- 著者
-
中野 友理
- 出版者
- 北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
- 雑誌
- 北海道大学留学生センター紀要
- 巻号頁・発行日
- vol.8, pp.28-45, 2004-12
本稿では、従来神尾(2002)が不可能としてきた「情報のなわ張り理論」における「のだ」文の位置づけを改めて考察する。日本語の文末形式「のだ」は、文の情報が話し手のなわ張りに属することを示す直接形や、逆に話し手のなわ張りに属さないことを示す間接形等の文末形式とは異なる機能を持ち、「情報のなわ張り理論」での位置づけは難しいとされていた。これに対して本稿では、文の情報が話し手のなわ張りに属していることを表す機能が「のだ」にあり、したがって「情報のなわ張り理論」においても位置づけが可能であることを述べる。同じく情報が話し手のなわ張り内にあることを示す直接形と「のだ」の違いは以下の点にある。直接形の文では、ある情報が話し手のなわ張り内にあるという話し手の判断が客観的視点からも成り立つと認められなければ、文が不自然になる。一方「のだ」文では、情報が話し手のなわ張り内に属するかどうかの判断を客観的な視点からは必要としない。あくまで話し手の主観的判断で情報が話し手のなわ張り内にあることを示す。「のだ」が間接形とともに用いられる場合がある理由も、「客観的には話し手のなわ張りに属さないと思われる情報を話し手の主観的判断によって自身のなわ張りに属する」ことを示すと考えれば矛盾はない。「情報のなわ張り理論」における「のだ」の位置づけは、これまで様々な視点から記述されてきた「のだ」の機能をより明確にするきっかけになると思われる。