著者
坂本 孝義
出版者
日本茶業学会
雑誌
茶業研究報告 (ISSN:03666190)
巻号頁・発行日
vol.2017, no.123, pp.21-26, 2017-06-30 (Released:2019-07-01)
参考文献数
30
著者
坂本 孝義
出版者
日本茶業学会
雑誌
茶業研究報告 (ISSN:03666190)
巻号頁・発行日
vol.2017, no.124, pp.23-27, 2017-12-31 (Released:2020-01-01)
参考文献数
22
被引用文献数
1

傾斜釜を用いる釜炒り茶の起源には不明な部分があり,製法は記録に乏しいことから,製茶工程が機械化される以前の,佐賀県嬉野市における釜炒り茶の製法の聞き取り調査を行った。その工程は炒り葉→揉捻→第一水乾→揉捻→第二水乾→バラに広げて静置→締め炒りである。炒り葉の釜の温度は300℃以上で,茶葉がしんなりとなると扇風機を使って一気に蒸気を逃がすところは『茶箋』の製法に酷似している。揉捻後は乾くまで炒ると完成であるが,これは17世紀末の『農業全書』の製法と同じである。資料によると,嬉野製は生葉の炒りが重量減で30~35%とされ,茶の品質は形状が丸形で珠状となり,色沢は黄緑色,水色は金色濃厚とされる。現在では佐賀県や長崎県に傾斜釜が存在することからすると,中世に伝来したのは傾斜釜であったと推察するのが妥当であろう。傾斜釜を用いる釜炒り茶の製法は中国茶のイギリスへの輸出増加に伴う,つまり「輸出用のため量産能率本位」と説明する史料もあるが,輸出が増加する以前の『農業全書』に既に傾斜釜の製法があること,また製造時間を要することから「労力軽減」と考えた方が妥当である。乾燥道具を用いる製法もあった。焙炉を使用する製法は実演会等でも見ることができるが,茶焙炉を用いる製法については嬉野で聞くことができないのは,その後の機械製茶で消滅したと推察する。また,傾斜釜の嬉野製は熊本県内や宮崎県内でも導入された痕跡もみられるが,その後に訪れた機械製茶によって傾斜釜は直ちに姿を消し,今日では両県には傾斜釜を用いる釜炒り茶は無かったものと認識されていると考える。
著者
坂本 孝義 中村 羊一郎
出版者
日本茶業学会
雑誌
茶業研究報告 (ISSN:03666190)
巻号頁・発行日
vol.2014, no.118, pp.118_43-118_47, 2014-12-31 (Released:2016-12-31)
参考文献数
16

因尾や宇目における釜炒り茶は傾斜釜を用いる嬉野製法の釜炒り茶であった。因尾においては大正以降の比較的新しい時代に傾斜釜が導入されて普及したと考えられる。また,昭和初期には玉緑茶の共同工場がつくられるが,静岡で生産されているグリ茶とは異なり,蒸気で蒸して釜で乾燥させる玉緑茶であった。 木浦鉱山では印度焙炉という特殊な道具を用いた印度製法による釜炒り茶がつくられていた。また,近隣の西山集落では釜で炒って揉むが,乾燥不十分のまま保管に移し,カマドからの熱と煙を利用して乾かしながら保管するという自家用の釜炒り茶があった。