- 著者
-
原武 哲
- 出版者
- 福岡女学院短期大学
- 雑誌
- 一般研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 1993
野田宇太郎文学資料館に所蔵されている野田宇太郎宛の諸家の書簡は二千通以上に及んでいるが、その写真撮影と複写の作業は終了し、目下その解読と注解を作業しているところである。野田宇太郎が「文芸」「芸林間歩」「文学散歩」などの高踏的な雑誌編集にたずさわっていたので、文学者からの雑誌の原稿執筆に対する応答、著書贈呈に対する返事、出版社紹介の依頼、文学碑建立の打ち合わせ、文学散歩に関するものなど、当時の出版事情や作品制作の過程が知られて、大層興味深い。特に今年度は昭和23年8月5日付から37年9月2日付までの9通の注解作業を終了し、「福岡女学院短期大学紀要」第30号に発表したところである。森茉莉は鴎外の長女として、文豪から溺愛を受け、童女のまま大人になった天衣無縫さを持っていた。野田宛の九通の茉莉書簡は彼女が文壇で注目を浴びる以前の鴎外の遺子としてのみ存在が認められていた頃のもので茉莉の素顔が垣間見られて面白い。「芸林間歩」に原稿執筆を依頼され、鴎外の回想を執筆した時の経緯が綴られている。弟類が「世界」(岩波書店)昭和28年2月号に「森家の兄弟」を発表したために、茉莉・杏奴と絶交状態になったことも伺われる。茉莉が処女出版「父の帽子」(筑紫書房、昭和32年2月)を刊行した時の事情なども伺える書簡もある。「父の死と母、その周囲」(「父の帽子」所収)を書いた時、「父の死にます時のようすや、母と祖母や伯父達との間のことを公平に」書いたと述べつつ、「どうしても母の方に同情が深くはなりますが」と心の揺れを見せている。「兄弟に友に」では弟の類と不律とのことを書いたと言いながら、雑誌「日本」創刊号の「兄弟に友に」には二人の弟のことは全く触れていない。類との不和を公表することへのためらいが感じられる。第二随筆集「靴の音」の「凱旋」の題のことや「文芸」に掲載された「或殺人」のことなど、茉莉の小説制作にかかわる裏面が表わされている。野田宇太郎宛書簡の解読作業はまだ一部しか進んでいないので逐次、解読・注解・解説をほどこし、野田と当時の文壇との関係や大きく昭和文学史の潮流を見きわめたい。今後も書簡の調査を続けていくつもりである。