著者
和気 朗
出版者
日本細菌学会
雑誌
日本細菌学雑誌 (ISSN:00214930)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.651-669, 1995-07-25 (Released:2009-02-19)
参考文献数
41
被引用文献数
1

Yersinia pestisはグラム陰性稈菌で,芽胞(胞子)を形成せず,22°Cでも37°Cでも鞭毛を有しない運動性のない菌である。細菌細胞膜構造のリピドAには局所的,全身的シュワルツマン反応をおこす内毒素活性があるが,O抗原にあたる多糖体鎖は欠如し,単一血清型で型別は行われない。ペスト菌はエルシニア属の特徴である好冷性を示し最適発育温度は22°C-26°Cで,36°C-37°Cでは発育が遅く,エンベロープ(夾膜)抗原やV抗原,Yopsと総称される蛋白を発育温度やCa2+濃度調節に感受性のプラスミドにコードされて産生する。またO抗原を欠く結果,酸性環境では殺菌されやすく,胃酸を分泌する動物を経口感染させるためには多くの菌量を要する。したがって系統発生学的にペスト菌が大流行をおこすに至るためには,ペスト菌が体温37°Cの動物(齧歯類など),体温26°C程度の各種ノミ間の循環を確立し,ヒト社会にペストがない時期にも,生殖力旺盛な野生動物とノミから構成される生息地が世界各地に維持されている。このような絶対寄生菌は祖先細菌に突然変異が蓄積し多様に分岐したエルシニア細菌のうち動物血中とノミ消化管との循環というnichéによって選択されたものがペスト菌へと分化した。その系統樹は16SrDNA塩基配列に基いて解明された。ペスト菌は増殖における菌体再生産に必要な鉄元素を収集し貯蔵する装置をコードする遺伝子pgmを染色体外に持つ。また110kbpのfraプラスミドにコードされるFra1(エンベロープ)は,菌を食細胞から防御する。食細胞(マクロファージ)のファゴリソゾーム内微小nichéで菌の70-75kbpプラスミドがV,Yopsの37°Cにおける産生と22°Cにおける抑制をコードするのはniché中のCa2+濃度が10-6M以下の場合で,低カルシウム反応(LCR)領域が発現する。プラスミノーゲンアクチベーターPlaをコードする9.5kbpプラスミドPlaはエルシニア属中ペスト菌に固有で,Yopsを加水分解するPlaはV抗原を露呈する。菌側因子のV,Yops,Pla,リピドAと動物体,人体側因子のヘモグロビン,ヘミン,フィブリン,補体のC5a,C3aとの相互作用によってペスト敗血症(DIC)の病状が発展する。各病巣地のペスト菌がどの菌側因子をどのように産生するかによってペスト菌の病原性の多様性が理解できる。