著者
内藤 徳男
出版者
日本作物学会
雑誌
日本作物学会北陸支部会報 (ISSN:0388791X)
巻号頁・発行日
no.3, pp.17-19, 1967-03-25
被引用文献数
1

昭和33年7月23日〜25日に300mmにおよぶ集中豪雨があり, 水田約2, 000haが浸水または冠水した。その中でも福島潟周辺では浸水日数が7〜10日, または10日以上におよび, 新発田川, 太田川流域の旧佐々木村曽根では冠水日数が5日におよんだ。当時, この地帯には早生品種60, 中生品種30, 晩生品種10%が作付されていた。元肥はN成分量10a当り8kgが30〜35%, 5〜6kgが60〜70%, 3〜4kgが10%, 中間追肥は6月10〜15日に0.5〜1.5kg施したものが20%あり, また穂肥は出穂前20〜15日前, すなわち中生コシヒカリ以前の品種に対し1.5〜2.0kg施したものが多く, 一般に多肥の傾向にあり, 且つ7月中旬までの気象が高温に経過したため初期の生育がよく, 過繁茂軟弱な様相を呈した水田が多かった。冠水時期は, 早生品種では出穂10〜15日前, 中生品種では25〜20日前, 晩生品種では30日前にあり, 大部分のものが過度な穂肥を施した直後のために, 被害はいちじるしく多かった。当時, その被害の様相を明らかにするために, 冠水日数別, 稲の生育段階別に調査したのであるが, 昭和41年7月17日に再び水害をうけ, 当時の資料が被害の診断並に対策に益することが多かったのでここにとりまとめて報告したい。