著者
吉成 怜子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.65-78, 2006-03-01

『欲望という名の電車』(AStreetcarNamedDesire,1947)は、いうまでもなくテネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams,1911-83)の代表作である。ヒロインであるブランチ(Blanche)について彼は、「ブランチはわたしだ」と自らが語ったように、さながらブランチを彷彿とさせるようなアルコール中毒、男性遍歴などの諸行は、決して社会に受け入れられそうもなかった。ウィリアムズが演劇界の巨人でありながら、異端者として生きてなお、彼が究極的に求め続けたものは、アメリカ南部に育まれた繊細で優雅な心情への愛着だった。われわれ現代人は経済的発展を追い求めるあまり、ともすれば他者への優しさや思いやりなどをないがしろにしてきた。その憂いをブランチのたった一人の戦いとして、ウィリアムズはこの作品を執筆したともいえる。そのブランチの負け戦だと知りながら戦う姿を本論では検証してゆきたい。ブランチアメリカ南部
著者
吉成 怜子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.105-113, 2007-03-01

テネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams,1911-83)の『欲望という名の電車』(Astreetcar Named Desire, 1947)では、様々なコントラストが散りばめられ、それが物語をより濃密に描きだす役割を果している。中でも、主要人物であるブランチ(Blanche)とスタンリー(Stanley)のコントラストはその代表である。二人のコントラストは象徴という手法が遺憾なく発揮され、より鮮明なものとなっている。本論文では、"stain"という語を取り上げ、その"stain"が象徴的な手法として、二人のコントラストをどのように描いているかを検証していく。その手法は、観客に対して鮮明に人物像を焼き付けていながら、作者ウィリアムズにとっては、観客個々人に判断を委ねるという、複雑な要素を交錯させているということが見て取れる。ブランチスタンリーコントラストstain