著者
三輪 伸春
出版者
鹿児島大学
雑誌
地域政策科学研究 (ISSN:13490699)
巻号頁・発行日
no.13, pp.67-100, 2016-03

本稿は,シェイクスピアを初例として,現代のイギリスの口語では日常的によく知られているgreen-eyed「嫉妬深い」という語を取り上げてその由来と成立を考察する。本来語のように見えるが,外来語に由来する語wall-eyed にシェイクスピアがgreen を加えて本来語らしく形成した語である。 語彙史の場合,英語の共時的側面と通時的側面,それに音声,語形,シンタックスという内的側面だけではなく,言語外的側面にも想定している以上に配慮しなければならない。言語の根幹をなす内的側面(ソシュールの「ラング」,サピアの「パタン」,記号論の「コード」)ばかりではなく,言語が生きて使われる側面(ソシュールの「パロール」,サピアの「スピーチ(speech)」,記号論の「メッセージ」)への考慮が不可欠である。新しく形成された語やもたらされた外来語は1語1語が英語の音声と形態という言語内的規則の干渉を受ける。そして,英語に取り入れられるか否かが決められる。さらに,歴史,文化,思想といった言語外的な人文科学のほとんどの分野の見地から英語の語彙として必要であると認められてはじめて英語に受け入れられる。特にシェイクスピアは,いわゆる学者ではないが英語の言語的特性を熟知していたこと,英語国民の歴史,文化,民族性にも通暁していたこと,芸術的才能に恵まれていたこと,語感に優れ,一般民衆により実際に生きて使われていた口語,方言の動的傾向を敏感に感じ取ることができる学匠詩人であった。そのために言語に関する思想家ともいえるシェイクスピアの造語した,あるいは導入した語は深遠な意味を持つことがある。green-eyed はその典型的な例である。その由来と成立を解明するためには徹底した文献学的な考察を必要とする。The adjective green-eyed, recorded in OED2 as first used by Shakespeare, is generally thought to be formed only by native elements. But no one has ever given sufficient explanation of the etymology of the word. This paper aims to insist, from a philological point of view, that we have to take into consideration an exhaustive knowledge concerning green-eyed in order to comprehend the meaning and nature of the word green-eyed: the historical knowledge of the Anglo-Saxons, political and social, and the composite interference and intermixture of ancient Germanic tribes. H. Bradley, one of the four co-editors of OED1, expounded thus: "It would be easy to give a somewhat long list of words, such as control (as a noun), credent, dwindle, (...), which were used by Shakespeare, and have not yet been found in any earlier writer. But such an enumeration would probably give a greatly exaggerated impression of the extent of Shakespeare's contribution to the vocabulary of English. The literature of his age has not been examined with sufficient minuteness to justify in any instance the assertion that a new word was first brought into literary use by him." (The Making of English, 1904, p.231)
著者
三輪 伸春
出版者
鹿児島大学
雑誌
地域政策科学研究 (ISSN:13490699)
巻号頁・発行日
no.17, pp.175-192, 2020-03

今までにサピアのLanguageの全体構成を明らかにした記事はないようだが,全11章を各章の内容に従って,基本原理第1,2,3章,共時言語学第4,5,6章,歴史言語学第7,8,9章,記号論第10章と,詩学第11章に分類するとサピアのLanguageが現代でも言語学概論として十分通用する構成になっていることがわかる。ところが,サピアの計画は少なくとも現行版の10倍ほどの内容を1冊に詰め込んだために中身があまりにも濃縮されているうえに,短時日のうちに口述筆記されたままなのでサピアの意図は十分に理解されていない(Mandelbaum, p. xi)。本稿はLanguageの第9章「言語の相互影響」を中心にサピアの言語史研究の原理を明らかにする。Languageが名著と評価されながら十分理解されていないのには内容にも原因がある。第1,2,3章と第4,5,6章はアメリカ構造言語学(共時言語学,記述言語学)の誕生と進展に貢献した内容であり,その創始者とされるサピアの真骨頂といえる内容であり,十分に理解されていると思われる。しかし,後半の第7,8,9章は歴史比較研究法を論じている。ところが,第一に,サピアの歴史言語学はフンボルト,ボアズなどの言語学の原理を背景に19世紀の印欧比較言語学の厳しい批判なので,印欧比較言語学を心得ておかないとサピアの意図がわからない。第二に,印欧比較言語学がヨーロッパの文字言語だけを対象とするのに反し,無文字言語のNa-Dene大語族を含めたまったく新しい普遍的な比較言語学を意図して書かれている。同じ歴史比較言語学といっても「【歴史的に見た】対照言語学的視点」など発想が根本的に異なるので印欧比較言語学のつもりで第7,8,9章を読んでも理解できない。第9章は単なる言語接触論ではなく言語史論の核心的な問題が高尚な文体で論じられている。第10,11章はそれぞれ「記号論」,「詩学」を意図して書かれている。時代を先取りしすぎているためにサピアの意図は現在でも理解されていない。最近明らかにされた,アフリカ出立後のホモ・サピエンスのアジア方面進出のルートはサピアの提唱になるNa-Dene 語族の分布と一致するという見解はサピア解釈に重要な意味を持つ。
著者
三輪 伸春
出版者
鹿児島大学
雑誌
地域政策科学研究 (ISSN:13490699)
巻号頁・発行日
no.11, pp.121-136, 2014-03

Edward Sapir's Language: An Introduction to the Study of Speech( 1921) is, though one of the masterpiecesof linguistics, generally considered a handy and easy introduction to linguistics among linguists all overthe world. The reason may be found in the fact that the book is apparently written in an easy style and everyday English, quite unlike other books and papers on linguistics, and complex technical terms are hardly foundon any page of the book. Such terms as pattern and drift are often used in everyday life. Other words such asAblaut and Umlaut are those which any student who begins to study comparative and historical linguisticscannot fail to meet in their first lessons. However that is the very reason we are apt to miss Sapir's thoroughlythought-out view on the method of historical linguistics. The aim of this paper is to clarify Sapir's view expoundedin Language concretely and intelligibly for the first time.サピアのLanguage(1921『言語』)は名著といわれ好意的に評価する人が多い。その理由は,他の言語学の専門書のほとんどが大部であり,難解な理論や無味乾燥なデータが多く,自然科学風の文体を心がけているのに反し,サピアの『言語』は比較的小さい書物であり,一見日常的なやさしい英語で書かれ,文体もやさしく専門用語がほとんどないことがあげられる。多少特殊な用語といえば「pattern(型,パタン)」,「drift(駆流)」であるが日常的な語である。他に「Ablaut(アプラウト)」,「Umlaut(ウムラウト)」,「類推(analogy)」があるが少しでも印欧比較言語学を学んだ人には周知の用語・概念である。しかし,サピアの『言語』は10万年にわたる人類言語を共時的,通時的に俯瞰できることが意図されており,見かけとは裏腹に難解である。サピアが「パタン(pattern)」という語で意図したのは「(音声・形態の)体系構造」であり,フンボルトの「内部言語形式」,ソシュールの「ラング」,チョムスキーの「言語能力」にも通ずる射程を持っているので注意を要する。やさしく見える英語は,わずか2カ月で書かれたといわれていることからも推察できるように,まるで詩神にとりつかれて一気呵成に書き上げられた詩のようである。従って,文章を論理的にするべく推敲した形跡がない。特に,言語史を論じた第7章,第8章,第9章は緊密度が高いので一字一句も加えることも差し引くことも難しい。また,サピアの時代は印欧比較言語学が頂点を極めた時代が続いており,言語学といえば歴史言語学以外にはありえなかった。しかも,19世紀の歴史言語学に大きな影響を与えた『言語史原理』の著者である H. パウルは,サピアが『言語』を執筆中はまだ存命であった(1921没)ので正面きっての批判を避けたのかもしれない。