著者
久保田 稔 茂吉 雅典 中村 義秋
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.61-68, 2002-05-15 (Released:2010-06-15)
参考文献数
10
被引用文献数
1

諏訪湖は江戸時代での干拓と共に湖面面積が減少し、さらに諏訪湖南側の低湿地の度重なる浸水被害に苦しんできた。諏訪湖沿岸部での浸水被害を軽減するために、江戸・明治時代に、湖尻 (釜口) の開削を行いさらに浸水被害住民と製糸工場側との話し合いによって、浸水被害も徐々に少なくなって来た。ところが昭和の時代に入り、西天竜一貫水路建設に端を発し、湖尻を境に、上・下流域住民さらに天竜川を挟んだ竜西と竜東側の下流住民の間にも争いが発生した。この争いを鎮めた大きな一歩が釜口水門建設である。本論では、浸水被害状況を1983 (昭和58) 年の「58災害」より概観した後に、諏訪湖湖面面積の減少と大正年代での浸水被害の減少を図より概観する。
著者
諸戸 靖 田鶴浦 昭典 中村 義秋 久保田 稔
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.337-343, 1999-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
6

著者らは、三重県桑名郡長島町松蔭・白鶏地区のご老人 (延べ約30名) から、昭和初期の東南海地震を中心とした木曽三川下流域の状況について聞き取り調査を行った。この調査によって、輪中の人々が取水に起因する濃尾平野の地盤沈下と共に、海岸堤防を「撒き石工法」で護岸していたことが判明した。そこで著者らは、地域的には狭い地域ではあるが、東南海地震による被害記録と地元の人々が行った「撒き石工法」について報告する。