- 著者
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三島 佳音
- 出版者
- 富山大学比較文学会
- 雑誌
- 富大比較文学
- 巻号頁・発行日
- vol.9, pp.234-200, 2017-03-10
小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、左目が失明しており右目は強度の近視であった。そんなハーンにとって、異国である日本で執筆活動をする上で重要となってくるのは、彼の耳の感覚であった。ハーンは数多くの「音」に関する文献や作品を残しており、特に日本本来の音や虫の声などを深く愛した作家であった。そういった自然の音の描写のほかにも、ハーンの作品には日本語がそのまま用いられている箇所が多く存在する。さらに言えば『Glimpses of Unfamiliar Japan』の「By the Japanese Sea」にある話のように「Ototsan!Washi wo shimai ni shitesashita toki mo, kon ya no yona tsuki yo data ne?―Izumo dialect」と、ハーンが節子と暮らしていた土地である松江の方言が用いられている場面もあり、ハーンが何らかの意図を持って英文の中に日本語を配置したことが分かる。ハーンは節子や周囲の人々から聞いた話を物語として著しており、その点においても、ハーンとって耳は作品を書くために何より大切な商売道具であったと思われる。ハーンにとって聴覚がいかに大事であったか、その研究は今までにいくつもなされてきた。ハーンが耳を使う作家であることは上記した通り様々な先行研究がなされてきたが、それは虫や下駄の音といった日本の自然や伝統文化の音、もしくは『Kottō』の「The legend of Yurei-Daki」の中にある「Arà!it is blood!」といった日本語の響きの研究が主流であり、節子の出雲方言には今まであまり注目されてこなかった。しかしハーンの作品は出雲方言訛りの節子の語りを聴いて書かれたものが多く、ハーンの作品を読み解く上で節子の発音や出雲方言が重要であることは言うまでもない。日本語が母語ではないハーンには、日本人とは違うように音としての日本語が聞こえていたはずである。今回の研究では特に節子自身の言葉や、節子の出雲方言の影響がどれほどハーンの作品に現れているかを中心に考察しつつ、ハーンが出雲方言、ひいては日本語をどのように日本語を受け取っていたのかということを考えていく。この論文ではその手掛かりとして、ハーンが英文作品にそのまま取り入れた日本語を調査し、その真意を読み解いていくこととする。