- 著者
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吉岡 眞知子
- 出版者
- 東大阪大学
- 雑誌
- 東大阪大学・東大阪大学短期大学部教育研究紀要 (ISSN:13485636)
- 巻号頁・発行日
- vol.3, pp.1-8, 2006-03-15
明治期の子育て観が、学校教育を通して国家主導型の子育て観へと変質変貌していく過程を明らかにした。明治国家が富国国家を目指し、それを学校教育の目標におき、すべての国民に定着させるためには義務教育制度を導入し、子育ての中心的役割を担う母親を養成するために女子教育に力を入れ、国家方針のもとに子育てをしていくことで、画一的な子育て観が、近代学校教育成立の過程での国民意識の高まりとともに用意されたのである。ここに、日本社会の中での子育て観の転換期を見ることができるのである。さらに、「修身」が位置づけられ、徳育として忠君愛国と儒教的徳目を徹底させるための国家的統制の強化が図られ、道徳と結びついた態度主義教育が民衆支配の道具となっていくのであり、ここにも国家主導型子育て観の成立をみることができるのである。また、近代学校教育制度の成立は、女子教育に力を入れ、そこに求められた教育は、国家発展のための子育ての方法であり、子どもを直接「しつける」というものではなく、学校教育の効果をあげるための方法に価値を求められたのである。このようにして、明治期の子育て観が学校教育を通して国家主導型の子育て観へと変質変貌していく過程と、修身という教科課程の特性と女子教育の強化から、それが子育て観として定着していく過程を明らかにすることができた。