著者
三輪 是法
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.1244-1250, 2022-03-25 (Released:2022-09-09)
参考文献数
3

天台大師智顗(538-597)が『摩訶止観』で説く「一念三千」は,不可思議なる対象として人間の心を表した言葉で,三千という数字は法華経の十如是と地獄界から仏界までの十界,そして五蘊世間・衆生世間・国土世間の三種世間の乗数によって導かれている.『摩訶止観』巻五上では,止観という修行による対境として最初に陰入界境を説明する.陰入界は実体をもたない人間存在を表し,まず迷いの原因である識陰の心を観察する必要があるという.その観察法として十種の方法をあげ,その第一番目が観不思議境である.五陰,十法界,十如是,三種世間の関係を詳述した後,心の様相として「一念三千」が説かれる.すなわち,我々の心は十種の人格的要因(十界)と現象の構成要素(十如是),さらに環境的外部要因を含めた関係性(三種世間)によって成り立っているということで,換言すると,心は他者によって形成されているといえるであろう. そこで現代における心の研究分野である精神分析の理論に基づいて考察すると,そもそも精神分析は,正常な人間は存在しないという立場に立っており,悩める主体である「分析主体」自身が自らの問題を主体的に解決していく営みであるということを知る.精神分析では,自我という自己像は他者との関係を通して作りあげられた虚構であり,また,主体というものは存在せず,意識と無意識との関係性において,一瞬,無意識の主体が出現するとしている.すなわち,『摩訶止観』で観察対象となる陰入界が他者によって形成された自我であり,観察結果として得られる一念三千という心が無意識の主体であると考えられる.換言すると,悩める分析主体が一念三千という境地に至ることによって,生き方を自ら選択できる可能性が生まれるということであり,ここに仏教と精神分析との類似性が確認できる.