著者
坂田 利力
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
no.12, pp.369-377, 1992

熊谷市は、第二次世界大戦によって市 (当時) の約74%を焼失し、一面の焼野原と化した。復興を機会に熊谷市を埼玉県北部の政治・文化・経済の中心都市とするため、壮大な将来計画を盛り込んだ計画をたて、165.7haの区域を戦災復興都市計画土地区画整理事業として着手した。<BR>しかし、その後の政治・経済情勢の変化、他事業との調整の結果、一部区域を除外し、なお、区域を三工区に分割し、第一工区約144.4ha、第二工区約12.5ha、第三工区約5haについて事業を施行した。<BR>事業着手以来、街路の整備、街区の整備、公園の整備、下水道整備を進め今日の埼玉県の中核都市である熊谷市の発展に大きく貢献して来た。<BR>この事業は、昭和21年9月4日の戦災復興院の告示、9月10日の内閣認可以後、埼玉県知事施行により開始され、昭和30年4月1日熊谷市長に引き継がれ、昭和48年6月30日の換地処分完了まで実に27年間の長い事業であった。