著者
下出 茉波
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.9, pp.84-100, 2017-03-10

池澤夏樹「キップをなくして」は、『小説 野性時代』にて二〇〇三年十二月から二〇〇五年三月にかけて連載された小説である。連載が終了した四か月後である二〇〇五年七月には大幅な本文の修正を加え、角川書店より初版を刊行しており、また文庫版がその四年後である二〇〇九年六月に発売されている。この作品には多くの実在する駅や地名が登場し、それが物語の魅力の一つでもある。駅構内の様子や電車が発車する時刻なども忠実に再現されており、読者はまるで実際にその駅で登場人物たちと行動を共にしているかのような錯覚に陥るだろう。また、物語の主人公が小学生でありながら、生と死という重いテーマについて向き合っているのも、この作品の特徴だといえる。作者である池澤の価値観をベースに、作品では生と死という問題について分かりやすく解説されており、清々しい気持ちで読者も物語を読み進めることができるだろう。だが、それと同時に読んでいる最中にどこか釈然としない感覚もある。主人公であるイタルがやけに大人じみているのである。時代設定も連載当時より一昔前であり、最後の旅行の行き先もなぜ急に北海道なのか。そのわりに鉄道関係の描写は非常に丁寧で、現実味を帯びている。これらの諸問題について、旦敬介が文庫版にて解説を添えている。旦はこの作品の時代が、書かれた二〇〇三年ではなく一九八七年前後であることに注目し、一九八〇年代後半の鉄道文化に焦点を当てている。国鉄が廃止になり一九八八年四月一日からは民営化されたJRが発足し、一九八八年三月には本州と北海道を結ぶ青函トンネルが、同年四月には本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が開通した。なお、本州と九州を結ぶ関門トンネルは随分と昔である一九四二年に開通している。このことについて旦は、「きわめて具体的な意味で、日本列島が歴史上初めて、ひとつに統合されたのが一九八八年の春」であり、「連絡船の時代の終わり、鉄道の(ひとつの)時代の終わりに対して池澤さんが捧げた別れの歌だったようにも見えてくる」と、作者である池澤について語っている。また、寝台列車や厚紙のキップ、駅員さんの入鋏作業など、今はなきものが多く存在していたのがこの作品の時代であり、「すっかりファンタスティックな物語であるように見えて、これはある意味で実は、きわめて現実に密着したリアリスティックな物語」であると解説を締めくくっている。旦は一九八〇年代後半の鉄道文化に注目しているが、作品の連載が始まった二〇〇三年当時の鉄道文化については触れられていない。二〇〇〇年代前半の鉄道文化に焦点を当ててみると、その時期は交通ICカードの導入が開始され、鉄道に乗車する際のシステムの移り変わりの時代であった。第一章では、タイトルにもある「キップ」に成り代わるものとして登場したICカードに注目する。キップとICカードの性質の違いから、池澤の連載当時の様子を考察したい。また、この作品は昭和五〇年に発表された黒井千次「子供のいる駅」という短編と、設定が似ていることが指摘されている。第二章では「キップをなくして」と「子供のいる駅」を比較し、両作品でのキップの描かれ方についてまとめたい。第三章では池澤の作品に対するインタビューから、第四章では作品に実際に登場する駅から作品の深層を読み取り、「キップをなくして」という作品に対する読みを深めていきたい。
著者
下出 茉波
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.9, pp.84-100, 2017-03-10

池澤夏樹「キップをなくして」は、『小説 野性時代』にて二〇〇三年十二月から二〇〇五年三月にかけて連載された小説である。連載が終了した四か月後である二〇〇五年七月には大幅な本文の修正を加え、角川書店より初版を刊行しており、また文庫版がその四年後である二〇〇九年六月に発売されている。この作品には多くの実在する駅や地名が登場し、それが物語の魅力の一つでもある。駅構内の様子や電車が発車する時刻なども忠実に再現されており、読者はまるで実際にその駅で登場人物たちと行動を共にしているかのような錯覚に陥るだろう。また、物語の主人公が小学生でありながら、生と死という重いテーマについて向き合っているのも、この作品の特徴だといえる。作者である池澤の価値観をベースに、作品では生と死という問題について分かりやすく解説されており、清々しい気持ちで読者も物語を読み進めることができるだろう。だが、それと同時に読んでいる最中にどこか釈然としない感覚もある。主人公であるイタルがやけに大人じみているのである。時代設定も連載当時より一昔前であり、最後の旅行の行き先もなぜ急に北海道なのか。そのわりに鉄道関係の描写は非常に丁寧で、現実味を帯びている。これらの諸問題について、旦敬介が文庫版にて解説を添えている。旦はこの作品の時代が、書かれた二〇〇三年ではなく一九八七年前後であることに注目し、一九八〇年代後半の鉄道文化に焦点を当てている。国鉄が廃止になり一九八八年四月一日からは民営化されたJRが発足し、一九八八年三月には本州と北海道を結ぶ青函トンネルが、同年四月には本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が開通した。なお、本州と九州を結ぶ関門トンネルは随分と昔である一九四二年に開通している。このことについて旦は、「きわめて具体的な意味で、日本列島が歴史上初めて、ひとつに統合されたのが一九八八年の春」であり、「連絡船の時代の終わり、鉄道の(ひとつの)時代の終わりに対して池澤さんが捧げた別れの歌だったようにも見えてくる」と、作者である池澤について語っている。また、寝台列車や厚紙のキップ、駅員さんの入鋏作業など、今はなきものが多く存在していたのがこの作品の時代であり、「すっかりファンタスティックな物語であるように見えて、これはある意味で実は、きわめて現実に密着したリアリスティックな物語」であると解説を締めくくっている。旦は一九八〇年代後半の鉄道文化に注目しているが、作品の連載が始まった二〇〇三年当時の鉄道文化については触れられていない。二〇〇〇年代前半の鉄道文化に焦点を当ててみると、その時期は交通ICカードの導入が開始され、鉄道に乗車する際のシステムの移り変わりの時代であった。第一章では、タイトルにもある「キップ」に成り代わるものとして登場したICカードに注目する。キップとICカードの性質の違いから、池澤の連載当時の様子を考察したい。また、この作品は昭和五〇年に発表された黒井千次「子供のいる駅」という短編と、設定が似ていることが指摘されている。第二章では「キップをなくして」と「子供のいる駅」を比較し、両作品でのキップの描かれ方についてまとめたい。第三章では池澤の作品に対するインタビューから、第四章では作品に実際に登場する駅から作品の深層を読み取り、「キップをなくして」という作品に対する読みを深めていきたい。