著者
宮澤 菜那
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.9, pp.172-199, 2017-03-10

森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』は、『小説 野生時代』(角川書店)に、「夜は短し歩けよ乙女」(二〇〇五年九月)、「深海魚たち」(二〇〇六年三月)、「御都合主義者かく語りき」(二〇〇六年十月)、「魔風邪恋風邪」(二〇〇六年十一月)の全四回の連載を経て、二〇〇六年十一月に刊行された長編小説である。この作品は、二〇〇七年四月に本屋大賞第二位に選ばれ、同年五月に第二十回山本周五郎賞を受賞、そして七月に第一三七回直木賞候補作に選ばれるなど、世間から注目を集めた、森見登美彦の出世作と言っていい作品でもある。『夜は短し歩けよ乙女』は現代風の大学生の恋愛模様を軸に展開され、破天荒な人物たちが数多く登場し、奇怪な出来事が次々と起こる、一見すると荒唐無稽な物語である。しかしながら、森見登美彦独特の文体によって綴られる物語は破綻することなく、一定の調和を保ちながら成立している。読み手をその世界に引きずり込んでいくような不思議な力があり、そこが魅力の作品である。この作品には、第二章「深海魚たち」において重要なアイテムとして登場する『ラ・タ・タ・タム――ちいさな機関車のふしぎな物語』をはじめとして、合わせて三十以上もの文学作品が固有名詞として用いられている。また、固有名詞として登場しているだけでなく、他作品の台詞の引用なども多く見られる。本稿では、こうしたプレテクストに着目し、森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』について考察していく。
著者
伊藤 麻由
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.8, pp.14-29, 2016-02-12

金子みすゞは、大正時代に生きた童謡詩人である。本論は、みすゞの詩の中から、先述した「私と小鳥と鈴と」を取り上げ、みすゞの詩が受け入れられていったその受容過程と、どのように人々に受け入れられてきたのかという、それぞれの詩の解釈を探るものである。
著者
伊藤 麻由
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.8, pp.14-29, 2015

金子みすゞは、大正時代に生きた童謡詩人である。本論は、みすゞの詩の中から、先述した「私と小鳥と鈴と」を取り上げ、みすゞの詩が受け入れられていったその受容過程と、どのように人々に受け入れられてきたのかという、それぞれの詩の解釈を探るものである。
著者
佐藤 真衣
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.4, pp.55-66, 2011-12-10

本論の一章では川端の少女小説の傾向を探り、二章で「小公女」を中心として川端の描く「少女像」に着目し、三章において中里恒子との関係から川端の代作についてその真相をみると共に、川端が少女小説界に伝えようとしたメッセージを本論で探っていくことにする。
著者
浅岡 真衣
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.9, pp.67-83, 2017-03-10

「幽霊塔」は、江戸川乱歩による探偵小説で、一九三七(昭和十二)年一月から一九三八(昭和十三)年四月まで『講談倶楽部』に連載された。これは、黒岩涙香の翻案小説「幽霊塔」(『萬朝報』に一八九九(明治三十二)年八月十日から一八九〇(明治三十三)年三月九日まで連載)をもとに乱歩がリライトしたものである。原作から乱歩版まで、時計塔が物語の舞台であることは変わらない。乱歩が「想像も及ばない奇怪な着想」と言ったように、作品の魅力の核となっているのがこの時計塔である。作中で時計塔は、不可解な事件が起こり、その結果人が亡くなる場所、そして伝説の財宝が隠されている場所である。なぜ、これらの舞台が時計塔なのだろうか。時計塔が舞台であることに何か意味があるのだろうか。これまでの先行研究では、翻案作品であることや、作中に登場する整形手術について論じているものはあるが、時計塔については注目されてこなかった。そこで本稿では、時計塔が作品のなかでどう描かれているか、登場人物との関わりなどに注目して、時計塔がこの作品のなかでどういう意味を持つのかを考察していきたい。
著者
下出 茉波
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.9, pp.84-100, 2017-03-10

池澤夏樹「キップをなくして」は、『小説 野性時代』にて二〇〇三年十二月から二〇〇五年三月にかけて連載された小説である。連載が終了した四か月後である二〇〇五年七月には大幅な本文の修正を加え、角川書店より初版を刊行しており、また文庫版がその四年後である二〇〇九年六月に発売されている。この作品には多くの実在する駅や地名が登場し、それが物語の魅力の一つでもある。駅構内の様子や電車が発車する時刻なども忠実に再現されており、読者はまるで実際にその駅で登場人物たちと行動を共にしているかのような錯覚に陥るだろう。また、物語の主人公が小学生でありながら、生と死という重いテーマについて向き合っているのも、この作品の特徴だといえる。作者である池澤の価値観をベースに、作品では生と死という問題について分かりやすく解説されており、清々しい気持ちで読者も物語を読み進めることができるだろう。だが、それと同時に読んでいる最中にどこか釈然としない感覚もある。主人公であるイタルがやけに大人じみているのである。時代設定も連載当時より一昔前であり、最後の旅行の行き先もなぜ急に北海道なのか。そのわりに鉄道関係の描写は非常に丁寧で、現実味を帯びている。これらの諸問題について、旦敬介が文庫版にて解説を添えている。旦はこの作品の時代が、書かれた二〇〇三年ではなく一九八七年前後であることに注目し、一九八〇年代後半の鉄道文化に焦点を当てている。国鉄が廃止になり一九八八年四月一日からは民営化されたJRが発足し、一九八八年三月には本州と北海道を結ぶ青函トンネルが、同年四月には本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が開通した。なお、本州と九州を結ぶ関門トンネルは随分と昔である一九四二年に開通している。このことについて旦は、「きわめて具体的な意味で、日本列島が歴史上初めて、ひとつに統合されたのが一九八八年の春」であり、「連絡船の時代の終わり、鉄道の(ひとつの)時代の終わりに対して池澤さんが捧げた別れの歌だったようにも見えてくる」と、作者である池澤について語っている。また、寝台列車や厚紙のキップ、駅員さんの入鋏作業など、今はなきものが多く存在していたのがこの作品の時代であり、「すっかりファンタスティックな物語であるように見えて、これはある意味で実は、きわめて現実に密着したリアリスティックな物語」であると解説を締めくくっている。旦は一九八〇年代後半の鉄道文化に注目しているが、作品の連載が始まった二〇〇三年当時の鉄道文化については触れられていない。二〇〇〇年代前半の鉄道文化に焦点を当ててみると、その時期は交通ICカードの導入が開始され、鉄道に乗車する際のシステムの移り変わりの時代であった。第一章では、タイトルにもある「キップ」に成り代わるものとして登場したICカードに注目する。キップとICカードの性質の違いから、池澤の連載当時の様子を考察したい。また、この作品は昭和五〇年に発表された黒井千次「子供のいる駅」という短編と、設定が似ていることが指摘されている。第二章では「キップをなくして」と「子供のいる駅」を比較し、両作品でのキップの描かれ方についてまとめたい。第三章では池澤の作品に対するインタビューから、第四章では作品に実際に登場する駅から作品の深層を読み取り、「キップをなくして」という作品に対する読みを深めていきたい。
著者
岩本 侑一郎
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.9, pp.143-155, 2017-03-10

カレル・チャペック『R.U.R』から多くのロボットが多様な媒体の作品で描かれてきた。その中で度々出てくるのが美しい女性型のロボットである。人に似せてロボットを作る以上どちらかの性別に外見が寄せられるのは不思議なことでは無い。しかしロボットに美しい女性の外見を与えることは、本来性別のないロボットに性別という属性を意識して付け加えていると言えるだろう。ロボットを美しい女性として扱うというのは文学史上何度も繰り返されていると同時に矛盾をはらんだことでもあるのだ。ロボットに与えられた性別をどう捉えるかというのは今でも解決していない問題である。例を挙げると、二〇一四年一月号『人工知能』の表紙に掃除をする女性型ロボットが描かれ物議をかもした。掃除をする女性ロボットは「女性蔑視」であるという批判が出たのである。人に使役される存在というイメージのあるロボットと男性に従属的というステレオタイプな女性観が重なったことが批判の発端であると思われる。現代において美しい女性型ロボットは実用的かはともかくとして実現可能な領域に踏み込んでいる。近い未来そのようなロボットが一般的なものになった時、彼らの性別についてどう向き合うべきなのか。それを考えるうえで、今まで多様な媒体の作品で描かれてきたロボットの在り方を追うことは有用な材料となるだろう。本稿ではこのロボットと性の問題について、おそらく最初にこの問題に踏み込んだ作品である海野十三の「十八時の音楽浴」を起点として論じていこうと思う。
著者
三島 佳音
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.9, pp.234-200, 2017-03-10

小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、左目が失明しており右目は強度の近視であった。そんなハーンにとって、異国である日本で執筆活動をする上で重要となってくるのは、彼の耳の感覚であった。ハーンは数多くの「音」に関する文献や作品を残しており、特に日本本来の音や虫の声などを深く愛した作家であった。そういった自然の音の描写のほかにも、ハーンの作品には日本語がそのまま用いられている箇所が多く存在する。さらに言えば『Glimpses of Unfamiliar Japan』の「By the Japanese Sea」にある話のように「Ototsan!Washi wo shimai ni shitesashita toki mo, kon ya no yona tsuki yo data ne?―Izumo dialect」と、ハーンが節子と暮らしていた土地である松江の方言が用いられている場面もあり、ハーンが何らかの意図を持って英文の中に日本語を配置したことが分かる。ハーンは節子や周囲の人々から聞いた話を物語として著しており、その点においても、ハーンとって耳は作品を書くために何より大切な商売道具であったと思われる。ハーンにとって聴覚がいかに大事であったか、その研究は今までにいくつもなされてきた。ハーンが耳を使う作家であることは上記した通り様々な先行研究がなされてきたが、それは虫や下駄の音といった日本の自然や伝統文化の音、もしくは『Kottō』の「The legend of Yurei-Daki」の中にある「Arà!it is blood!」といった日本語の響きの研究が主流であり、節子の出雲方言には今まであまり注目されてこなかった。しかしハーンの作品は出雲方言訛りの節子の語りを聴いて書かれたものが多く、ハーンの作品を読み解く上で節子の発音や出雲方言が重要であることは言うまでもない。日本語が母語ではないハーンには、日本人とは違うように音としての日本語が聞こえていたはずである。今回の研究では特に節子自身の言葉や、節子の出雲方言の影響がどれほどハーンの作品に現れているかを中心に考察しつつ、ハーンが出雲方言、ひいては日本語をどのように日本語を受け取っていたのかということを考えていく。この論文ではその手掛かりとして、ハーンが英文作品にそのまま取り入れた日本語を調査し、その真意を読み解いていくこととする。
著者
宮澤 菜那
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.9, pp.172-199, 2017-03-10

森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』は、『小説 野生時代』(角川書店)に、「夜は短し歩けよ乙女」(二〇〇五年九月)、「深海魚たち」(二〇〇六年三月)、「御都合主義者かく語りき」(二〇〇六年十月)、「魔風邪恋風邪」(二〇〇六年十一月)の全四回の連載を経て、二〇〇六年十一月に刊行された長編小説である。この作品は、二〇〇七年四月に本屋大賞第二位に選ばれ、同年五月に第二十回山本周五郎賞を受賞、そして七月に第一三七回直木賞候補作に選ばれるなど、世間から注目を集めた、森見登美彦の出世作と言っていい作品でもある。『夜は短し歩けよ乙女』は現代風の大学生の恋愛模様を軸に展開され、破天荒な人物たちが数多く登場し、奇怪な出来事が次々と起こる、一見すると荒唐無稽な物語である。しかしながら、森見登美彦独特の文体によって綴られる物語は破綻することなく、一定の調和を保ちながら成立している。読み手をその世界に引きずり込んでいくような不思議な力があり、そこが魅力の作品である。この作品には、第二章「深海魚たち」において重要なアイテムとして登場する『ラ・タ・タ・タム――ちいさな機関車のふしぎな物語』をはじめとして、合わせて三十以上もの文学作品が固有名詞として用いられている。また、固有名詞として登場しているだけでなく、他作品の台詞の引用なども多く見られる。本稿では、こうしたプレテクストに着目し、森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』について考察していく。
著者
山本 恵美
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.5, pp.1-11, 2012-12

本論稿では、まず第一章で、「歌舞伎」の沿革を淡い、従来の研究における「歌舞伎」の評価をまとめた。第二章では、同時代評と、「歌舞伎」の先行研究でも指摘があった、竹二の新派・旧派に捉われない姿勢が、どの程度「歌舞伎」誌面に反映されているかを考察した。作成したグラフから、実際に、竹二の新旧に公平な姿勢は「歌舞伎」誌面にも表れていることがわかった。第三章では、劇界の新しい動きを歓迎する竹二の姿勢の一つである、海外の脚本や演劇界を、どの程度「歌舞伎」に紹介していたのか、また、その紹介記事は誰によって行われていたのか、調査を行った。従来、「歌舞伎」における海外紹介記事については、鴎外の寄稿記事について指摘されることが多かったが、今回の調査で、鴎外以外にも多様な寄稿者がいることがわかった。加えて、従来注目されてこなかった地方演劇界に関する記事にも言及した。地方紹介記事は、数は多くなく一定した傾向も見られなかったが、「歌舞伎」五九号では地方特集号とでも言うべき編集形態がとられ、竹二が地方演劇界にも関心を配っていたことがわかった。また、編集者が一方的に関心を持つのではなく、地方からの投書や、劇評の寄稿といった、レスポンスが見られることも特筆される評価の一つであると言える。以上、本論考では竹二の「歌舞伎」編集方針として、新派・旧派にとらわれることなく劇評を掲載したこと、同時に海外・地方それぞれの演劇に目を配り、記事を掲載したことの二点に注目して考察した。このような編集方針をとったことで、「歌舞伎」は、歌舞伎と言う雑誌名を持ちながらも総合演劇雑誌として扱われ、当時の劇壇では屈指の存在であり続けたのであろう。
著者
織田 淳子
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.5, pp.52-62, 2012-12

坂口安吾作『桜の森の満開の下』は昭和二二年六月に雑誌『肉体』の第一号で発表された短篇小説である。本稿では桜の森の満開の下において、過去・現在・未来は不可逆的時間軸ではなく多重層的に同時並行することを提唱し、男が拒絶していた時間概念の自得が鬼の召喚へ繋がったものとして決着をつける。
著者
吉田 遥
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.5, pp.35-51, 2012-12

尾崎一雄(一八九九~一九八三)は私小説家であり、ニ度の大病に悩まされ関東大震災や太平洋戦争を体験した作家でもある。その作家生活の中で特に目立つのが虫に関する作品である。問時代評においても、斎藤兵衛氏の「尾崎一雄が『蟲のいろいろ』はいふまでもなく、そのほかの作にもしばしば蟲についての観察や感慨をもりこんでゐることは誰でも知ってゐる。」という指摘や本多秋五氏の「虫の話が出てくると、急に生き生きしてくるから、妙である。」という指摘があるように、一雄が虫作品を多く書くことは周知の事実であった。さらに一雄自身も「わが小説」(「朝日新聞」一九六一年一一月九日)で「六十一歳の現在、振りかえってみると、自然の前には人間も虫けらも、という考えがずっとつづいている。―いや、つづいているだけでなく、そういう考えが一層強くなっている。」と述べており、一雄の作家人生において虫作品は重要な立ち位置にあったということが分かる。その虫作品の量は、太平洋戦争の前と後で変化する。文章を書き、初めて原稿料をもらった『二月の蜜蜂』を処女作とすると、戦前の一八年間では『二月の蜜蜂』一作品だけであった虫作品が、戦後五年間では四作品と増えている。そこで戦争が一雄の執筆活動に何らかの影響をもたらしたと仮定し、処女作である『二月の蜜蜂』と、太平洋戦争後五年間(一九四五年九月~一九五〇年九月)に書かれた虫作品に注目し、虫の描写にどのような変化があるのかを見ていく。そして最終的に一雄が戦争からどういった影響を受け、それによって死生観や人生観にどのような変化があったのかを採りたい。
著者
荒屋 愛莉
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.9, pp.1-18, 2016

『真珠夫人』は菊池寛が『東京日日新聞』及び『大阪毎日新聞』に一九二〇年の六月九日から十二月二十二日まで連載した菊池にとって初となる新聞連載小説である。『真珠夫人』の連載は成功し、劇化もされ、それまでは文壇にのみ知られていた菊池の名を世間一般に浸透させる作品となった。『真珠夫人』のあらすじはこうである。真珠のように美しい男爵令嬢唐沢瑠璃子は船成金庄田勝平により恋人の杉野と別れ、金権の権化である勝平に復讐するために勝平と結婚する。勝平への復讐は一応勝平の死という形で幕を閉じるが、物語後半で瑠璃子は今度は女性を軽視する世の男性や社会への復讐のため男性を弄んでゆく。物語の後半瑠璃子は処女らしい清らかさを捨て、世の不平等を訴えるために男性を自宅のサロンに招き、気のあるふりをして弄ぶ。その間に瑠璃子は二人の青年、青木淳と青木稔を破滅へと導き、物語の最後には瑠璃子に弄ばれた稔によって彼女自身も死という破滅へ向かってしまう。しかし、瑠璃子は男性には冷たい心で残酷な行為を繰り返すが、勝平の娘の美奈子には優しい母として振る舞い続ける。瑠璃子の少女らしさや美奈子へ愛情をそそぐ姿に見える彼女の優しい性格とは相反する行動を、物語の後半で出会う男性にとっていることになる。なぜ彼女は青木兄弟に対するような非情な行いをするのだろうか。第一章では、まず瑠璃子がこれまでの研究でどのように捉えられてきたのかを見る。第二章では、瑠璃子の人物造型を明確にしていく上で『真珠夫人』本文に描写のある外国文学、特に『ユーディット』『カルメン』そしてオスカー・ワイルドなどに登場する〈宿命の女〉と呼ばれる女性像に注目して瑠璃子との比較検討を行う。そして第三章では、『真珠夫人』執筆当時の文壇における性規範をめぐる議論と瑠璃子の発言や行動を照らし合わせ、菊池が彼女にどのような主張を持たせたのかを検討し、瑠璃子の人物造型を明らかにしていく。
著者
田中 裕理
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.6, pp.15-26, 2013-12

『琵琶伝』は泉鏡花により,尾崎紅葉の『やまと昭君』を先行作品としてかかれた小説である。二年前に『琵琶伝』を扱い「夢・幻想」の観点から鸚鵡の登場による効果を考察し、『琵琶伝』は「観念小説」ではなく「幻想小説」であることを論じようと試みた。今回はその逆で『琵琶伝』は「幻想小説」ではないという論を進めていきたいと思う。「大衆と国家」や「家族と親族」などの観点から、社会の状況、婚姻制度や鏡花の恋愛・結婚観について見ていくことを通して『琵琶伝』における主題とは一体何であるのかを考察したい。
著者
下出 茉波
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.9, pp.84-100, 2017-03-10

池澤夏樹「キップをなくして」は、『小説 野性時代』にて二〇〇三年十二月から二〇〇五年三月にかけて連載された小説である。連載が終了した四か月後である二〇〇五年七月には大幅な本文の修正を加え、角川書店より初版を刊行しており、また文庫版がその四年後である二〇〇九年六月に発売されている。この作品には多くの実在する駅や地名が登場し、それが物語の魅力の一つでもある。駅構内の様子や電車が発車する時刻なども忠実に再現されており、読者はまるで実際にその駅で登場人物たちと行動を共にしているかのような錯覚に陥るだろう。また、物語の主人公が小学生でありながら、生と死という重いテーマについて向き合っているのも、この作品の特徴だといえる。作者である池澤の価値観をベースに、作品では生と死という問題について分かりやすく解説されており、清々しい気持ちで読者も物語を読み進めることができるだろう。だが、それと同時に読んでいる最中にどこか釈然としない感覚もある。主人公であるイタルがやけに大人じみているのである。時代設定も連載当時より一昔前であり、最後の旅行の行き先もなぜ急に北海道なのか。そのわりに鉄道関係の描写は非常に丁寧で、現実味を帯びている。これらの諸問題について、旦敬介が文庫版にて解説を添えている。旦はこの作品の時代が、書かれた二〇〇三年ではなく一九八七年前後であることに注目し、一九八〇年代後半の鉄道文化に焦点を当てている。国鉄が廃止になり一九八八年四月一日からは民営化されたJRが発足し、一九八八年三月には本州と北海道を結ぶ青函トンネルが、同年四月には本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が開通した。なお、本州と九州を結ぶ関門トンネルは随分と昔である一九四二年に開通している。このことについて旦は、「きわめて具体的な意味で、日本列島が歴史上初めて、ひとつに統合されたのが一九八八年の春」であり、「連絡船の時代の終わり、鉄道の(ひとつの)時代の終わりに対して池澤さんが捧げた別れの歌だったようにも見えてくる」と、作者である池澤について語っている。また、寝台列車や厚紙のキップ、駅員さんの入鋏作業など、今はなきものが多く存在していたのがこの作品の時代であり、「すっかりファンタスティックな物語であるように見えて、これはある意味で実は、きわめて現実に密着したリアリスティックな物語」であると解説を締めくくっている。旦は一九八〇年代後半の鉄道文化に注目しているが、作品の連載が始まった二〇〇三年当時の鉄道文化については触れられていない。二〇〇〇年代前半の鉄道文化に焦点を当ててみると、その時期は交通ICカードの導入が開始され、鉄道に乗車する際のシステムの移り変わりの時代であった。第一章では、タイトルにもある「キップ」に成り代わるものとして登場したICカードに注目する。キップとICカードの性質の違いから、池澤の連載当時の様子を考察したい。また、この作品は昭和五〇年に発表された黒井千次「子供のいる駅」という短編と、設定が似ていることが指摘されている。第二章では「キップをなくして」と「子供のいる駅」を比較し、両作品でのキップの描かれ方についてまとめたい。第三章では池澤の作品に対するインタビューから、第四章では作品に実際に登場する駅から作品の深層を読み取り、「キップをなくして」という作品に対する読みを深めていきたい。