著者
久坂 三郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理 (ISSN:21851697)
巻号頁・発行日
vol.3, no.4, pp.477-493, 1940-10-01 (Released:2010-03-19)
参考文献数
19

本縣の梨栽培は平地狹小に刺戟されてたつた一つの山地利用形態である。そして敢て梨を選出せしめた理由は、自然的條件に惠まれてゐた爲でもなければ、特に交通地位が良かつた爲でもない。日本經濟の動きによつて從來の山地作物が不振を招ねきつゝあるのを感じた金に敏感な本縣農民と先覺者が結びついた點にある。而も皮肉な自然的條件のため、偶〓梨がいち早く成功の曙光をみせた事に於て他の新しき山地作物を斥けた。そして梨需要の丁度よい趨勢と同業組合の努力によつて急進を見せ、全國に覇を稱へるに至つた。併し本縣の梨が日本一を誇り得るのは決して合理的なものゝ齎したものではなかつた。それ故そこには衰退が待ち受けてゐた。まづ自然的條件とそれに對する生産技術の拙劣によつて生産量が急落した。而も、これは梨自身の衰退性によつて價格が減じてゐる過程にあつたから生産額の甚だしき衰退圖を示すことゝなつた。こゝに甚だ有利なものとして發した梨が最早や餘り利を得ることができなくなつた。かゝる所へ北九州の諸縣の梨が擡頭して伊豫梨の市場を脅かすことゝなつたのであるが、これは本縣の主品種長十郎が生産過剩氣味となり、又二流品化したことに於て大きな打撃とならざるを得なかつたのである。而も内から梨を崩壞するもの-即ち蜜柑が代置性に富むよりよきものとして認識されるに至つて、梨から蜜柑へと轉移されることゝなつた。本縣の梨栽培がかゝる趨勢をたどつた事は、明治に惹起された日本經濟の著しき動態的過程が作りだした一つの現象である。即ち過渡的混亂に乘じて一躍全國に覇を稱へながら、やがて合理的なものへ近づくことによつて衰退したのが、圖表に潜む基底である。