著者
田中 里実 本間 淳子
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
no.13, pp.98-117, 2009-12

近年、日本語学習の契機にアニメーション・マンガ・J-popなどの日本の現代文化をあげる学生が増加している。その中でもアニメーションは、映像資源としての音声・動きに加えて個性的なキャラクターがストーリーを展開させるという特徴があり、有効な日本語学習資源になりうることが複数の先行研究によって認められている。しかし、学習者からのニーズは高いものの十分に活用されているとは言い難いのが現状である。本稿では、『耳をすませば』のスクリプトを分析し、初級教材としての特徴を明らかにするため、1)現実の日常会話との対応関係、2)初級語彙・文法との対応関係、の二点について分析を行った。1)については、イ形容詞の活用形の出現率、頻出語彙とその累積頻度を例に、現実の日常会話と『耳をすませば』を比較した結果、上記はほぼ一致しており、『耳をすませば』は現実に近い言語使用のサンプルを提供する資源になる可能性が示唆されていた。2)については、『耳をすませば』の動詞の5割、イ形容詞の約6割が初級語彙で構成されていた。文法については、約何割が初級文法で構成されているかという数値を出すには至らなかった。反対に、『耳をすませば』は初級語彙の4割程度、初級文法の8割弱をカバーしており、文法は初級教科書全体にほぼ匹敵する項目数が含まれていた。以上の分析結果と考察から、アニメーション映画は初級の学習者にとっては、教科書・授業で学んだ文法項目の多くを確認することができ、視覚情報と人間関係がある場面において、日常的な語彙を学ぶ手段になりうる可能性があると考える。The number of J-culture devotees has increased dramatically in the past several years and they tend to become Japanese learners. This paper analyzes the script of an animated movie, "Mimi o sumaseba (Whisper of the heart)", produced by Studio Ghibli in 1995, as a resource for Japanese language learners, especially beginners. First, we compare the use of i-adjectives in the script to the "daily language corpus" of Kobayashi (2009). The results show that the three most used i-adjectives, Ii, Nai and Sugoi are the same and that the frequency of use of i-adjective inflections also corresponds to the list. Second, we compare the grammatical and vocabulary items of the script to those of the JLPT 3rd Grade Test. The script covers 40% of the verbs, 37% of the i-adjectives and na-adjectives, and 77.2% of the basic grammatical items. This result shows that we can depend highly upon this script as a resource for introductory Japanese language for beginners. Further analyses of animated movies will make it possible to cover all the major grammatical items and basic vocabularies.
著者
山下 好孝
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.3, pp.1-14, 1999-12

日本語の原因・理由を表す表現「から」「ので」「て」について、日本語教育の観点から考察を行う。まず「から」「ので」に関し、先行研究の成果を概観する。従来主張されてきた「主観的判断」「客観的判断」という規準を捨て、別の規準でこれらの表現を扱うべきことを主張する。次に原因・理由を表す「テ形」接続文に焦点を当てる。先行研究を概観し、問題点を抽出する。「テ形」接続文の前件と後件を形成するそれぞれの述語の特性を明らかにする。原因・理由を表す「テ形」接続文の前件には動作性の低い述語が生起すること、及び、後件には感情表現の述語が生起することを主張する。それに伴い、従来、原因・理由の「テ形」接続文とされていたもののいくつかを再検討し、順次動作のテ形文に分類することを提案する。また、この表現に関連して行ったアンケート結果を示し、議論の妥当性を裏付ける。
著者
中野 友理
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.8, pp.28-45, 2004-12

本稿では、従来神尾(2002)が不可能としてきた「情報のなわ張り理論」における「のだ」文の位置づけを改めて考察する。日本語の文末形式「のだ」は、文の情報が話し手のなわ張りに属することを示す直接形や、逆に話し手のなわ張りに属さないことを示す間接形等の文末形式とは異なる機能を持ち、「情報のなわ張り理論」での位置づけは難しいとされていた。これに対して本稿では、文の情報が話し手のなわ張りに属していることを表す機能が「のだ」にあり、したがって「情報のなわ張り理論」においても位置づけが可能であることを述べる。同じく情報が話し手のなわ張り内にあることを示す直接形と「のだ」の違いは以下の点にある。直接形の文では、ある情報が話し手のなわ張り内にあるという話し手の判断が客観的視点からも成り立つと認められなければ、文が不自然になる。一方「のだ」文では、情報が話し手のなわ張り内に属するかどうかの判断を客観的な視点からは必要としない。あくまで話し手の主観的判断で情報が話し手のなわ張り内にあることを示す。「のだ」が間接形とともに用いられる場合がある理由も、「客観的には話し手のなわ張りに属さないと思われる情報を話し手の主観的判断によって自身のなわ張りに属する」ことを示すと考えれば矛盾はない。「情報のなわ張り理論」における「のだ」の位置づけは、これまで様々な視点から記述されてきた「のだ」の機能をより明確にするきっかけになると思われる。
著者
中村 重穂
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.5, pp.16-30, 2001-12

本稿は、日本語のアスペクト表現「~(動詞・連用形+)たて」の意義素を國廣(1982) の意味分析の方法を用い、中村(1999)で分析した「~たばかり」との比較を通して、特にその語義的特徴と統語的特徴を分析したものである。その結果、「~たて」の意義素には、語義的特徴としては「~たばかり」と同じく<時間的直後>と、さらに<主要状態への質的転換>という二つがあることが今回の分析によって新たに明らかとなった。同時に、統語的特徴としては、「~たての[名詞]」という統語構造に於いては加工・生産活動を表す動詞が、また、「~たて+接続表現」という統語構造に於いては主体または対象の質的変化を表す動詞(句)が前接することが判明した。最後に、今後の課題として、「~たて」の前接動詞のより詳細な析出と分類及び学習者のための説明記述の改善の必要性を論じた。
著者
中村 重穂
出版者
北海道大学留学生センター
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.13, pp.78-97, 2009-12

小論は、日本語の論文に於ける「だ」と「である」の選好状況をアンケート調査によって調べた上で、その選択条件を考察したものである。調査・考察の結果、基本的に論文では「である」が用いられ、特に、段落の順序構造を示す、書き手が強調したい部分を含む、先行内容を承ける指示詞を含む述部、例示表現を含む、文末に一定の述定成分を要求する表現が先行する、「名詞1であるという名詞2」や「名詞/ナ形容詞であると動詞」の構造内、モダリティ表現の後ろという七つの特徴を持つ文では「である」が選好されることが解った。また、「だ」は、文末に現れる「だろう」、「だ」を構成要素として含む文末表現、書き手や引用文の話し手の主観性が反映されている箇所に現れることが観察された。これらによって文章表現指導の際の一定の規則は提示し得たと考えられるが、さらなる妥当性の検証と新たな条件の解明、及び"混用文体"指導の適否やその技術的可能性の追究が必要になると考えられる。
著者
和田 弥恵子
出版者
北海道大学留学生センター
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.2, pp.41-57, 1998-12

日本語の発音指導において、学習者の母語の音声に関する知識は非常に重要である。音声を表記するためには、国際音声字母(IPA)が現在世界で使用されているが、語学書や辞書の中にはIPAと一部異なる記号で発音表記されているものもあり、複数の言語の発音比較の際や、教師が精通しない文字の発音を調べる際に不便である。また、仮名習得を必要としない学習者に対する日本語教育では一般にローマ字表記が用いられているが、日本語ローマ字表記の文字と音声の対応関係が、学習者の母語と異なることもあり、その場合には学習者に誤った発音を想起させる結果を招くこともある。より効率よく日本語の発音を把握させるためには、学習者の母語の文字表記習慣に則った音声表記が有用であろう。本稿では、スラヴ語の中からポーランド語を取り上げ、まずスラヴ語全般に関する背景知識について述べた後に、ポーランド語の音をIPAで確認し、音声的特徴をまとめた。最後に、ポーランド語話者のための日本語音声表記を試みた。
著者
小池 真理
出版者
北海道大学留学生センター
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.4, pp.58-80, 2000-12

本稿では、日本語学習者の依頼の発話行為を母語話者に評価してもらい、失礼な印象を受けるのが学習者のどのような発話行為からなっているか、さらに同じ状況での母語話者の発話行為と比較して、どのような違いがあるのかを分析することを目的とする。まず、学習者の依頼のロールプレイを母語話者に見せ、自由に印象を語ってもらった。そのコメント中から失礼な印象、不安を感じると述べられた学習者の発話を取り出し、分析した。そして同じ場面での母語話者のロールプレイから得られた発話データと比較した。分析の結果、「依頼」の場面において母語話者が失礼な印象を持ったのは、(1)終助詞「ね」の多用で、特に文節末における多用、(2)「明日時間がありますか」と突然尋ねる用件の切り出し方、(3)可能形を使った依頼表現、(4)開き手とのネゴシエーションが不足した一方的な談話展開、であった。さらに、学習者の発話行為には母語話者のものと比べて、(1)聞き手の負担に遠慮を示す発話行為の不足、(2)相手の負担の軽減を提示する発話行為の不足、(3)開き手の反応に応じたネゴシエーションの不足、が見られた。
著者
小林 ミナ
出版者
北海道大学留学生センター
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.1, pp.54-67, 1997-10

日本語学習者が、外国語が外来語として日本語にとりこまれる際の日本語化規則を習得する過程を調べるために、初級の日本語学習者(17名)を対象に、「英語を日本語の外来語としてかたかなで表記する」という48の英単語からなる調査を実施した。学習者の回答をパーソナルコンピュータ上でデータベースに入力し、正解率、誤答例などを日本語化規則ごとに出力した。本稿では、このうち、開音節化に関する規制をとりあげ、考察する。開音節化規則の平均正解率は56.43%であり、音韻に関する規則の中で、もっとも高かった。しかし、「かたかなで表記する」という調査方法そのものが、開音節化と直結しているため、学習者が本当の意味で日本語の音韻体系の習得に成功しているかどうかについては、本調査の結果からは判断することはできない。次に、開音節化規則が適用された36語、延べ55箇所(=チェックポイント)に対する回答に基づいて、S-P表を作成し分析したところ、次の3点がわかった。1)17名の学習者は、開音節化規則について等質と考えられる。2)問題項目としての開音節化規則も、ほぼ等質と考えられる。しかし、[t / d / dʒ / tʃ / m] の開音節化規則については、異質であることが観察される。3)前舌母音に後続する[k]、[tʃ / dʒ / ʃ / θ ] 、音節末の[ŋ]、音節末以外の[p]、[u] が添加される[t]、は習得しにくい。以上のことから、音韻論上の制約、また、年代的に古い外来語などにしか適用されない生産性の低さ、などの点で、開音節化規制において例外といえる規則は、習得の面においても、習得しにくい、言い換えれば、有標(marked)な規則であることが示唆される。また、本調査の被験者間にみられた習得の傾向が、縦断的な習得のプロセスを反映しているとすれば、日本語学習者は「基本的な開音節化規則→子音による例外規則→語彙による例外規則」の順で、開音節化規則を習得していることが推測される。
著者
副田 恵理子 平塚 真理
出版者
北海道大学国際本部留学生センター
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.15, pp.1-19, 2011-12

本研究は、日本に住む初級学習者が日常生活場面で未知語に遭遇した際、その意味理解のためにどのような物的リソースを用い、その使用過程の中で何が問題となるのかを明らかにした。調査では、日本に住む非漢字圏からの初級日本語学習者9名に、実生活に近い場面設定で未習語の意味理解を必要とする課題を与え、その課題遂行過程とフォローアップインタビューをビデオ録画した。そのデータを、今回は翻訳ツール(翻訳サイト、及び、Webメール・Webブラウザに付属の翻訳機能)の使用に焦点をあてて分析した。その結果、学習者の半数が、PC上に提示されたものを読む場合に翻訳ツールを中心的に使用していた。翻訳ツールは、意味を得たい部分にポインターを合わせる、或いは、PC上のテキストをそのままコピー・貼り付けするだけで対訳を得ることができるため、検索過程における入力の問題がなく、より円滑に適切な意味が把握できるものと思われた。しかし、翻訳ツール側の問題として、適切に翻訳されない、元の日本語文で省略されている部分が適切に補われていないなどの問題が見られた。また、その問題に調査協力者は対応できておらず、使用者側の問題も明らかとなった。
著者
山下 好孝
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.11, pp.76-89, 2008-03

現在、日本語教育の発音指導には拍を基本としたものが多い。しかしながらこの拍の感覚を外国人学習者が身につけるにはかなりの困難をともなう。そこで、発音指導で拍ではなくリズム単位(フット)を導入することを試みた。さらに、動詞の発音指導にさいし、フットの区切りを従来の語頭からではなく語末からカウントすることを試みた。以上のような工夫を通じて、学生のパフォーマンスに向上が見られた。動詞の辞書形、ナイ形、テ形などでアクセントのルールが統一できたため、学生の自立的な発音学習に寄与できた。
著者
鄭 惠先 小池 真理 舩橋 瑞貴
出版者
北海道大学留学生センター
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.13, pp.4-21, 2009-12

本稿では、類義表現の「~てならない」「~てたまらない」「~てしかたない」「~てしようがない」に関して、前接語彙とジャンルという2つの観点からその使い分けを分析した。本稿で使用した『現代日本語書き言葉均衡コーパス』は、大規模かつ複合性を持つ多ジャンルコーパスであるため、近似的ではあるが現実の日本語使用を多く反映している。よって、つぎに示す本稿での分析結果は、実際の使用場面に直結する有益な情報として、日本語学習者に提供できるものと考える。1)「ならない」は動詞、中でも自発、心状を表す動詞との共起関係が強く、「たまらない」はイ形容詞、中でも希望、感情を表すイ形容詞との共起関係が強い。2)「気がしてならない」「~たくてたまらない」「気になってしかたない」など、いくつかの定型的な共起パターンが存在する。3)文字言語的要素の強いジャンルでは「しかたない」、音声言語的要素の強いジャンルでは「しようがない」の使用が目立つ。4)国会議事録のような、フォーマルさを持ち、客観性が求められる話題の場では、「ならない」の多用、「たまらない」の非用という特徴的な傾向が見られる。
著者
池上 素子
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.1, pp.18-38, 1997-10

逆接確定条件を表す接続助詞「のに」「ながら」「ものの」「けれども」を取り上げ、それらの使い分けの条件を考えつつ各々の意味と用法を考える。最後に焦点化を基準として四つの助詞の相互関係をまとめる。「ながら」には大きく分けて2つの用法がある。一つは「のに」の用法に近く、今ひとつは「ものの」の用法に近い。便宜上、前者を「ながらA」、後者を「ながらB」と呼ぶ。「けれども」は必ずしも評価を伴わないという点は異なるが、それ以外の点では「ものの」「ながらB」に近い。又、今尾(1994)の方法を援用して、強調、質問、修正という視点から、各々の焦点がどこにあるかを検証する。その結果、「のに」「ながらA」は前件に焦点を置き、「ながらB」「ものの」「けれども」は後件に焦点を置いていることを示し、上記の分類(即ち「ながらA」と「のに」、「ながらB」と「ものの」「けれども」が各々近いということ)の妥当性を確認する。
著者
柳町 智治
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.2, pp.58-74, 1998-12

本小論では、第二言語習得(SLA)研究者の問で頻繁に議論されてきた「SLA研究は第二言語教授を包括するのか、あるいは教授の現場での応用を前提とするのか」という問題ついて、KrashenのSLAモデルとACTFLの言語能力基準を例に、'technical knowledge'を追求する研究者と授業に応用可能な'practical knowledge'を求める教師の両者の視点から考察する。さらに、両者の隔たりを埋めるための方策として、教師が研究者に対し研究で示唆された結果が実際に学習の場で起きているのかフィードバックを与えることにより、仮説検証のプロセスに参画する試みや、アクション・リサーチを通じて、教師が言語を教えるプロとしての資質を高め、研究と言語教授の関係を再評価する契機とする、といった例を紹介し検討する。最後に、以上の考察が日本語教育に示唆する問題を、(1)日本語習得研究と日本語の教授を峻別し、研究の結果を日本語教育に応用する際や、逆に、本来言語教授のために生み出されたものを習得研究に応用する際には、慎重な態度で臨むことが望まれる、(2)これからの日本語教師には教えるプロとして、今後ますます専門化していくと予想される習得研究の発展に対応すべく、研究の方法論や統計についての基本的知識の習得が不可欠になる、という二点から考察する。This article examines a frequently discussed issue among second-language professionals: should second-language acquisition (SLA) research deal with problems related to secord-language teaching? We review two different views on this issue: those of researchers who mainly pursue technical knowledge in SLA in a narrow sense, and those of second-language teachers who seek practical knowledge to improve their teaching. As examples of the divergence between these two perspectives, we discuss debates on Krashen's SLA model and ACTFL's Proficiency Guidelines (PG). In order to bridge this gap, we put forward some suggestions for second-language teachers, including encouraging them to actively give feedback to researchers concerning predictions made in SLA studies and get involved in the process of hypothesis testing. Action research is also mentioned as a way to provide second-language teachers with opportunities for professional development and re-evaluating the relationship between research and teaching. Finally, implications of this issue are discussed in the context of teaching Japanese as a second language. Two of these are that: (1) we must be careful when we try to apply results of Japanese SLA research to language teaching as well as when we use measures designed for language pedagogy such as PG for the purpose of pursuing technical knowledge through academic research; and (2) it is necessary to provide future Japanese-language teaching professionals with basic training in L2 research methodology in order to enable them to keep up with developments in SLA research which is becoming an increasingly specialized academic field.
著者
池上 素子
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.6, pp.1-20, 2002-12

本稿では、例えば「彼はみんながその機械を使えるようにした」にあるような、変化を表す他動表現「~ようにする」の意味特徴について、対応する自動表現「~ようになる」(「みんながその機械を使えるようになった」等)、および「~に/くする」(「息子を医者にする」「値段を安くする」等)との比較から考察した。その結果明らかになったことは以下の3点である。1)「~ようになる」は非状態性の動詞が前接した場合、同一の、または類似した事態の複数回の発生による習慣・繰り返しの定着を表すが、「~ようにする」の場合、必ずしもこれは当てはまらない。2)「~ようにする」の否定方向への変化を表す形式には「~なくする」と「~ないようにする」の二つがある。前者は直接変化を引き起こすことを表すが、後者はそのような変化が起きるよう間接的に条件を整えることを表す。また、「~なくする」は前に修飾部がある場合使いにくいことがある。これに対し、「~ようになる」の場合、否定方向への変化を表す形式「~なくなる」と「~ないようになる」の間に顕著な違いはない。3)「~に/くする」は現実の現象を表すが、「~ようにする」は、将来そのような事態が起こる可能性を示す(これは「~に/くなる」と「~ようになる」にも当てはまる)。
著者
中村 重穂
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.6, pp.53-73, 2002-12

小論は、日中十五年戦争期の大日本軍宣撫班編纂教科書『日本語會話讀本』の成立について、特にその執筆者像に焦点を当てて論究したものである。その際、これまでの研究では殆ど顧みられなかった戦前の中国語教育との関連性に着目し、教授法、教科書の構成・内容、時代背景を検討した結果、執筆者を善隣書院系の中国語教育を受けた南満洲鉄道株式会社か中国語教育の関係者と推定した。さらに、同書裏表紙の図版を他の資料と比較した結果、特に『巻二』第三版は陸軍多田部隊によって改訂された可能性が高いことを指摘し、最後に、今後の課題として、宣撫班設立及び『日本語會話讀本』の使用実態に関する資料探索の必要性と、日本語教育史の研究領域の拡大の必要性を挙げた。
著者
原田 明子
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.2, pp.157-168, 1998-12

近年、外国語教育の目的はコミュニケーション能力、特に口頭表現能力を身につけることに置かれるようになってきた。初期の段階からこの口頭表現能力をつけさせるために、日本語研修コースでは会話で教えるべき項目の抽出と会話シラバスの構築を行い、その教材化を進めている。更にロールカードを作成し、これを用いて会話の授業を行い、口頭能力試験にも取り入れている。しかし、一連の教材化の作業や試験の評価の基準は日本語教師の内省にのみ委ねられており、一般の日本人による視点・評価が反映されていないのではないかとの思いから、今回、一般の日本人は外国人の日本語をどのように評価するかについて調査をした。具体的には、研修コースの6人の学生のロールプレイをビデオに撮り、それを一般の日本人2人に見せて、どんな点に注目するのか、またどんな要素がプラス、或いはマイナスの評価につながるのかを調べた。その結果、1)一般の日本人は学習者の悪かった点よりも良かった点に目を向ける傾向があること、2)「文法・語彙の正確さ」といった言語規則に関する要素より、あいづちや問い返し、話の切り出し方などの円滑なコミュニケーションの遂行に関する要素に注目していること、3)半分強のコメントが同一の項目であることから、評価の対象になりやすい項目があること、などがわかった。以上のことから、学習者のパフォーマンスのどこに注目するのかは各要素ごとに独立して決まるものではなく、互いに関連性を持つと考えられるので、目につきやすい項目の抽出とそれらの相互関係の記述が今後の課題として示唆される。In the Japanese intensive course at Hokkaido University, we have been developing conversation materials for beginners, with role-play being used as a test of conversational ability. However, both the materials and the evaluation of this test are based solely on the viewpoints of Japanese language teachers, and it is possible that these do not reflect the viewpoints of ordinary Japanese speakers. In this study, we showed video recordings of six role-plays to two Japanese native speakers and asked them what points of learners' performance particularly caught their attention. As a result, we found that Japanese native speakers tended to pay attention to (1) good points rather than bad points of learers' Japanese, and (2) conversational strategies such as aizuchi, and opening and closing devices, rather than the accurate use of grammar or vocabulary.
著者
山下 好孝
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.8, pp.1-13, 2004-12

本稿は、日本語教育におけるテンスとアスペクトの導入で、これまで留意されなかった点を指摘する。動詞「た」形にはテンスとアスペクトの両方の機能が認められる。それが疑問文に用いられ、答えの文で否定形が現れる際、テンスとしての「過去」、アスペクトしての「完了」の解釈が顕在化する。従来は過去の一時点を示す時の副詞と共起する場合、および当該事態が過ぎ去ったこととして解釈される場合は、過去否定形「~なかった・~ませんでした」が使われるとされてきた。しかし、二人の外国人の日本語学習者がそれに対して疑問を呈した。過去を示す副詞と共起する場合でも、これらの形式が使われず、「~ていません・~てないです」というような形式が否定の答えに現れると報告している。上記の報告をデータとして、「過去否定形」が生起する条件を考祭した。そして話し手と聞き手の間に「過去の場の共有」が存在することが、過去形の生起の引き金になると結論づけた。The Japanese TA form has two functions: marking tense and aspect. When the TA form appears with past time adverbs, it implies past tense. On the other hand, when it appears with aspectual adverbs like MOU or MADA, it implies aspectual meanings. 1) Kinou Otaru-ni itta. 2) Mou Otaru-ni itta. The negative forms of tense marking TA and aspect marking TA are said to be NAKATTA and -TE INAI respectively. 3) Kinou Otaru-ni ikanakatta. 4) Mada Otaru-ni itteinai. But two foreign graduate students at Hokkaido University reported that this rule is often invalid in daily conversation: 5) Kinou osake-wo nomimashita-ka? 6) lie, ? nomimasendeshita / nondeimasen / ?? nomanakattadesu. / nondenaidesu. In this article I propose one condition on the appropriate use of the NAKATTA / MASENDESHITA forms, and conclude that these forms are possible only when a past context is shared by both the speaker and the hearer in the conversation. I also mentioned the correlation between the past context and the A series demonstratives, which imply shared knowledge between the speaker and the heaer. Finally I comment on the appearance of the NODA construction in past tense sentences.
著者
池上 素子
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.10, pp.1-17, 2006-12

「~に関して、~に対して、~を通じて」のような、格助詞に動詞がついて、意味・機能上ひとまとまりになっている表現(本稿では助詞相当句と呼ぶ)には、「~に関して」のようなテ形と、「~に関し」のような連用中止形の両方を備えているものが多い。従来、両者の違いについては文体差以外ほとんど言及されてこなかった。本稿では、両者の間には文体差以外に統語的な差異があることを指摘する。統語的な差異とは、1)「だ/である」による述語化、2)「の」の後接、3)取り立て助詞の後接、4)「なら」の後接、5)格助詞「より」の後接、の5点である。これらについて、テ形では可能な場合が多いが連用中止形では許容されない。ただし「テ形では可能な場合が多い」と述べたように、これらの点が必ずしも全ての助詞相当句のテ形で可能であるというわけではない。文中における各助詞相当句の振る舞いは画一的ではないのである。本稿では助詞相当句毎の振る舞いの違いをも記述し、その背景について考察する。
著者
田中 里実 本間 淳子
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.13, pp.98-117, 2009-12

近年、日本語学習の契機にアニメーション・マンガ・J-popなどの日本の現代文化をあげる学生が増加している。その中でもアニメーションは、映像資源としての音声・動きに加えて個性的なキャラクターがストーリーを展開させるという特徴があり、有効な日本語学習資源になりうることが複数の先行研究によって認められている。しかし、学習者からのニーズは高いものの十分に活用されているとは言い難いのが現状である。本稿では、『耳をすませば』のスクリプトを分析し、初級教材としての特徴を明らかにするため、1)現実の日常会話との対応関係、2)初級語彙・文法との対応関係、の二点について分析を行った。1)については、イ形容詞の活用形の出現率、頻出語彙とその累積頻度を例に、現実の日常会話と『耳をすませば』を比較した結果、上記はほぼ一致しており、『耳をすませば』は現実に近い言語使用のサンプルを提供する資源になる可能性が示唆されていた。2)については、『耳をすませば』の動詞の5割、イ形容詞の約6割が初級語彙で構成されていた。文法については、約何割が初級文法で構成されているかという数値を出すには至らなかった。反対に、『耳をすませば』は初級語彙の4割程度、初級文法の8割弱をカバーしており、文法は初級教科書全体にほぼ匹敵する項目数が含まれていた。以上の分析結果と考察から、アニメーション映画は初級の学習者にとっては、教科書・授業で学んだ文法項目の多くを確認することができ、視覚情報と人間関係がある場面において、日常的な語彙を学ぶ手段になりうる可能性があると考える。
著者
池上 素子
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.11, pp.19-38, 2008-03

本稿では、原因・理由を表す「ため」と「によって」を比較検討し、その共通点と相違点を考察した。その結果、以下の知見が得られた。1)両者の共通点としては、「ため」と同様「によって」も「か/と」を用いて選択的あるいは複数の原因・理由を示すことができること、いくつかの助詞が後接できることが挙げられる。ただし、全く同じ助詞が後接できるわけではない。2)両者の相違点としては以下の6点が挙げられる。a)「によって」は契機的な因果関係を表すことができるが、「ため」は表しにくい。b)「によって」は前件の出来事が後件に直接働きかけるような文脈でないと使いにくいが、「ため」には特にそのような制約はない。c)「によって」は事実的か仮定的かが曖昧な表現である。これに対して、「ため」はあくまでも事実的であることを前提とする。d)「ため」はよくないことに使われる傾向があるが、「によって」には特にプラスマイナスどちらかに偏る傾向は認められない。e)「ため」と「によって」では後者の方が従属度が高い。f)過去の事態を表す場合、「ため」節では習慣的な事柄にのみル形が現れうるが、「によって」節では一回性の出来事にも習慣的な事柄にもル形が現れうる。