著者
池田 由實 前田 茉利佳 矢野 紗彩
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-05-11

背景国語の授業で永井荷風の「断腸亭日乗」を知った。断腸亭日乗の日々の記録には天気が記されていることを知った。古文書の日付にも天気が書き添えられていることに着目し、江戸時代の天気を分析したいと考えた。一昨年、江戸時代の神奈川の古文書「関口日記」を、昨年は京都の「二條家内々御番所日次記」を分析した。今年は「妙法院日次記」と、鹿児島の「守屋舎人日帳」を分析した。「妙法院日次記」は京都東山七条の天台宗の妙法院の坊官が、1672年より1876年まで、約200年にわたって書き継いできた記録である。「守屋舎人日帳」は薩摩藩の守屋舎人重尭の日記で、1825から1871年までの、村の統治、生活慣行などが記録されている。研究の目的(1)「妙法院日次記と「守屋舎人日帳」の天気を分析して飢饉の年と原因を考える。(2)天気の出現率から地球温暖化の兆候を調べる。研究の方法(1)天気は現代の気象庁の判断に近づけて、雪>雨>曇>晴れと分類した。ただし、24時間のうち、9割以上曇っていれば「曇り」、9割(21.6時間)未満であれば「晴れ」と、雲量を時間に換算して判断した。(2)明治以降は京都と鹿児島の気象台の記録をデータ化して分析した。データ(1)「妙法院日次記」の1694年から1794年までの晴れと雨の出現率のグラフをみると元禄・享保・天明の飢饉の期間に晴れの出現率は下がります。この傾向は他の古文書でも同じである。1732年は享保の飢饉で、晴れは49.3%と低く、雨は30.4%と高くなっている。データ(2)「守屋舎人日帳」の晴れと雨の出現率のデータからは天保の飢饉の1833年の晴れの出現率が低いが、翌年から古文書の欠落があり、晴れの出現率が下がったかははっきりしない。データ(3)京都の明治以降の天気の出現率を出すと30年ごとに見て晴れの出現率が一番低いのは1981年以降である。雪の出現率は年々上がっている。考察(1)「妙法院日次記」などの古文書から見ると、飢饉の期間の晴れの出現率は下がります。日照不足が飢饉をもたらす要因の1つであったと推定される。(2)温暖化が進む現代の京都と鹿児島で雪の日が多くなっています。背景に、南岸低気圧の発生回数が多くなったことが推定される。結論(1)「妙法院日次記」他の古文書も飢饉の期間に晴れの出現率が下がる。それに伴う日照時間の低下は、元禄・享保・天明の飢饉発生と対応していると思われる。(2)京都・鹿児島の雪の出現率は江戸時代に大きな変動はないが、明治以降は時代とともに上昇する。原因として、特定な気圧配置の出現分布の違いが考えられ、背景に地球温暖化の影響が推定される。今後の課題これまでは太平洋側の天気を中心に分析したが、今後は日本海低気圧の影響を見るために、石川県の江戸時代の古文書「鶴村日記」をデータ化して分析する。