研究を試みる地ならしとしたいと考えている。 In the past 70 years after the world war II , Japan has established a series of signifi cant national language planning. The Japanese Language Council or Council for Cultural Aff airs is a leading role in examining and establishing the language policy. The institutions such as The Japan Foundation, Association for the Promotion of Japanese Language Education are also involved in the implementation of the language planning. All of these institutions cooperate with each other, devoting to building up the network of the language planning of Japan. According to the diff erence of nature of work, this paper will introduce the general situation of the Japanese national language planning in the past 70 years in chronological order, and analyses its characteristics in brief.
著者
森田 厚 小林 盾 川端 健嗣
出版者
成蹊大学文学部学会
雑誌
成蹊大学文学部紀要 (ISSN:05867797)
巻号頁・発行日
no.54, pp.1-10, 2019-03

この論文では、理美容師の志望者に着目し、理容師志望者と美容師志望者、男性と女性とで、志望動機に違いがあるのかを検討する。さらに、男性の理容師志望者、女性の理容師志望者、男性の美容師志望者、女性の美容師志望者の4 グループで、志望動機が異なるかを調べる。データは、首都圏にある理美容専門学校で、量的調査を実施して収集した(有効回収数は268 人、回収率は当日の出席者全員)。なぜ理容師(または美容師)になりたいと思ったかを、自由回答で記述してもらい、計量テキスト分析した。その結果、理容師志望者と美容師志望者、男性と女性、4 グループで、志望動機に違いがあった。とくに、男性の理容師志望者には家業が、女性の理容師志望者には技術修得が、男性の美容師志望者には憧れ・向いてることが、女性の美容師志望者には人を喜ばせることが、特徴的な志望動機となっていた。したがって、理美容師への動機は多様であり、グループごとに特徴があった。このことは、理美容師の入職や転職において、グループごとに異なるサポートが必要であることを示唆する。
著者
三浦 國泰
出版者
成蹊大学文学部学会
雑誌
成蹊大学文学部紀要 (ISSN:05867797)
巻号頁・発行日
no.48, pp.217-231, 2013-03

1827年1月31日、ゲーテはエッカーマンに次のように語っている。「われわれドイツ人は、われわれ自身の環境のようなせまい視野をぬけ出さないならば、ともするとペダンティックなうぬぼれにおち入りがちとなるだろう。だから、私は好んで他国民の書を渉猟しているし誰にでもそうするようにすすめているわけさ。国民文学というのは、今日では、あまり大して意味がない、世界文学の時代がはじまっているので。だから、みんながこの時代を促進させるよう努力しなければだめさ。」(傍点、引用者)世界文学という概念を考えるとき、どうしても時代の背景として、「国民文学」対「世界文学」という対立概念を考えざるをえないだろう。国民文学なくして自国の文学が成り立たないからである。ヘルダーの要請により、ドイツのシェイクスピアたらんとしたゲーテがドイツ国民文学の基盤を築いたことは文学史上の常識である。にもかかわらずゲーテが「もはや国民文学が意味を持たず、世界文学を志向しなければならない」と語った意図はどこにあったのだろうか。ゲーテが「世界文学」に期待した意図には、ゲーテの文学観ばかりでなく、その時代的背景として、当時のドイツの抱えた政治的-歴史的な状況も関わっている。初期のシュトゥルム・ウント・ドラング時代から、中期の古典期の時代、『ヴィルヘルム・マイスター』における新大陸への期待、そして晩年に完成した時間と空間を超越した壮大なスケールの『ファウスト』文学や『西東詩集』の世界。そこではファウストとヘレナの結婚、ハーフィスとズライカの恋愛に象徴されるように、古代と近代、そして東洋と西洋の融合が語られている。ゲーテの文学的奇蹟は、政治的な保守的態度にもかかわらず、ゲーテ自身の生涯にも似て、つねに狭い垣根や固陋な慣習やモラルを否定しようとする地平の拡大を求めている。ゲーテにとって「世界文学」概念に込められた希望は、ウエルテルの反抗、ウィルヘルムやハーフィスの遁走、そしてファウストなどの飽くなき冒険に込められたゲーテ自画像のあらたな地平の拡大を意味していた。トーマス・マンは「市民的教養概念」として、さらに国家社会主義の偏狭な国粋的文学観に対する警告として「コスモポリタニズム」の立場からゲーテの「世界文学」概念を継承し、その積極的な意義と限界を指摘している。そしてトーマス・マンはその限界を克服する方向性の中に、あらたな「今日の世界文学」の「普遍的」意義を模索したのである。また哲学者ガダマーは異文化との対話的理解、あるいは地平の融合としての受容美学的、解釈学的観点から、ゲーテの「世界文学」に積極的な意義を見いだしている。ガダマーの「規範も変質する」という柔軟な規範性概念は「開かれた地平」を約束している。その際、異文化理解に重要な作業として「翻訳」の積極的な課題が強調される。なぜなら「国民文学」が「世界文学」になるためには「翻訳」は不可欠であるからである。しかし情報化・グローバル化する現代社会においては、「文化の平均化」にともなう「文学の平板化」という文学の価値低下が危惧される。そうした「文学の平板化」に抗する視点としてヘルダーや和辻哲郎の「風土性」の概念は依然として有効であろう。しかし先に引用したエッカーマンとの対話のなかで、すでにゲーテ自身が「文学の平均化」に警告を発している。あるいはまたニーチェ、ベンヤミン、アドルノなども文化産業-メディア批判として文化批判を展開した。われわれはグローバル化という地平の拡大と平均化という文化の質低下の岐路に立たされている。ゲーテの世界文学概念は、メディア産業化された社会の中にあって、そもそも「文学とは何か」という問いを再考する機会として、今日的な課題をわれわれに提供している。そこにゲーテの「世界文学」の新たなパラダイムを求める今日的意義があると思われる。なお本論考は、2009年3月、ミュンヘン大学日本文化研究所においてドイツ語で講演した原稿に加筆修正を施したものである。